ロシアの「報道の自由」は消滅した

アゴラ 言論プラットフォーム

5月3日は「世界報道自由デー」(World Press Freedom Day)だ。報道の自由の重要性を喚起し、各国政府が世界人権宣言の第19条に基づく表現の自由を尊重し支持する義務を認識するために、国連総会で定められた日だ。祝日や記念日が多くなった昨今だが、ジャーナリストの1人として5月3日の重要性は格別だ。過去、報道の自由を死守するために命がけで戦った先人達がいる。犠牲になったジャーナリストは21世紀に入っても決して少なくはない。

ロシアのジャーナリスト、ウラジーミル・カラムルザ氏 Wikipediaより

中欧の地、ウィーンに住む1人として、やはり現在、ロシアの「報道の自由」、「言論の自由」の状況に懸念を感じざるを得ない。最近では、2人のジャーナリストの裁判が注目された。1件目は、米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの米国人記者エバン・ゲルシコビッチ氏が3月末、スパイ活動の容疑で連邦保安局(FSB)に逮捕された。同氏は今月18日、モスクワ市裁判所に出廷し、モスクワ・レフォルトボ地区の裁判所が5月29日まで同氏の拘束を認めたことに不服を申し立てたが、却下されたばかりだ。

もう1件は、ロシアの評論家、ジャーナリストのウラジーミル・カラムルザ氏(41)が今月16日、モスクワの裁判で懲役25年の判決を言い渡された。これは、ロシアで反対派の人物に科された史上最高のペナルティだ。同氏は過去、2度の毒殺の危機を生き延びてきた。同氏はプーチン大統領の最も厳しい批評家の1人と考えられている。

ここでは、ロシア人で言論の自由のために戦っているカラムルザ氏に焦点を合わせる。同氏は、「反逆罪」、ロシア軍に関する「虚偽の情報の流布」、および「望ましくない」組織のために不法に働いた罪で有罪判決を受けた。同氏は、モスクワの裁判を1930年代のスターリンの見世物裁判の1つと比較し、「自分が言ったり、書いたことはすべて事実であり、それを誇りに思っている」と述べている。

プーチン大統領が昨年2月24日、ロシア軍をウクライナに侵攻させた時、これは戦争ではなく特別軍事行動と称し、戦争と呼んだ人物は刑に処されると語ってきたが、カラムルザ氏は、「わが国の軍が隣国を侵略し、戦争を行っている」と述べ、CNNとのインタビューでは「ロシアは殺人者の政権だ」と厳しく批判したため、同年4月に逮捕された。同氏は、「犯罪者はその行為で罪を償わなければならないが、私は政治的見解のために刑務所にいる。私は暗闇がわが国を覆う日が来ることも知っている」と語っている。カラムルザの弁護士、マリア・アイスモント氏は、「裁判では数多くの法違反があった。上訴する予定だ」と表明している。

モスクワの裁判所の判決が報じられると、国際社会から非難が飛び出した。英国はロシア大使を召喚し、判決を「政治的動機」と批判。ドイツ政府は「即時釈放」を要求。国連人権委員会のフォルカー・テュルク委員は、「ロシア当局にカラムルザ氏の釈放を要請する」と訴えた。

カラムルザ氏は2015年と17年の2度、毒殺の危機に直面している。同氏の弁護士の話によれば、同氏の健康状況は良くない。彼の状態は刑務所で悪化し、時々体調が悪くなるという。同氏は反体制派活動家アレクセイ・ナワリヌイ氏(46)と同様、FSBの工作員によって毒殺されようとした。カラムルザ氏は、2015年にモスクワで射殺された野党指導者ボリス・ネムツォフの顧問だった。同氏は昨年、欧州評議会の名誉あるヴァーツラフ・ハベル賞を受賞している。

ちなみに、ロシアの著名な反体制派活動家、ナワリヌイ氏は2020年8月、シベリア西部のトムスクを訪問し、そこで支持者たちにモスクワの政情や地方選挙の戦い方などについて会談。そして同月20日、モスクワに帰る途上、機内で突然気分が悪化し意識不明となった。最終的にはドイツのベルリンの病院に運ばれた。ベルリンのシャリティ病院はナワリヌイ氏の体内から旧ソ連の軍用神経剤「ノビチョク」を検出し、何者かが同氏を毒殺しようとしていたことを裏付けた(「ロシア反体制派活動家の『妻』の声」2023年4月6日参考)。

欧州で記憶に残るジャーナリスト殺人事件としては、スロバキアで2018年2月25日、同国の著名なジャーナリスト、ヤン・クツィアクシ(当時27歳)が婚約者の女性と共に自宅で銃殺された事件がある。同氏は政治家や実業家の腐敗や脱税問題を調査報道することで国内で広く知られていた。同事件は欧州全土に大きな衝撃を投じた。また、2017年10月、マルタでタックスヘイブン(租税回避地)の実態を暴露した「パナマ文書」の内容を報道した女性ジャーナリスト、ダフネ・カルアナガリチアさん(当時53)が車の運転中、仕掛けられた爆弾が爆発して殺された。政治家の腐敗や汚職を暴露してきた著名な報道ジャーナリストだったカルアナガリチアさんは、「マルタのムスカット首相の妻らがパナマに会社を置き、資産を隠していた」との疑惑を報じていた(「スロバキア『ジャーナリスト殺人事件』」2018年3月2日参考)。

当方は一介のジャーナリストに過ぎないが、それでも取材中に何度か危険にさらされた体験がある。冷戦時代、ブラチスラバで「宗教の自由」を訴えた集会を取材中に治安部隊に逮捕され、7時間余り尋問を受けた。チェコのプラハでは当時、反体制派指導者だったヴァーツラフ・ハベル氏(後に大統領)の集会を取材中に警察官にマークされた。ウィーンでは毎朝7時きっかり、自宅に電話がかかってきた。電話は1週間ほど続いただろう。相手は沈黙するだけだった。当方は当時、脅しの電話をモーニング・コールと呼んで平静を装っていたが、やはり嫌なものだった(当方は誰が電話しているかを知っていた)。1度は3人の北朝鮮工作員に尾行され、プラハでは少々危なかった。今となっては思い出に過ぎないが、ジャーナリストという職業はやはり危険が伴うものだ(「30年前のロウソク集会の思い出」2018年3月27日参考)。

参考までに、「言論の自由」の蹂躙やジャーナリストへの迫害はロシアや中国の全体主義、共産主義国ではよくあることで、そこで取材するジャーナリストには予め決意と準備が必要だろう。一方「メディアは第4権力」と呼ばれ、「報道の自由」、「言論の自由」を豪語する日本で「記者クラブ制」が存在し、ジャーナリストの取材活動が制限されている。偽善ではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年4月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。