来ちゃいました、海
夏休みなのにどこにも出かけなかったので体が真っ白だ。そうだ、背中に日光を遮る何かを置いたまま日焼けすれば、好きな模様がデザインできるかもしれない。
そう思ってうかうか江ノ島に行ったら、いろいろあって耐え切れなくなったので、途中で諦めて帰宅しました。
※2006年8月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
ひとり江ノ島
真っ白な背中に、何か模様をうつしたような形で日焼けしたい。
そんな企画を思いついたときは、いつものとおり近所の河原でやればいいかなと思っていた。しかし、企画会議で発表したとき他の人から「海に行くといいよ」と言われたのでそうすることにした。江ノ島に行って、そこで感じたことを交えて書くといいかもしれない。江ノ島といえば若者が集まる海だし。
……思えばそれが大きなミステイクだった。
江ノ島までは、家から電車でだいたい1時間半だった。普段通学には2時間かかっているから、江ノ島は大学よりも近いことになる。江ノ島は僕の日常の範囲内にあったのか。
小田急線片瀬江ノ島駅で降りて、あたりを眺めてみる。江ノ島にはたくさんのカップルがいた。というか、ほとんどカップルだった。ビーチにカップルがいるのは、森に行ったら木が生えているようなものである。見てみぬふりというか、それはひとつの景色のように思えばよい。
とはいうものの、周りがカップルだらけだと息が詰まる。水の中にプランクトンが大量に発生して赤潮が起きると、酸素が無くなって魚が死んでしまうというが、まさにそんな魚の気分だった。つまり結構やばかった。……こんなところに一人で来るなんて。いきなりラストダンジョンだ。
「昨日の天気予報では今日は雨とか言っていて、朝はたしかにあやしげな雲行きだったんですが、僕がしゃべり始めた途端持ち直してきましたね~」耳を澄ませば、ビーチで流れるラジオの軽快なトークに腹が立つ。
そんなことはどうでもいいと割り切って、早速シートを敷いて準備する。
場所を確保し、さて準備に取り掛かるかと思ったところで、前で寝そべってるカップルを見たら、明らかに男が女のおっぱいを揉んでいた。あれは僕が住んでいる星の文化ではないので、多分別の星の人か何かだろう。最終的に今日一日で宇宙人のカップルを3組ほど見かけることとなった。
やはりこれもどうでもいいので、続いて背中に日焼けさせるデザインを準備する。
龍の模様だとか、熟語だとか、格言だとかあれこれ迷ってみたのだが一番分かりやすいものにした。背中に焼くといったらこれしかない。
背中にうつしたいデザインは「背中」の二文字。
本当は背中に日焼け止めで「背中」と書けばよいのかもしれないが、今日は一人で来たので、誰かに書いてもらうということができない。今回は黒い紙を用意してきて、そこに日焼け止めを塗り、それでもって背中に貼り付けることで代わりとしたい。
…文字とはいえ、「背中」に日焼けを塗りたくるのははじめてで、何か変な感じだ。いや、違った。肌以外に日焼け止めを塗るのが変な感じなのか。
塗り終わったらこれを背中に貼り付けるわけだが、体がかたくてなかなかうまくいかない。途中で、紙を地面に置いてそこに向かって寝転がるという画期的な方法を編み出したが、やっぱり変な角度になってしまうので諦めてそのままにすることにした。これはこれでいいかもしれない。
夏の思い出
「背中」の文字も貼れたので、うきうきした気分でうつぶせになった。このまましばらく待っていれば、日焼けして文字が浮かぶはずだ。文字が焼けたら銭湯でも行って「いれずみはNGだけど、日焼けならOKでした~」なんてオチでもつければいいかな、ということなんぞ考えていた。
日焼けする前に最後に写真を何枚か撮って昼寝でもすることにした。前日はなんだか眠れなかったため、海辺の暖かい日差しの中でそのままうとうと眠ってしまいそうだったからだ。うつ伏せになった自分の背中を撮ろうと、三脚を立て、タイマーをセットした。
そんなとき、事件は起こった。
写真を撮ろうとしたちょうどそのとき、若い女性4人組が海から上がってきて、僕の横を通り過ぎ、斜め後ろに敷いてあったシートの上に座った。
そして彼女たちの中のひとりが、つぶやいた。
「海まで来て、自分撮りかよ」
……!(心の中で何かが決壊
確かに海まで来て三脚を立てて自分を撮るなんていう人なんていないかもしれない。でも、「こういうネタをやるから一緒に海に行こう、そして写真撮って」なんて頼める人は僕の周りにいなかったんだ。そもそも、わざわざ海まで来てこんなことやってるのは、このネタがおもしろいと思って、これを記事にしたらきっとみんな喜んでくれると思って、つまりよかれと思って……!
急いで心の土嚢を積んでみるが、開いた穴がでかすぎて対処しきれない。さっき聞いた言葉が頭の中でリフレインする。
「海まで来て、自分撮りかよ」
「海まで来て、自分撮りかよ」
「海まで来て、自分撮りかよ」
的確に急所を突く一言に、どうにも心細くて耐え切れなった。「今までどうしてこんな恥ずかしいことができたのだろう?」という気になって頭をかきむしりたくなる。でも発言した本人が近くにいるので、あからさまに反応することはできない。すっかり意気消沈してしまい、とりあえず荷物をまとめて駅にもどることにした。心は完全に折れてしまった。
…という感じで上に挙げた画像も三脚で自分撮りしたものだ、海まで来て。一度指摘されてしまうと、ものすごい敗北感にさいなまれる。すべてが虚無に包まれた。どうしたらいいんだ!
あらゆることがどうでもよくなる
駅に戻ったら駅に戻ったで、また別の事件が起こる。
駅のベンチに座り、これからどうしようかと頭を抱えていたら、駅の中で酒を飲み酔っ払っていたおじいさんが僕の横に座った。そして再び立ち上がると切符も買わずに改札を通った。そこで気がついたのだが、リュックにはさんであった僕の帽子が無い。……代わりにおじいさんがかぶっていたヘナヘナで汚いキャップが置いてあった。
駅員に帽子の行方をたずねると、彼はプラットホームの脇の柵に引っ掛けてあった帽子を見つけて取ってきてくれた。そしてあきれた風に「……被害届けとか、出しますか?」と聞いてきた。「……いや、いいです」と僕は答えた。海岸で打ちのめされてきたばかりの僕が、その想いを背負ったまま誰かを攻めるのなんて情けない気がしたからだ。
それにしてもここで、持ち物が盗まれかけるとは…。
一息ついて、まったくなんて1日だ、と思う。 いろいろなことが裏目にでてしまった。 僕にとって海は適切な場所じゃないと思って、今まで避け続けてきた。今回は、それを逆にネタとして昇華してしまおうと、こうやって海までやってきたばっかりに。結局日焼けもしていない…。
僕は決心して切符を買って改札を通り、小田急線の車両に乗った。朝まで太陽を隠していた雲は消え、車窓には夏らしい景色が映されいてた。どうしようもないときの景色は、いつでも爽やかだ。同じような景色をこれまで何度も見てきたし、これから何度も見るだろうという気がした。他の人にとってはどうだか知らないが、僕にとって夏とはこういう季節なのだと思う。そのどうしようもなさが僕の人生の中に深く根差しているという意識が、僕に新しい力を与えてくれたように感じた。
でも、もう海へは行きたくない。