廃道となった古道を今歩く
言わずと知れた日本の最高峰、富士山。 古くより信仰を集めてきた富士山は、現在年間30万人の登山客が訪れる山となった。
富士山には、かつて海から山頂まで向かう、村山道という登山道があったそうだ。 村山道は現在利用されているどの登山道よりも古い歴史を持ち、 長きに渡って富士登山のメインルートとして使われてきたという。 しかし、明治時代に廃道となり、そのまま忘れ去られてしまった。
歴史の中に埋もれていたその村山道が、近年復活を遂げたらしい。 これは面白そうだということで、 海から富士山を目指してみることにした。
100年前に途絶えた、いにしえの登山道をたどって。
※2007年9月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
村山道とは
村山道の歴史は、なんと平安時代にまで遡るという。
富士山信仰の拠点として開かれた村山の修験者たちが、 富士山へ参拝するために開拓したのが始まりなんだそうだ。 その後、村山道は富士登山のメインルートとして数多くの人々を富士山山頂へと導いた。
しかしながら明治39年(1906年)、現在の富士スカイラインの元である 大宮新道が開通したことで村山道は廃れ、廃道となってしまった。
そして近年、富士山クラブの畠堀操八氏らによる 地道な現地調査によって、村山道は村山古道として現在に蘇った。
そのルートは、駿河湾を望む田子の浦からスタートし、 かつて東海道の宿場町であった吉原宿を抜け、 富士修験道の聖地である村山を経由して富士山山頂へ向かうというもの。
田子の浦から村山まではおおよそ20km。村山から富士山五合目までも20km。 富士山五合目から頂上までは5kmといったところか。 富士山五合目から頂上を目指す現在の富士登山道と比べて、 なんともまぁ、長い道のりだ。
なお、今回歩いたこのルートは、 前述の村山古道を復活させた畠堀操八氏の著書 「富士山村山古道を歩く」(風濤社)の記述に沿ったもの。 もし、もっと詳しく村山古道について知りたい場合は、この本をご参照あれ。
10:00-田子の浦はテトラポットの海だった
さて、それでは登山を開始しよう。
今回のスタート地点、それはもちろん田子の浦である。 浦、という名から砂浜を想像していたのだが、 私の目に映ったのは一面テトラポッドの海だった。
しかも海岸整備のためだろうか、やたら大きなトラックが目の前をひっきりなしに走っていく。 う~ん、スタート地点としてはちょっとだけ残念な感じの雰囲気か。 でも、まぁ、現実とは得てしてそういうものだから仕方が無い。
天気もあまり良くなく、曇っているため目指すべき富士山も見えない。 何だか波乱を予感させるスタートとなった。
なお、今回この登山を行うに際し、ウェブマスターの林さんから高度計をお借りしてきた。 これで逐次、現在地の高度を計っていこうという寸法だ。
本当は高度0mに初期化したいところではあるが、 テトラポッドのせいで浜に下りることができない。 しょうがないので目算で高度を計り、とりあえず5mと入力しておいた。
さてさて、田子の浦から少し北に行ったところには、 石でできた小さな山のようなものがある。 これは、かつて富士登山を始めようとした人々が、 田子の浦で禊を行った後、海岸の石を一つずつ積んでできた富士塚だそうだ。
私も海岸から拾ってきた石を一つ置き、登山の安全を祈願しておいた。 どうか無事に富士山まで行けますように。ナムナム。