大退職時代ーー今夏はまさに、そんな様相を呈している。筆者のTwitterフィードには、会社を、さらには業界さえもあとにすると宣言するジャーナリストのツイートで溢れかえっている。理由として、いわゆるバーンアウト(燃え尽き)や、もともと過酷だった仕事がコロナ禍でさらに厳しさが増したことが挙げられる。その状況は、くり返すパンデミックと陰湿な新顔「デルタ株」の登場によるプレッシャー、そして長期的な不確実性のために、なおいっそう悪化しているといえるだろう。
匿名性を条件に本音を語ってもらうDIGIDAYの告白シリーズ。今回は、大手ビジネス誌の元記者に、親会社に対する不満、まるで変わろうとしなかった会社の姿勢、そしてテック企業への転職を決めた理由を訊いた。
なお、読みやすさを考慮し、以下のインタビューには編集を加えている。
Advertisement
――旧態依然とした報道機関を辞めたという、あなたの最近のツイートを見ました。
あれは、僕が大学を卒業してすぐに就職した、最初のフルタイムの仕事だった。在籍したのは2年ちょっと。内定が決まったときは、それはもう嬉しかったよ。最初は臨時社員的な扱いで、だから安定感には欠けていた。ただ、すぐに社内の別チームに異動させてもらえたんだ。若者向けの雑誌を立ち上げるプロジェクトだった。それで常勤になって、福利厚生ももらえたし、よし、安定したぞ、と思っていた。でも、そんな気持ちはあっという間に押しつぶされて、燃え尽きてしまった。もちろん、コロナ禍のせいもあったけど、その雑誌を大きく成長させるのに必要なサポートがまるでなかったのが、一番の原因だね。
会社は口だけで、ちっとも変わろうとしていなかった。それにはほんと、毎日苛々しっぱなしだったよ。若い人を引っ張ってきて、社内の枠組を変えようとはしてたんだけど、入れるだけ入れて、才能をちゃんと生かしてなかったから。僕ら若手は結局、メインストリームの常識や慣習に同調させられるばかり。当時の僕は、編集部員や[彼らが想定する]読者が読みやすいと思う客観的な記事、というものに合うように、いつだって自分の考えをねじ曲げさせられていた。で、ある時気づいた。こんなこと、別にしなくたっていいんだ。これから先ずっと、こんなことをしなくちゃならない理由なんて、どこにもないんだって。
その会社には時代に合わせた変化や順応がいまこそ必要なんだ、という切迫感が一切なかった。沈みかけの船にいつまでも乗っているつもりはなかったね。
――あなたのいう「沈みかけの船」とは? その会社か、それとも業界全体のことなのか?
あの会社は10億ドル(約1100億円)規模の大企業だし、これからもしばらく大金を稼いでいくとは思う。ただ、影響力は尻すぼみだし、信頼感も尻すぼみだね。10年もしたら、そこだけじゃなくてメインストリームの新聞・出版社はどこも、世間の人々が何かをよく知りたいと思ったときに頼りにする存在じゃなくなってると思う。頼りにされるのはメインストリームから完全に離れて、自分だけの力で成功している小規模なところやオンラインの独立系だよ。僕らはもう、自分の視点や考えを共有するのに、メインストリームの新聞・出版社を必要としない社会に生きている。そういう巨大組織に対する依存度は、かつての古い世代に比べて圧倒的に低いんだ。
――では、いま退職を決めた理由は?
この1年近く、ずっと転職先を探していた。ソーシャルメディア企業が嫌だっていうのは、自分のなかではっきりしていた。メインストリームメディアと似たようなものだからね。陰口とか足の引っ張り合いとか、ネガティブなものに溢れている。そういうところじゃなくて、ワクワクできる業界、伸び盛りの会社がいいと思ってたんだ。収入だって、いまは当時の額よりも、あのまま前の会社にいて、10年後に手にしていた額よりも増えたんだよ。
――あなたと同じく、多くのジャーナリストが業界を去っている。それはなぜだと?
コロナ禍の影響が大きいのは間違いない。自分の時間とエネルギーの使い方を見直すきっかけになったからね。面白くないと思ってるのに、あえて続ける理由はない。辞めればいいじゃないか。そういう決断を下すのがぐっと楽になった。若手ジャーナリストの場合は、とくにそうだね。業界をあとにしているのは中堅じゃない。業界歴5年から7年の人たちだよ。つまり、次世代に繋ぐための人材がぽっかり抜けてしまうわけで、それはもちろん、ジャーナリズムの未来にとっては問題だ。いや、もしかしたらまた戻ってくるのかもしれないけど、とにかくいま辞めている人たちはみんな、僕が指摘したのと同じ問題に気づいているんだと思う。
ジャーナリズムの道に入っていく人にはもともと、素晴らしいストーリーを伝えたい、自分のコミュニティの何かを変えたい、少数派の視点を多くの人と共有したい、という理想があるし、使命感に燃えて業界に入る。実際、そういうインパクトのある記事を書き上げるには、相当な熱意とやる気が要る場合が少なくないと思う。だったら、どうして僕はわざわざ、そんな大切な時間と情熱をこの会社に注ぎ込んでるんだ? 僕が見つけたネタなんだから、僕のやりたいように伝えればいいじゃないか。僕には記者としての経験があるし、ひとりでやれば担当編集者という目の上の大きなたんこぶからも解放されるし。たとえば、カリフォルニアのどこかに住んでる、どこの誰だかもわからない65歳の白人のおじさんひとりの非難が怖くて、戦々恐々としている編集者に合わせなくて済むわけだ。
若者はいまや、自分のストーリーを伝えたいなら、自分でプラットフォームを作れるのに、その点がメインストリームのメディアにはまるでわかってない。いま僕がしたいと思ってるのは、ショートフィルム(短編映画)やミニドキュメンタリーを撮って、自分のプラットフォームで公開すること。辞めたことについて、後ろめたさなんてないよ。業界の存続が僕にかかっていたわけじゃないからね。
SARA GUAGLIONE(翻訳:SI Japan、編集:小玉明依)