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パラリンピックが開会だ。そこで毎回感じることだけど、オリンピックがあってパラリンピックが続くと、正直言って右肩上がりに盛り上がる流れではないよな。やっぱりオリンピックの盛り上がりで観る側も疲れが残るし、また盛り上がろうっていうエネルギーが不足してしまうよ。
そろそろ、オリンピックの後にパラリンピックを開催する流れ、考え直してもいいんじゃないの? これ、パラリンピックの選手や関係者も同じ気持ちの人がいると思う。オリンピックというフルコースで満腹になった後に出てくるって、ウルトラマンで言えば最強怪獣ゼットンの後に、ピグモンが出てくるようなもんだろ?
パラリンピックをオリンピックの前に開催したらどうか、っていう意見はそれなりにあるよ。そのほうがむしろパラリンピックへの注目がされやすくなるって。俺もそう思う。オリンピックへの期待感が先にあることでパラリンピックへの興味が高まる。
後に向かって段々と盛り上がっていく、そのほうが自然な流れだよ。どの世界だって真打は後から出てくるもんだよ。
パラリンピックを遡れば1960年のローマから始まって、1964年の東京で2回目が開かれた。初期の頃は手探りなことも多々あっただろうけど、今は半世紀が過ぎて開催に関する経験値も充分に積んだわけだ。そろそろ、オリンピックの前に開催して、その盛り上がりを本家のオリンピックにつなげる、それを見てみたいよ。
広島訪れたバッハ会長 会場での黙とうは叶わず
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オリンピックが終わって一回帰国したIOC会長のバッハさんが、パラリンピックでまた来日するってことで、「また来るの?」「もう来なくていいよ」なんて声があるんだって? 五輪開催前から「ぼったくり男爵」とか言われたり、開会式も閉会式もスピーチが長くて散漫で、何かと評判を落としてるな。
だからと言ってバッハさんも、オリンピックは来日しておいて、パラリンピックはリモートで参加ってわけにはいかないもんな。せいぜいスピーチする場があったら、話をもっと整理して短くするのを忘れるなよってことだ。
バッハさんには俺も言いたいことがあって、この人、7月に来日して五輪が始まる前に広島を訪問したんだよな。平和記念公園を訪れて原爆慰霊碑に献花、原爆資料館を見学してそこでスピーチを行って「平和に五輪運動として貢献する」と発言した。
IOCのトップが広島を訪問する意味は大きいよ。日本で開催する東京五輪に際して、日本への思い、平和への思いから、広島を訪れたわけだ。それを受けて広島の市長たちが五輪開催中の8月6日、広島に原爆が落ちた日に、五輪の各会場で黙とうを呼びかけてほしいとIOCに要請したけど、それは実現に至らなかった。
IOC的には、世界各地には慰霊するべき出来事が多々あって、オリンピックとしてひとつを選ぶことはそぐわない、というような理由だったっけ。それはそれ、これはこれ、みたいな感じで。バッハさんの行動はあくまでバッハさん、オリンピックはオリンピック、という、よくわからない印象だったな。
オリンピックを開催するってことは、その開催国の歴史を世界に知ってもらう大きな機会でもあるわけだ。だから、世界に平和を呼びかける、発信するってことを、開催国が代表するって話は別におかしくないと思う。
バッハさんが広島を訪問した際の警備費(全額379万円)のことがニュースになってたね。IOCやオリパラ組織委員会が負担するのではなく、広島県と広島市が折半で負担するんだってね。「訪問したい」って言いだしたのはバッハさん側。確かに広島側はそれを受け入れたわけだけど、何だか腑に落ちないな。費用負担をIOCと広島側で折半するなら話もわかるけど・・・。
そもそも、このオリンピックは東日本大震災からの復興を世界に見せようっていう大義を掲げていた。だとすれば、バッハさんが訪問すべき場所は広島よりも福島や宮城や岩手・・・東北なんじゃないの?
編集部)ちなみにバッハさん、3年前の2018年11月にソフトボールと野球の会場になった福島のあづま球場を安倍さんと共に視察で訪れていて、今大会同球場で行われた野球の開幕戦(日本-ドミニカ共和国戦)では始球式を務めました。
ああそう。福島に行ったんだね。でも、その球場がある場所は確か福島の内陸、中通りの地域だろ? 震災の被害が大きかったのはいわき市がある浜通りの地域だよな。福島は広いよ。行くべき場所は他にある。どこまで復興してどこまで復興が叶ってないのか。そういうシビアな場所をパスせずに訪れてほしかったな・・・。
交渉力で負け続ける東京五輪
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この広島の一件、改めて思うんだけど、何か大事な物ごとを進める際の交渉って日本は上手くないよな。バッハさんが広島を訪問したいと言っている、となったら、単なる観光ではない。世界が注目するオリンピックに向けて、国際的組織の長による訪問はまさに「外交」だよ。
受け入れ側の広島が、ならばその条件として、オリンピック開催中の8月6日に黙とうをして頂けますか、という交渉をどの程度したのか・・・。
交渉って難しいよな。きちんと先の先まで考え抜かないと、あっというまに空中分解したり、どっかから横やりが入ったりして潰されちゃう。相手との力関係、信頼関係、自分が持っている交渉カードの強さ、切り出し方、押し方、譲歩、そういう面倒なことをコツコツと積み上げる作業が必要だ。
そういう交渉の最たるものが国と国との外交になる。日本における外交の歴史をひも解くと、7世紀の日本書紀が有名だ。遣隋使の小野妹子が国書をたずさえて隋へ行った。その書には、「日出処(ひいずるところ)の天子、書を日没処(ひぼっするところ)の天子に致す」――、日本が自らを高い位置に置く、上から目線な書き方に、隋の皇帝が激怒したと言われている。そりゃそうだよ、そんな書き方されたら怒るよ。
外交の失敗と言えば幕末の江戸幕府大老・井伊直弼もそうだよな。アメリカからの外圧に対し、井伊は朝廷からの勅許を待たず日米修好通商条約を独断で締結してしまった。これによって天皇を重んじる攘夷派が怒り、不平等条約を飲んだことにも反感を買い、その結果、水戸藩士たちが桜田門外で井伊直弼を襲撃して斬殺する事件がぼっ発したわけだ。
井伊直弼は外圧と内圧の調整が出来なかったんだ。外交には決断も必要だけど、そこに至る様々な交渉や根回しを飛び越して独断に走れば禍根を残すだけ。外交は難しいんだよ。国を背負う外交って飛び切りタフで繊細でないと務まらないよ。
外交は国の命運を握る。言葉の交渉は武器を使わない真剣勝負だ。日本は島国で地続きの国境が無い。地勢的に剣呑な外交に慣れる機会が少ない国なんだ。外交力が育ちづらかった。真の外交ってナンナンダってことになったのは欧米に本気で睨まれ始めた幕末からになるんだろうな。
今回の東京五輪だけど、招致の段階から今に至るまで、ずっと外交的に負けているように見える。まるでオリンピックという魔物に食い物にされてるように見えるよ。バッハさんに一切逆らえない関係性もそうだし、米国での放映権のために真夏に開催しなきゃならない縛りもそうだし、開会式も日本側の態勢も情けなかったけど、IOCからの横やりもあったんだろ、「イマジン」使えとか。
日本は開催国として金を出すだけ出して、肝心な処で口を出されるんじゃ、しょうがないよな。
ボランティアは待遇の不備に声をあげていい
BLOGOS編集部
あとね、オリンピックで言いたいことがあって、新国立競技場に誰も食べない弁当が運ばれて大量廃棄されてた問題があったよね。無観客になってボランティアが減ったけど、弁当は減らなかったというちぐはぐな一件。
でね、その一件にもつながると思うんだけど、俺の知り合いに今回のオリパラで医療ボランティアをしてる人がいて、その人に色々とボランティアの内情を聞いたんだ。そしたらさ、弁当の話がいたたまれなくってね。その人がボランティアした施設で、お昼におむすびが出たんだって。だけど何も具が入ってなくて、塩でむすんだ塩むすび。それだけ。それじゃあ戦時中の労働奉仕だよ。
塩むすびが悪いわけじゃなくて、おむすび出すんだったら、梅があって、シャケがあって、塩むすびがあって、そこから選べりゃいい話だろ。電通は中抜きで、ボランティアのおむすびは具抜き、呆れちゃうよ(苦笑)。
ボランティアの方はパラリンピックも続くし大変だろうけど、ガンバってほしいね。でね、現場でどういう待遇だったか普通に報告してほしい。大会運営に関わる人材派遣会社ばかり中抜きして、下のボランティアにまともな食事すら支給されないなら、それを声にあげて、この東京五輪の記録として残してほしい。
大都市開催はもういらない アマチュア大会に立ち返れ
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年が明ければすぐに北京で冬季五輪、3年後にはパリ五輪。その後がロサンゼルス、ブリスベン(オーストラリア)か。オリンピックの問題は山ほどあるけど、もう、先進国や大都市での開催はいらないよ。考え直したほうがいいよ。
1964年の東京五輪で、交通などのインフラ整備が大きく進んだわけだ。オリンピックってそういう効果がベターだと思う。当時は日本橋の上に高速道路作ったりして、さすがにやり過ぎた面もあったけどね。
すでにインフラが確立した大都市で、オリンピック用に新しい競技場を幾つも増やして、その後誰が使うんだってことになるより、基本的にはその都市の日常に関わるインフラ整備が進むのがいい。中東でもアジアでもアフリカ諸国でも、インフラ整備の資金を必要としている都市はたくさんあるんだから。
オリンピックを限られた人たちが儲かる商業主義から卒業させたいな。でもって、貧困、災害、内戦、医療不足、色々と足りてない国や都市で持ち回りになるようにしたい。地球全体が生き残るためにオリンピックが利用されたらいいよな。
1984年のロサンゼルス大会でサマランチ会長がオリンピックをアマチュアから切り離して、プロをどんどん入れて、広告を売りまくって、今に続く商業主義に染めちゃったわけだけど、そういう五輪はこの辺で切り上げて、クーベルタンが掲げたアマチュアリズムに立ち返ってほしい。
みんな見慣れてきちゃったけどさ、年収何億とか何千万とか稼ぐプロスポーツ選手がメダル争う姿って、やっぱり変な気がするよ。
(取材構成:松田健次)