嘘のようで本当なのか、本当のような嘘なのか。その信憑性はさまざまだろうが、都市伝説と呼ばれる話は面白い。
ピアスの穴から白い糸が出て来てそれを抜いたら失明したとか、口裂け女が現れたとか。最近では何かと秘密結社が関係してくる陰謀説的な都市伝説も多い。
そんなの嘘だろ、とか思いつつも心のどこかで信じようとしている自分がいる。もし本当だったら面白いからだ。都市伝説が広まるのは、そんな人間の心理をついているからだと思う。そして、そういう話に興味があるのは現代の人間だけでなく、昔の人たちも同じだったようである。
今から200年以上も前、奇談や噂話を披露する「兎園会」と呼ばれる寄合いがあり、そこで発表された話が兎園小説としてまとめられているのだ。つまりそれは江戸時代の都市伝説なんだと思う。
今回はその兎園小説の第14話に収録されている「うつろ舟の蛮女」という都市伝説の謎に迫ります。
※2008年9月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
異国からの舟なのか、それともUFOか?
「うつろ舟の蛮女」とは、ざっと次のようなあらすじである。
1803年2月22日、常陸国の「はらやどり浜」の沖合いに舟のようなものが浮かんでいた。漁民たちがそれを捕まえて浜辺に引き揚げると、中から異様な姿の女性が出て来た。髪と眉毛が赤く、肌は桃色、白くて長いつけ髪を垂らしている。女性は60センチ四方の箱を大事そうに抱えて片時も離そうとしない。言葉が全く通じないので、どこから来たのか訊くことも出来ない。
舟は丸く長さが約5メートル、上部はガラス張りで繋ぎ目が松ヤニで塗り固めれ、底には円形で鉄の針金が張ってある。船内を見ると、判読出来ない文字が書かれていて、他に水が4リットル、敷物が2枚、肉を練った食べ物、お菓子のようなものがあった。
村の古老が察するところ、「浮気をした異国の王女が刑罰で流されて来たのだろう、抱えている箱の中には浮気相手の男性の首が入っているに違いない」という事らしい。
この事を幕府に報告するとお金がかかったり何かと面倒な事になるので、村人たちは再びそのうつろ舟を沖に戻してなかったことにしてしまった。
この話の凄いところは、
・中に入っていた人が生きていたところ
・古老の想像力
・結局なかったことにしてしまったところ
といったあたりだと思う。
更に、中に書かれていた南蛮文字が実はアルファベットにはない文字で、もしかしたら宇宙人の乗った宇宙船だったという可能性もあるらしい。江戸時代の茨城県に宇宙人が漂着していたかもしれないのだ。それは凄い事である。
この話についてもっと知りたいので、茨城県の鉾田市に向かう事にした。鉾田市の大竹海岸に「うつろ舟伝説」のモニュメントがあるらしいのだ。そこに行けば新たな事実が分かるかもしれない。
東京から鉾田市の大竹海岸へ
まずは、上野から特急電車「スーパーひたち」で水戸を目指す。列車に乗り込む前に、朝ご飯に駅弁を買った。
偶然手に取ったお弁当が「うつろ舟」のような形をしていた。上野駅の駅弁屋で「当店人気No.1」だった「幸福弁当」である。
うつろ舟の謎に迫る旅、幸先がいい。
上野から1時間とちょっとで水戸に到着した。
幸福弁当はおいしかった。
水戸駅からはワンマン運転の鹿島大洗線に乗り換える。新鉾田という駅が大竹海岸の最寄りになるが、駅から海岸までは6キロほどある。乗り換え案内で「徒歩85分」と出たので途方に暮れそうになったが、ネットでタクシー料金を調べたら2000円弱と出た。新鉾田からはタクシーで海岸に向かう事にした。
新鉾田に着くまでに要した時間は約3時間。思ったよりも遠かった。
駅前に停まっていたタクシーで大竹海岸に向かう。
タクシーは細くてクネクネした農道を走っていく。対向車が来たらどうするんだろう? 乗っている間ずっと不安だったがその心配は無用だった。対向車は1回も来なかった。
「もう、シーズンじゃないから」
と運転手さんが言った。大竹海岸は海水浴場なのだ。この時期、海水浴に来る観光客なんていない。
新鉾田から15分ほどで大竹海岸の入口に着いた。看板に「いばらぎのゴールドコースト」と書いてある。
料金を支払いながら運転手さんに「うつろ舟のモニュメントはどこに?」と聞いたら「そんなの知らない」と言われた。
え?
運転手さんは「うつろ舟伝説」そのものを知らないようだった。
派出所があったのだが駐在さんは留守だ。周囲に人の姿は見えない。
仕方ない。
とりあえず海辺に向かおう。
うつろ舟のモニュメント、本当にあるのか?