ロシアがウクライナに全面侵略を始めてから、約3か月が経とうとしています。ロシアの当初の目論見は、短期間でウクライナの首都キーウを制圧して、同国を勢力圏内に収めることだったようですが、それは果たされませんでした。
そこで、クレムリンは戦争目的をウクライナ東部のドンバス地方を支配することに下げたようです。そのウクライナ東部では、西側の強力な軍事支援を受けているウクライナ軍とロシア軍が一進一退の攻防を繰り広げています。戦争は長期的な消耗戦争の様相を呈してきました。
ロシア・ウクライナ戦争の刻一刻と変化する展開に目をとらわれてしまうと、われわれは戦争の重要な特徴を見過ごしてしまうかもしれません。その看過されがちな1つの側面は、この戦争が当事国によるリスクを覚悟する競争だということです。こうした暴力を用いたバーゲニングをトーマス・シェリング氏は「リスク受容の競争」と呼びました。
戦争の当事国は、暴力のエスカレーションの危険を冒しながら、より冒険的な行動をとっていきます。戦争に従事する国家は、行使する暴力のレベルを上げていくことで、相手が怯み、自らに有利な条件をのんだり、戦争目的を縮小したり、屈服したりすることに期待します。こうした期待は、戦闘にたずさわる双方が抱きますので、戦争は自動的にエスカレートする傾向にあります。
戦争のエスカレーションのメカニズム
武力行使のエスカレーションは、国家が戦争に賭けたものが大きくなれば、それだけ後には引けなくなるので、どんどん進行していきます。これにはギャンブルにはまる人間行動と同じメカニズムが働いています。
人はギャンブルに負けると、その負債を回収しようとして、負ける確率が高いことが分かっていても、わずかに残る勝ちへ過剰な期待を寄せて、無謀な賭けをしばしば続けてしまいます。その結果、ギャンブルを始めた当初は予想もしなかった途方もない身の破滅へと導かれるのです。
同じことは、戦争にもあてはまります。戦争のエスカレーションについて先駆的な研究成果を残したリチャード・スモーク氏は、これについて次のように説明しています。
掛け金が吊り上がると、総どりでの勝ちを望むようになる(そして、すべてを失う負けも恐れるようになる)…例えば、何百万人もの若者が死んだり不具になったりした後では、そして恐ろしいほどの経済的負担が支払われた後では、第一次世界大戦が始まった時に掲げていた穏当な目標で問題を解決することが、どの戦争当事国もできなくなってしまった…賭けるものが大きくなると、国家はコストを払うのを厭わなくなり、より高いリスクを進んで冒すようになる…一方の側の行動は他方の側の反応を呼び込む…作用・反作用の効果は最初には全く想像できなかった新しい状況を作り続けて、大抵は、より高い掛け金を危険にさらしてしまうのだ。
(War: Controlling Escalation, Harvard University Press, 1977, p. 24)。
残念ながら、ロシアもウクライナも西側も、こうしたエスカレーションのダイナミズムに入り込んでいます。
第1に、ロシアはウクライナ側の条件を受け入れて妥協するより、何としても敗北を避けようとしているようです。ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は、ウクライナが態度を硬化させ、米英、EUが自らの戦略的優位のためにウクライナを利用する目的で支援していると非難しています。そしてウクライナが国内の現状ではなく西側の言い分に対話をシフトすれば、協議の前進はあり得ず、和平合意は実現しないと主張しています。
元大統領のドミートリー・メドベージェフ安全保障会議副議長も「わが国が攻撃された場合には即刻、超強大な報復が可能だ」と述べ、ウクライナ侵攻で対立を深める欧米などに対して、核兵器の使用へのエスカレーションをにおわせながら、強くけん制しています。ロシアが「賭け」から降りる気配は、今のところありません。
第2に、ウクライナは領土内に侵攻してきたロシア軍を押し返すに従い、戦争目的を拡大しています。今やウクライナは、ロシアに対する全面的勝利を超えるものを望むようになってきました。
ウクライナのドミトロ・クレーバ外相は、最近になって「勝利とは、クリミアとドンバスを含む被占領地の解放、賠償金の支払い、戦争犯罪者と人道への罪犯罪者の断罪、欧州統合におけるウクライナの場所の確定だ。これらが、私にとって勝利を構成する不可分の4つの要素である」と発言しました。これはウクライナ側が、戦争目的を戦前への原状復帰から大幅に高く動かしたことを意味します。
これまでゼレンスキー大統領は、2月24日に「ロシア・ウクライナ両勢力が支配していた地域の線まで」の回復を目標に掲げていました。しかし、今やキーウは2014年のロシアの侵攻で奪われたクリミア半島の回収のみならず、ロシアに賠償金を支払わせるなど、第一次世界大戦や第二次世界大戦で戦勝国が敗戦国に受け入れさせたような厳しい要求をロシアに突き付けています。また、戦争の行方についても、ウクライナ側はやや自信過剰気味になっています。
ドミニク・ブダーノウ国防省情報総局局長は「転換点は8月後半に訪れる。大半の活発な戦闘行為は年内に終わる。結果、私たちは、私たちはこれまでに失った行政国境に到達し、クリミアとドンバスを含む、全ての私たちの領土にウクライナ政権を完全に回復する」と勝利への自信を深めています。ウクライナは、ここへきて「賭け金の総どり」を目指すようになったのです。
このようにロシアのウクライナ侵略に端を発した軍事衝突は、戦争の典型的なエスカレーションのパターンを示しています。
ロシアは戦況が悪化すれば、敗北することを恐れるでしょう。そして、モスクワは敗北を避けようとして、ますます冒険的で危険な行動をとるようになる恐れがあります。その最悪の1つの選択が、ロシアによる戦術核兵器や化学兵器といった大量破壊兵器の段階的な使用です。他方、ウクライナはロシア軍を撃退すれば、勝利への期待を大きくします。そして、より多くの利得を得ようとして、戦争目的を拡大させるとともに、より大胆な行動をとるようになるでしょう。
こうしたロシアとウクライナの相互作用は、戦争をますますエスカレートするばかりのように見えます。戦争はエスカレートするにしたがい、長引くことになります。「勝利」をめざして攻勢をかけるウクライナ軍と「敗北」を絶対に避けようと守勢にまわるロシア軍は、激しい消耗戦に突入しそうです。
ロシアへの軍事的圧力がもたらす矛盾
こうした泥沼の戦いは、両軍の兵士ばかりでなく、一般市民を巻き込んだ悲劇的な死闘になるでしょう。ロシアがウクライナへの軍事支援の補給路を断つために、東欧のNATO諸国に攻撃を加えれば、一気に西側との大戦争にエスカレートする恐れがあります。そうなると西側諸国が避けたかった「第三次世界大戦」が、意図せざる結果として現実のものになるかもしれません。
あるいは、ロシアはウクライナを恐怖に陥れることで戦闘意欲を削ぐことに期待して、戦術核兵器の使用に踏み切るかもしれません。ロシア政府は、ウクライナの「特別軍事作戦」では核兵器を使用しないと公式に宣言していますが、戦況が変われば、これを「宣戦布告」に切り替えて、自国の生存が脅かされているとの理由から限定的な戦術核兵器による攻撃に打って出るかもしれません。
ウクライナの勝利を目指すロシアへの軍事的圧力は、避けるべき核戦争を招く、自己敗北的予言になりかねないのです。
保守派のテッド・カーペンター氏(ケート研究所)は「ウクライナをNATOの軍事的手先にしないことが、ロシアの指導者にとって死活中の最大の死活的利益だ。モスクワがウクライナ戦争で敗北の苦境に近づけば、クレムリンは必要なことは何でも、必要なリスクは何でも、そのような結果を防ぐために行うだろう…ウクライナの『勝利』の達成すなわちロシアに屈辱を与えることを擁護する者は、善悪を決める世界終末戦争へと選択を狭めている」と警鐘を鳴らしています。
この大惨事の可能性は、フィンランドとスウェーデンの加盟によるNATOの一層の拡大が実現すれば、さらに高まることになるでしょう。この問題について、ロシアはあの手この手で西側諸国にゆさぶりをかけています。
プーチン大統領は「何の問題もない」と静観する姿勢を示す一方で、ロシア外務省は5月12日、ニーニスト大統領のNATO加盟表明を受けてフィンランドがNATOに加盟すれば、「(ロシアとの)両国関係や、北欧の安定と安全の維持に深刻な打撃を与える…安全保障に対する脅威を排除するため、軍事技術やその他の手段で対抗措置を取らざるを得なくなる」と威嚇しています。
核戦争へのエスカレーションを避けるために
このようにロシア・ウクライナ戦争における当事国間のリスク受容の競争は、エスカレートするばかりです。ところが、この危険なチキン・レースには誰もが避けたいことがあります。それは核戦争へのエスカレーションを避けるということです。
これはロシアとウクライナ、そして西側諸国の共通の利益です。しかしながら、利益は戦争で争っている国家間で自動的に調和しません。放置しておけば、戦争は自動的にエスカレートしてしまいます。残念ながら、「全てといわずとも、大半の戦争状況であっても、そこに機械的に適用されるエスカレーションのコントロールのための単純なルールは存在しない」のです(リチャード・スモーク氏)。
この難問に国際政治学の知見が何らかのヒントを与えてくれるのであれば、リスク受容競争の帰結は当事国の利益や決意に左右されるということです。リアリストのスティーヴン・ヴァン・エヴェラ氏(マサチューセッツ工科大学)は、核戦争のリスクを孕む安全保障競争では、国家の生き残りといった死活的な利益がかかる側が、強い決意(覚悟)で対決に臨むだろうから優位に立つと以下のように主張しています。
ウクライナ情勢において、ロシアは敵国より賭けるものが大きく、より強い決意で臨めると信じる一方で、アメリカとNATOが節度を守る場合に(核戦争のリスクは)発生する。ロシアはリスク受容の争いで勝つことができると信じるだろう。
ロシアは強い決意すなわち大戦争へと相互エスカレーションの危険度を上げれば、相手側は最終的に引き下がるだろうと期待してエスカレーションの危険を冒すだろう…プーチン大統領がウクライナの西側との連携はロシアの死活的な国家安全保障上の利益を脅かすと信じているのは明らかだ。
したがって、彼はアメリカやNATOより、大きな賭けをしていると感じるだろう。だから、彼は決意で優ると信じることができるのだ。彼は核兵器をゲームに持ち込めば、決意で劣る西側は引き下がるだろうから、この対決で勝てると考えるだろう。だからこそ、彼はエスカレートの方法を探し求められるのだ。
要するに、核戦争のリスクをどれだけ覚悟できるかが、ロシア・ウクライナ戦争のエスカレーションのカギを握っているのです。
もしリスク受容のバーゲニングがロシア・ウクライナ戦争の本質なのであれば、そして、それに賭ける当事国の利害と決意が争点なのであれば、ロシアを屈服させるには、ウクライナを包括的に支援する西側が、核戦争のより大きなリスクをとり、より強い覚悟を固めなければなりません。
もちろん、戦争の行方は、大戦争や核兵器の使用へのエスカレーションだけで決まるわけではありません。ロシアの意思決定の中核にいるプーチンが健康上の理由により退陣したり、命を落としたりすれば、戦争は予想もしなかった展開になるでしょう。
しかしながら、戦争に関与している指導者の陣容が保たれる条件下においては、リスクと利益という要因が当事国の行動をかなり制約します。核戦争のリスクを賭けたバーゲニングでは、どちらかがエスカレーションを抑制しなければ、破滅的な結末を招くことになります。ここに政治的英知が求められる理由があります。
ロシア侵略へは現実主義で対処すべきだ
政治的リアリストは、国家の対外政策における「中庸」の重要性を主張してきました。古典的リアリストのハンス・モーゲンソー氏は、このことについて次のように説いています。
軍隊は対外政策の道具であり、主人ではない…対外政策の目的は…相手の死活的利益を害することなく、自己の死活的利益を守るために、必要な限り相手の意思を変化させることだ、挫くのではない…外交の主要目的は絶対敗北と絶対勝利を避けることだ。
( Politics Among Nations, Knopf, 1948, p. 557)。
リアリストの英知が戦争の破滅的結末を避けるために役に立つのであれば、関係各国はウクライナの絶対勝利とロシアの絶対敗北を避ける国政術を追求すべきということです。
これについてジャニス・グロス・スタイン氏(トロント大学)の次の指摘は、傾聴に値するのではないでしょうか。
最初に断固とした決意を示し…NATOがそのコミットメントを確立した後に、プーチンがエスカレーションを止まり交渉する誘因を作る、何らかの見返りを提供することに軸足を移すのだ…エスカレーションを制御する試みは宥和ではない。
こうした主張は、「親ロシア派」のレッテルを貼られて、ウクライナに寄り添わない「冷笑主義者」とか自由民主主義勢力の「裏切り者」と罵られるのは避けられません。しかしながら、正義と惨劇のジレンマに対するリアリズムの処方箋は、プーチンのウクライナでの野放しの悪事を処罰したい気持ちと、この戦争がより長引くことで失われるだろう命や軍事的エスカレーションのリスクを注意深く比較考慮することを求めています。
戦争の終末的大惨事を避ける道とは
暴力を介したバーゲニングにおける慎慮が導く答えは、外交問題評議会会長のリチャード・ハース氏の提言に集約されると思います。すなわち、
ホワイトハウスはオースチン国防長官のロシアを弱めるアメリカの目的から引き返すべきだ。目的はウクライナがロシアの侵略に抵抗するのを助けることだ。ロシアはプーチンの愚行でより弱くなるが、アメリカは西側を分断せず、ロシアのエスカレーションの確率を上げない、手段と目的を限定した戦争を追求すべきだ。
ということです。
そのためには、この戦争に深く関与するアメリカが率先して、エスカレーションを制御するあらゆる手立てを講じなければなりません。チャールズ・カプチャン氏(ジョージタウン大学)が強調するような実利的戦略をアメリカやNATO諸国は感情を抑制して考えるべきでしょう。
「完全な領土的主権の為に闘うキーウの権利はそうすることを戦略的に賢明にしない…戦略的プラグマティズムはキーウの野心を抑制するNATOとウクライナ間の率直な対話と『勝利』に至らない結果で手を打つことを請け合う」
という英知です。
戦略は激情ではありません。戦略研究の大家であるリチャード・ベッツ氏(コロンビア大学)は、戦略を成功させるヒントを次のように述べています。
戦略は選ばれた手段が目的に対して不十分であることが判明した時に失敗する。このことは間違った手段を選んでしまったためか、目的があまりに野心的であるか、あいまいであるために生じる。
戦争に賭ける利益とリスクをとる覚悟が戦争の帰趨に深刻な影響を与えるのであれば、ウクライナはもちろんのこと同国を助けるアメリカや西欧諸国、日本などは、それらに合致する実現可能で明確な目標を設定するとともに、十分な慎慮にもとづく合目的的な行動をとるべきでしょう、それこそが戦争の終末的大惨事を避ける道ではないでしょうか。
編集部より:この記事は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」2022年5月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は「野口和彦(県女)のブログへようこそ」をご覧ください。