1539年。日本に銃が伝来する前のお話です。
日本に初めて銃がやって来たのは、戦国時代の1543年(今から481年前)のことでした。鹿児島県種子島に漂着したポルトガル人から銃が日本に初めて伝えられ、その後銃は、織田信長をはじめとする戦国武将に注目され、全国に広まってゆきました。
今回、アメリカで今から485年前に使用された可能性のある最古の銃(青銅製の大砲)が発見されました。この大砲は、アリゾナ州の研究チームが、コンキスタドールのフランシスコ・バスケス・デ・コロナドに関連する青銅製の大砲であり、北米大陸で見つかった最古の銃であると発表しました。この研究結果は、International Journal of Historical Archaeologyにて発表されています。
スペイン人と先住民闘いの地で発見
この大砲は、南アリゾナ州にあるスペインの石造りとレンガの建物の床から発見されました。おそらくこの銃は2人で操作し、構造物や三脚を支えとして使用していたと考えられています。研究チームはこの銃をコロナドの時代に遡り、状態の良い状態のこの銃が、スペインによってこの場所に放置されていた理由を推測しました。
コロナドは、現在のアメリカ中部は宝物に満ちている都市があるという話に触発され進軍を行ないました。しかし、そのような都市が存在したという事実はなく…。それでもコロナドの遠征隊は大陸を横断しながら土地を占領し、先住民を奴隷化していったそう。
この研究の筆頭著者のデニ・セイモア氏は米ギズモードに対して
「この大砲が発見されるまで、コロナド遠征に関連する火器は発見されていませんでした」
と述べています。
この長さ42インチ(約1.07メートル)、重さ約40ポンド(約18キロ)の銃は、1539年から1542年の間にアリゾナを通過したコロナド遠征隊から回収された初めての火器です。コロナドの遠征隊は最終的に現在のカンザス州中央部まで進んでいます。
さらにセイモア氏は、
「この証拠を確認し現地を訪れた専門家全員が、この場所がコロナドの拠点であり、戦闘と入植地の証拠であると認識しています。この大砲とそれを巡る戦闘は、スペイン人が150年間戻らなかったことから、大陸アメリカにおいて初めて成功した先住民の反乱を象徴するものです。」
と述べています。
この入植地は地元のソバイプリ・オオダム族による攻撃を受け、「豊富な戦闘の証拠が残されている」と研究者たちは論文で記録しています。そこには、クロスボウのボルト、矢じり、鉛の弾丸、そして武器の破片が含まれていました。この戦闘は1541年に起こった可能性が高く、銃が放棄されたのは483年前であると特定されています。
銃は時代遅れだったため放置されていた
この銃の設計は1400年代中期から後期にさかのぼると研究者たちは結論付けています。これにより、遠征時点では「ほとんど時代遅れ」であったことがわかります。これが、アメリカ大陸奥深くまで運ばれることなく、あるいは遠征隊が帰路につく際にメキシコへ持ち帰られることもなく、アリゾナに放置された理由かもしれません。この遠征は荷車やカートを持ち込んでいたという記録がないため、すべての装備が人や動物によって運ばれていました。しかし、通常ではこれほど高価な武器が放棄されることは考えられず、入植地が攻撃を受け、スペイン人が逃げざるを得なかったことを示唆しています。
セイモア氏は、
「同じ鋳造所で作られたと思われるもう一つの大砲もあります。その2つ目の大砲は戦闘中に爆発しました。」
と語っています。
この大砲のシンプルなデザインから、研究チームは、この大砲がスペインではなく、メキシコまたはカリブ海地域で鋳造された可能性が高いと考えています。スペインで鋳造された武器はより装飾的であることが一般的だからです。もしこの大砲が大西洋のこちら側で製造されたことが確認されれば、研究者たちは、それが新世界で製造された現存最古の火器になるだろうと述べています。
さらなる考古学的調査によって、この銃がどの程度広く使用されていたのか、またスペイン人が南アリゾナでどのようにして先住民に敗れたのかを詳しく明らかできそうです。この銃は、アメリカ南西部における文化衝突の時代を理解する貴重な手がかりとなりそうです。