緊急宣言より重み感じた開会宣言 – 階猛

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23日、57年ぶりの東京オリンピックが開幕しました。開会式では、開催を契機に建て替えられた国立競技場において、天皇陛下が「私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します」と開会宣言を述べられました。

一方、オリンピック憲章では、「わたしは、第〇回近代オリンピアードを祝い、××オリンピック競技大会の開会を宣言します。」という文言を読み上げて開催地の国の国家元首が開会宣言を行うことになっています。

57年前にはこれに沿って昭和天皇が開会宣言を述べられました。今回は「祝い」が「記念する」に変わっています。関係者で協議をし、英語の原文の意味を損なわない範囲の表現にしたとのことです。しかし、宣言者の感情を示す「祝い」という言葉と、客観的な事実を示す「記念する」という言葉では、まったく意味も印象も異なります。

安保法制定時に匹敵する強引な「解釈変更」ですが、これには正当な理由があると思います。

第一に、東京オリンピックが「祝い」ではなく、「災い」につながる危険があること。

~22日には、東京のコロナ感染者が2千人に迫りました。海外の選手団やその関係者たちからも次々と感染者が出ています。感染拡大を防ぐためには「三密」を避けなければならないのに、オリンピックの高揚感からか、開会式でも街中でも、大勢でお祭り騒ぎをしている内外の人が多く見られました。もはや「バブル方式」を当てにはできません。

第二に、東京オリンピックの「祝い」の前に、国民に「償い」をすべきであること。

~政府が長期にわたって国民の外食や外出を抑制し、飲食、観光、宿泊、交通などの事業者は営業の自由を実質的に奪われてきました。他方、昨年行われた「持続化給付金」や「家賃支援給付金」はなくなり、資金繰り支援のための制度融資の返済も始まっています。その結果、東京だけでなく全国的に経営困難な事業者が増えてきました。憲法が定める「正当な補償」を行うため、臨時国会を早急に開き補正予算を成立させるべきです。

第三に、東京オリンピックは「祝い」どころか、「呪い」がかかったような事態であること。

~東京オリンピックをめぐって、これまでも数々の不祥事が起きてきましたが、19日には開会式の楽曲担当が学生時代のいじめを吹聴していた問題で辞任、22日には開会式の演出担当がユダヤ人の大量虐殺を笑いの題材にしていた問題で解任されました。

前例を覆す天皇陛下の「開会宣言」に、政府の「緊急事態宣言」よりも重みを感じました。

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