80代で元気な人は「若者に理解がある老人」を演じない…恥ずかしい感情を捨てる


※画像はイメージ(新刊JPより)。
※画像はイメージ(新刊JPより)。

 「人生100年時代」と言われて久しいが、本当に100歳まで生きるとすると、70歳の時点で残りの人生が30年残っていることになる。若い頃は不摂生をしてもさして健康状態に差が出なくても、ある年齢を超えると、「健康でいきいきしている人」と「どんどん老いていく人」の違いは大きくなっていく。「無理に若々しくいたくない」という人でも病気で苦しむのは嫌だし、自分の体を思うように動かせる状態でいたいとは思うのではないだろうか。

80代でも元気な人がいる一方、70歳で死ぬ人もいる

 『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』(和田秀樹著、マガジンハウス刊)は70歳を「人生のターニングポイント」として、この年齢を過ぎてもいきいきとしている人と、そうでない人の違いを教えてくれる。知人が大病を患ったり、同世代の喪中はがきが届いたり、もちろん自分の老いを自覚したりと、70歳前後は「死」をリアルに感じ始める年代でもある。ただ、一方で80歳を過ぎてもはつらつとしている人もいる。彼らはどんな生活習慣を持っているのだろうか。

格好悪くても使えるものは取り入れる

 歩くのがつらくなったり、耳や目が悪くなったり、これまでできていたことができなくなっていくことを認めるのは、誰だってつらいもの。ただ、多少の衰えはあっても自分に備わっている能力があるならそれは大切にして、器具や道具の助けを借りるのも一つの手だろう。

 老眼が進めば老眼鏡をかけるのに、補聴器や杖の助けを借りるのは抵抗がある人は多い。ただ、足が悪くなったから歩くのを諦める人と、杖や手押し車を使ってでも歩こうとする人では、体力だけでなく人生の充実感が変わってくる。恥ずかしいと思わず、使える道具は何でも使って人やりたいことやる、できる範囲で楽しむことが80歳を過ぎてもはつらつとした人の生き方だ。

「若者に理解のある老人」を無理に演じる必要はない

 高齢になってくると、自分の考えや意見を「もう古いのかな」「偏屈だと思われるかもしれない」ということで言わずに飲み込んでしまうケースは多い。「若い人に合わせなくちゃ」と本当は納得していないのに、無理に自分を納得させるケースもあるだろう。時代錯誤的な発言で叩かれるベテラン政治家や経営者、知識人は後を絶たない。そう考えてしまうのも仕方がないかもしれない。

 しかし、あたりまえだが何歳になろうと自分の意見は自由に表明していいはず。叩かれるのだとしたら、それは老人が発言するからではなくて、知識がアップデートされていないからだ。だから、何歳になっても新しい知識を仕入れて自分の考えをアップデートしていくことが、何歳になってもいきいきとしていられる秘訣である。

 それさえできていれば無理に若者に理解を示す必要はないし、偏屈だと思われることを恐れることもない。人生経験豊富な人の意見が役立つ場面は、きっとある。

 体力や知力をできる限り維持する方法や、メンタルの持ち方まで、本書では80歳を超えても人生を楽しみ続けるために必要な知識が解説されている。人生が100年あるなら100年丸々充実した毎日をすごすために、大いに参考になってくれるはずだ。(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

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