サッカーファンは“ハムレットの悩み”
イングランドの劇作家ウィリアム・シェイクスピアの劇「ハムレット」の中でデンマーク王子ハムレットが、「生くべきか、死すべきか、それが問題だ」と呟く場面があるが、カタールで20日から開かれる国際サッカー連盟(FIFA)主催のサッカー世界選手権大会(W杯)の開幕を前に、世界のサッカーファンの中には、「カタールで行われるサッカー試合を観るべきか、断念すべきか、それが大問題だ」と深刻に悩んでいる人もいるという。
「何のことか」というと、「カタールはW杯の開催権を金で買い取った。そのうえ、サッカー場の建設では多くの外国労働者を動員し、彼らを酷使して近代的なサッカー場を建設した。多くの外国労働者は灼熱の下で10時間以上働き、わずかな賃金しか受け取らなかった。過労のため亡くなった外国労働者は多い」ということから、サッカーファンの中には、「労働者の権利を蹂躙し、多くの労働者の犠牲によって建設されたサッカー場での試合を観ることは人道上から考えても許されない」という理由で、「サッカー試合は観たいが、しかし、観ることは出来ない……」といったハムレットのような葛藤に悩まされているというのだ。
もちろん、そのような葛藤を感じることなく、サッカーの試合をエンジョイしたいと考えるファンは少なくない。ひょっとしたら、そのほうが多数派だろう。ただ、西側メディアが葛藤するハムレット型ファンの動向を多く報道することもあって、「カタールのW杯は開催すべきではなかった」といった、遅すぎた嘆き節がここにきて聞こえてくるわけだ。
ドイツ民間放送がカタールのW杯開催について、街でサッカーファンの声を拾っていた。若い男性は、「サッカーは好きだが、カタールの開催はやはり間違っていると思う」という。それではW杯期間中、試合を観ないのか、という質問に対して、その男性は少し顔を曇らせながら、「ドイツのチームが出る時ぐらいは観たい。他の試合は見ないつもりだ」と答えていた。ドイツのハムレットの偽りのない声だ。
2010年、FIFA主催の第22回W杯開催地の誘致でカタール開催が決まると、西側メディアは「金で買ったW杯」と批判し始めた。批判にはそれなりの理由はある。カタールにはサッカー文化がない。サッカーを国技とする英国などからみたら、カタールでスポーツといえばラクダレースしかない、という素朴な疑問が出てくるわけだ。
一方、カタールは開催が決まると、サッカー場の建設ばかりか、交通ネットワークなどインフラに巨額の投資をしてきた。独メディアによると、カタールは2010年以来、総額2000億ドルをW杯のインフラ整備のために投資してきたという。開催日は灼熱下では選手たちも大変だということで11月開催に落ち着いた。
中東の地の初のW杯開催はカタールにとって大きな勲章だ。そのため、西側から批判が集中した外国人労働者の待遇問題についても、新しい労働法を施行し、労働条件を改善してきた。国際労働機関(ILO)もカタールの努力を評価、「カタールの労働条件は2019年以来、著しく改善されてきた」と認めているほどだ。
ちなみに、カタールの人口は約250万人だが、純粋にカタール人はその10分の1で、他は外国国籍者だ。同国で労働する国民は主に外国人といわれる。カタールには世界90カ国以上の外国人が働いている。カタールで働く1人のアジア出身の労働者は、「賃金はあまり高くないが、自分の国よりいい」という。カタールの建築現場で働きながら給料を故郷の家族に送る出稼ぎ労働者が多いわけだ。なお、首都ドーハにあるサッカーアカデミーには約2000人、70カ国以上の出身者が登録しているという。
西側メディアが、「カタールでは多くのイスラム教国と同様、女性の権利は蹂躙され、社会的地位は低く、性的少数派を拒否している」と報じると、女性権利の人権擁護グループや欧米の性的少数派グループが激しく噛みつく、などの展開がこれまで続いてきた。
カタールは国のプレスティージのためにサッカー場だけではなく、道路、交通機関などを整備してきている。キックオフまでに一定のインフラは整備されたが、カタールのサッカー試合を観戦する外国人ファンを収容するホテルの数が少ないといわれ出した。カタール側も初の世界的スポーツイベントだけに試行錯誤している、というのが現状だろう。
カタール主催のW杯の舞台は既に準備されている。今更、カタールW杯ボイコットを叫んでもあまり意味がない。開催される以上、中東初のW杯開催が成功することを願うだけだ。世界のサッカーファンの多くはテレビ観戦となるが、見るか、見ないかといったハムレットのように苦悩することは精神上良くないから、ここは割り切って、試合(チーム数32、試合数64、11月20日~12月18日)を堪能するほうがいいのはないか。
労働者の権利、女性の権利を含むカタールの人権問題を理由にW杯開催をボイコットすることには無理がある。中国共産党政権下で北京冬季五輪大会が開催されたばかりだ。北京冬季大会の開催では中国の少数派民族ウィグル人や法輪功メンバー弾圧など人権問題を理由に北京開催中止を求める西側メディアの報道はあまりなかった。カタールの「西側メディアのダブルスタンダート」(タミム・ビン・ハマド・サーニ首長)という批判は残念ながら間違ってはいない。
当方は、というと、ウィーンでカタールのW杯を時間の許す限りテレビ観戦するつもりだ。日本チームの健闘を祈る。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年11月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。