SNSで承認欲求を満たそうとする人は孤独である仮説

アゴラ 言論プラットフォーム

インスタグラムやフェイスブックには、たくさんの人とグルメな写真や華やかなパーティーの様子など「リア充」の報告がアップされています。

中には、数十年前の学生時代の写真を掲載する強者もいます。

かく言う私も、食べるのが好きなので、自分が行ったお店の写真をアップしたりしています。備忘録も兼ねて書いていますが、アップすると「いいね!」がどれぐらいついているかは、やはり気になります。

数が多ければ、たくさんの人に見てもらえていると感じ、承認欲求が満たされた気分になるのは否定しません。SNSに写真や動画をアップする人のほとんどは、恐らく私と同じように承認欲求を求めているのだと思います。

しかし、リアルな世界ではなくSNSに依存しているということは、裏返せばSNS以外の日常生活での承認欲求が満たされていないことを示唆します。

日常生活で、周りにいる人とのコミュニケーションに満足している人は、敢えて不特定多数に何かを求める必要はないからです。お互いに深く理解している身近な友人やパートナーと、共通の興味について語り合えば、それで充分です。

SNSで華やかで「リア充」な毎日を披露している人ほど、実はリアルな生活に満ち足りない何かを感じている。その逃げ道が、SNSでの承認なのかもしれない。最近感じている私の仮説です。

もちろん中には、純粋な情報提供や、近況報告のためにアップしている人もいるでしょう。あるいは、ビジネスのプラスになるブランディングのために投稿している人もいます。

そんな中で、承認を得るために、少しでも自分を大きく見せようとしている投稿を見ると、その笑顔の裏に何か大きな闇を感じてしまいます。

SNSでの承認欲求は麻薬中毒のようなものです。承認されると更に強い承認が得られないと満足できなくなっていく。

拡大する欲求の無限ループから抜け出すためにやるべき事は、映える投稿を繰り返すことではなく、リアルな孤独から脱却することです。

scyther5/iStock


編集部より:この記事は「内藤忍の公式ブログ」2023年1月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。

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