人間はこの世に生まれたその日から、数々の “初めて” を体験する生き物。それは命を全うする最後の日まで続いていくのかもしれない。例えば御年75歳のわが父・ヨシオさんがつい先日「サイゼリヤデビュー」を果たしたように。
父は初めてのサイゼリヤにいたく感動していたようで、私(サンジュン)も最初は「良かったね」と言っていた。……のだが、色々とあり最終的には「うるせえ!」となってしまったことをご報告したい。
・小金持ちだったがゆえ
私が小学生を卒業する頃までは、かなり景気が良かったヨシオさん。父が建てた家の最寄りの駅は「JR本八幡駅」で、いみじくも「サイゼリヤ1号店(現在は資料室)」があった場所である。
今となっては「ずいぶんと贅沢をさせてもらっていたんだな」と思うが、当時ヨシオさんと一緒に外食するときは「ふぐ」or「焼肉」の二択だった我が家。チェーン店などは論外で、ファミレスは母がこっそり連れて行ってくれただけだ。
食に関してはやや過保護に育てられたためか、給食が食べられなくて放課後まで居残りすることはザラだったし、今では反動でジャンクフードが大好きになってしまっている。それでもそれなりに味覚が発達しているのは、やはり父と母のおかげなのだろう。
・ひょんなことから
さて、私が中学を卒業する頃にはかなり我が家の財政も傾いており、父も稀にチェーン店で食事をするようになっていた。今では一緒に「スシロー」にも「餃子の王将」にも行くが、なぜか『サイゼリヤ』に足を踏み入れたことは無いらしい。
現在父は千葉県で1人暮らしをしており、私もたまに娘を連れて父の家へ行っている。そしてつい先日、父の家にいると「晩ご飯でも食べようか?」という話になり、娘(父にとっては孫)の鶴の一声で『サイゼリヤ』で食事することが決定した。
6歳にして娘はおそらく通算30回以上はサイゼリヤで食事をしているハズ。「間違い探し」と「アロスティチーニ」が大好きで、特に付属のスパイスに目がない。父も従順なほど孫の言いなりなため、あっさりと『サイゼリヤデビュー』が決定した。
で、サイゼリヤにやってきた父がまず驚いたらしいのは、その安さ。注文が終わってもメニュー表を閉じようとしない父は、私に向かい何度も何度もこう繰り返していた。
父「サンジュン、安いな」
──うん、安いでしょ。
父「これ(青豆のサラダ)なんて200円だぞ?」
──うん、安いんだよ。
父「いやー、肉も安いな。ピザも安いな。サラダも安いな。これは流行るワケだよ」
──そうだね。
父「向こうのテーブルの老夫婦を見てみろ。あの学生たちを見てみろ。ああいう人たちもこれくらい安ければ安心できるな」
──うん、そうだね。
父「酒も安いな。ワインもすごく安いぞ? これなら流行るな」
──うん、安いんだよ。それに流行ってるんだよ。
私も父とは45年の付き合いである。これくらいのことで「うるせえ!」とは思わない。……が、到着した料理に感動をした父のテンションはさらに高くなっていったのであった。
父「サンジュン、おいしいな?」
──うん、おいしいでしょ。
父「私なんてこれくらい美味しければ十分だよ」
──そうだよね。
父「ボリュームは無いけど、それがまたいいな。色々とつまめるじゃない?」
──そうだね。
父「レイちゃん(孫)が好きな羊の肉も美味しいな。私も気に入ったよ」
──そう、よかった。
父「しかし……安いな。私なんかは考えられないくらい安いな」
──そう、だから安いんだってば。
父「それでこれくらいの味が出せるなんて、これは流行るな」
──だからだいぶ流行ってるんだって。
父「それにしても……安いな? やっぱり流行ってるだけの理由があるな」
──うるせえ! もう安いのはわかったから!! 俺は30年前から知ってるから!
・でも良かったです
なお、父は私と娘がデザートを食べ終えた後「最後にスパゲティでも食べようかな」と、全く空気を読まない注文をしていたことを記述しておく。
これは焼肉屋で「肉を食べ終えた後、最後にスープを注文する風習」から来ているため父に悪気はないのだが「もう、サイゼリヤってそういうお店じゃないから!」とやや苛立ってしまった。徐々に慣れていこうぜ、ヨシオさん。
最後に会計を済ませた父はトドメの「安かったな」を放ったが、私はおとなしく「ごちそうさまでした」と告げた。別れ際「今度は娘たちも呼んでみんなで行こうな」と言っていたので、我が家にだいぶ遅いサイゼリヤブーム到来の予感である。
参考リンク:サイゼリヤ公式サイト
執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.