「上司にほめられて自己肯定感が上がった」
「テストの成績が伸びず、自己肯定感が最近下がっている」
など、「自己肯定感」という言葉は多くの人が知っていて日常的に使う言葉になった。普段からこの言葉を使っている人は、「これが自己肯定感だ」ということを感覚的に持っているはず。しかし、その自己肯定感は本物だろうか。
「上司にほめられて自己肯定感が上がった」がありえないわけ
『鋼の自己肯定感~「最先端の研究結果×シリコンバレーの習慣」から開発された“二度と下がらない”方法』(宮崎直子著、かんき出版刊)は自己肯定感の誤解と真実に迫る。ここで、自己肯定感についてよく使われる言い方を見てみよう。
「今の上司はよくほめてくれるから自己肯定感が上がる」
「自分の給料が同年代の平均以下だと知って自己肯定感が下がった」
こんな使い方をしていないだろうか。特に違和感はない使い方に思えるが、実際はこの使い方はちょっとおかしい。「自己肯定感」という言葉は広く認知されるようになった一方で、その定義はあいまいになってしまった。上記の使い方は、自己肯定感をぼんやりと「自信」程度の意味合いで使っているといっていい。
しかし、自己肯定感とは、他人にほめられたから上がったり、自分のどこかが周りと比べて劣っているから下がったりするようなものではない。もしそう考えているのだとしたら、あなたの思う自己肯定感は、自己肯定感ではない。それはおそらく「自己有用感」(誰かの役に立っているという気持ち)や「自己効力感」(自分は何かができるという気持ち)である。
本書によると、自己肯定感とは「何があっても自分の味方でいること。つまり、自己肯定感を上げるとは、自分を世界一の親友にすること」だとしている。成功しても失敗しても、誰かの役に立たなくても、何もできなくても、変わらない自分への愛が自己肯定感なのだ。
過度な自己犠牲に走る人たち
自己肯定感と自己有用感や自己効力感を混同することは危険かもしれない。自己肯定感の低さを、誰かの役に立って自己有用感を得ることで補おうとすることになりかねないからだ。人の役に立とうとする気持ちはすばらしい。しかし、自己肯定感が低い人は「ありのままの自分には価値がないから、人の役に立たなければならない」と考える。そうなると、自分のやりたいことよりも、他人の役に立つことを優先してしまいやすい。過度な自己犠牲に走ってしまうというわけだ。そしてこういう人は、他人にも自己犠牲を期待してしまいやすい。
自己効力感も同様で、「ありのままの自分の価値」を認めないまま自己効力感を高めても、いい結果にはなりにくい。自己肯定感が低くても仕事やスポーツで成功を収めることはできる、それによって人は自己効力感を持つことができる。しかし、それは仕事やスポーツがうまくいっているから持つことができる感情であり、スポーツ選手としての全盛期が過ぎたり、仕事で失敗が続くと自分の存在価値が揺らいでしまうのである。
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真の自己肯定感は、成功にも失敗にも、他者からの期待にも失望にも左右されない。だから、自己肯定感が高い人は、無理に他人に合わせることも、失敗をひきずることも、新しいチャレンジを恐れることも、課せられている課題をさぼって自己嫌悪に陥ることもない。幸せな一生を送るうえで最強の武器である。
本書では自己肯定感の本当の定義と、それを得る方法について最新の研究結果を交えて解説していく。少しのことで落ち込んだり傷ついたりする人は、本書を一読すると自分の今の状態と変えるべきポイントがわかるはずだ。(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。