果物が好きなわりに買う機会が少ない。
一人暮らしを始めてまもないころ、ちょっと高めだから控えよう……と果物コーナーを通り過ぎるくせがついて以来、いまだそのくせが抜け切らないのだ。なんということであろうか。
もっと解き放たれたい。果物を買いまくってみよう。
買いすぎた
……ということでいざ、買いまくりに行くのだが、「買いまくる」の目安ってどのくらいだろう。
もしかして、千疋屋のフルーツバイキングの値段くらいだろうか。調べてみたところ、5500円〜6600円位のようだ。
うう、高い。さすがである。ぷるぷる震える金額だ。でも、ごくたまにだったらいいんじゃないのとも思える。だって我々は日々、頑張って生きているんだもの。
そう思い、スーパーを梯子してみたところ、思いのほかあっさり予算をオーバーしてしまった。うきうきする気持ちが、財布の紐をゆるませてしまったようだ。
揃えたのは彼らである。
「もうこれ以上は持ちきれないよってくらい買う」「目が満足する」の2点を心に刻みながらじっくりと選んだ。胃のキャパシティについてはあまり考えていなかった。
幸い我々には冷蔵庫という文明の利器があるし、インターネットで調べれば、先人が残してくれた保存のための知恵がわんさか出てくる。
腐るまでに食べ切れば大丈夫だ。さあ、祭りを始めよう。
気づき①フルーツポンチのひとり占めは最高
果物を思うぞんぶん買い込んだら、何がなんでもやりたかったのが、フルーツポンチのひとり占めだ。
炭酸水のなかに何種類ものフルーツをぷかぷか浮かせて、気ままにスプーンですくい上げては、好きなだけ口の中に放り込む。汁も好きなだけ飲む。ぜんぶ飲む。そんな自由を手に入れたかったのだ。
食べても食べてもなくならない……とまではいかないけども、物足りなさは一切ない。しかもギリギリ食べ切れる量だ。
彩りがよくて、脂にまみれてないせいだろうか。背徳感や罪悪感もほとんどない。野菜たっぷりの鍋を食べすぎた時の気持ちに近い。
清々しい気持ちで迷いなく完食した。
気づき②料理苦手民にとって、もっとも易しい食事になりえる
……と、フルーツポンチをたっぷり作って満足感にひたったのだが、まだ買い込んだ果物の5分の1も消費できていない。食べる余地がありまくりだ。
ところで、料理がおっくうな人にもっとも易しい食事、それは「食材をそのまま食べる」ではないだろうか。
彩り豊かな果物プレートをじっと見ているうちにひらめいた。食事は大好きだけど料理はめんどくさい、そんな自分にとっての最適解ってもしかして、これなのでは……?
ひかりを見つけた。
気づき③慣れると、次のステップ(加工)に進みたくなる
しかし悲しいかな、何度か食べ続けていたら、素材そのままで食べることに飽きてしまった。ひとつ上の中見出しの中に書いた思いは、線香花火のように儚く散ったのだ。秋が深まり始めたこの時期、食べすぎると寒く感じるのもよくなかったんだろう。
何かを加えたい。
その第一ステップは黒胡椒をかけたい衝動だった。たしか、記憶のなかのおしゃれな果物の盛り合わせには、黒い粉がふりかけられていた気がしたのだ。
気づき④生クリーム使いは安定感のある加工法
加工してみたい欲はさらに高まっていく。
これまでは、果物がどん!とのっているパフェに出くわすたびに「なんでわざわざパフェの上にのせたんだ」と思っていた。きっと「映え」のためだろうとも考えていた。
でもいま、自分でパフェを作って食べてみて理解した。映えだけじゃない。味のためでもあるんじゃないのか。桃単独で食べるよりも、「ほかの味」があるほうが、充実感が底上げされる気がするのだ。
チームプレイのほうが、より大きなものを動かせる。人間の労働の仕組みともどこか似ている気がする。
気づき⑤わからないものを買ってしまいがち
ところで、「たくさん買ってよし!」と決めると、ふだんだったら手にしないような珍しいものにも手を伸ばしたくなりがちだ。
どう食べればいいんだ……という思いを跳ね除けるかのように、「おいしい食べ方」と書かれた紙が丁寧に置かれている。そんなスーパーの心づかいに導かれるように、気がついたら手に取っていた。
率直にいうと存在がこわい。でも、心が必死に「食べ物と認識せよ」と促してくる。買ったからには食べたいのだ。
うっかり食べてしまった種の苦さに心が折れかけたが、果皮の部分も炒めたり、揚げたりして食べられるらしいので、調理をしてみよう。
まずくはない。どちらかといえばおいしい。でも、なすとどっちが好きですかと聞かれたら「なすです!」と答えてしまいそうだ。経験としては尊いけど、「また食べますか」と聞かれたら即答できない感じである。
なお、珍しいものといえば。オレンジ色のレモンも買ってしまった。なんだか脳がバグる。
気づき⑥最終的には調理したくなる
……と珍しい食べ物の話を挟んだところで、先ほど言っていた、加工したい気持ちのその後についてもお伝えしたい。
最終的には、調理欲が高まりに高まり、THE食事といった風貌の料理を作り始めていた。自分でもびっくりした。
ちなみに普段の約5倍、ちゃんと料理している。
そのまま食べるだけじゃなく、多少のアレンジはするだろうと思っていたけど、ここまで率先してやるとは想像してなかった。
人間が食材を加工するすべを学んで、育んで、今でもなお、新しい調理方法を生み出し続けている理由が少しだけわかった気がする。いろんな味が食べたいのだ。
意外な結論
……ってまさか、食文化について思いを馳せることになるとは、ぜんぜん想像してなかった。
果物はシンプルに甘いから、甘さ以外の風味が欲しくなって、それを生み出すために、加工や調理に走ったのかもしれない。
それにしても。今回はちょっと買いすぎてしまった。次からは、果物をたっぷり買いたいときの目安は、「フルーツポンチをボウル一杯分作れるくらい」にしようと思う。