くじ引きで「天の声」聞く?

アゴラ 言論プラットフォーム

ポーランドの憲法裁判所が裁判官への懲戒処分を実施する権限を有しているとして、欧州連合(EU)から「司法の独立性に反し、EUの法に合致しない」と批判されているが、連邦裁判官を抽選で決めることの是非を問う国民投票を行おうとしている国がある。アルプスの小国スイスだ。

占用のタロットカード(ウィキぺディアから)

スイス放送協会のウェブサイト「スイス・インフォ」からニュースレター(11月2日)が送られてきた。スイスで現在、連邦裁判官の選出を抽選方式にするよう求めるイニシアチブ(国民発議)が提起されているというのだ。

スイスでは裁判官は政党に属し、連邦議会で選出される。この制度を改革し、裁判官に対する政党の影響を少なくするために、抽選で連邦裁判官を選出すべきだ、というイニシアチブが提起されたのだ。

今回の国民発議はスイスでも最も裕福な企業経営者の一人、アドリアン・ガッサー氏を中心とする市民委員会が提出したものだ。彼らの目的は司法の非政治化だ。現在の司法制度では三権分立が成立しておらず、司法は立法の延長線上にあるというわけだ。

国民発議によれば、専門委員会が能力や資格を検討して連邦裁判官候補者を選び、その後、抽選で最終的に選出する。裁判官の再任選挙を廃止し、年齢制限は70歳まで。例外は、裁判官が病気で公務執行能力がなくなった時、汚職などを犯した場合には、連邦政府と議会が裁判官の解任を承認するという。

抽選で連邦裁判官を決めるという発想はとてもユニークだ。同時に、民主主義という名目で汚職や腐敗がまかり通る現実の政界、司法界を刷新する手段として、抽選で裁判官ばかりか、政治家さえ選出する方法は案外、現実的ではないか。くじ引きで選出された場合、政党やしがらみから自由となる。無党派の政治家、裁判官が選ばれる道も開く。

ドイツ語では「Der Mensch denkt Gott lenkt」(人は考え、神が導く)という諺がある。人間は決定を下すとき、様々な要因を考える。考えすぎて決定できなくなることも出てくる。一方、神はその人間に最善の道を提示する、という意味合いだ。くじ引き抽選という選出方法は人知を超えた神の働きを期待する意味合いがある。くじ引きは神の意思表示を提供するチャンスともなる。

くじ引きで何かを決める方法は歴史が長い。例えば、新約聖書「使徒行伝」にはイスカリオテのユダがイエスを裏切ったために空席となったイエスの12番目の弟子を決める際、くじ引きが行われている。

「使徒行伝」1章を読むと、2人の候補者、バルサバとマッテヤがたてられた。「全ての人の心をご存知である主よ、この2人のうちのどちらを選んで、ユダがこの使徒の職務から落ちて、自分の行くべきところへ行ったそのあとを継がせなさいますかお示し下さい」と祈った後、くじ引きを引いたところ、「マッテヤに当たった」と記述されている。

ただ、スイス・インフォによれば、スイスの国民発議は支持される可能性は少ないという。くじ引きで連邦裁判官を選出する方法に何か無責任さを感じる国民が多いからかもしれない。それでは、有権者ともいうべき国民は常に正しい選択を下すことができただろうか。

米国の作家マーク・トウェインは、「政治家とオムツは頻繁に代えるべきだ。さもなければ臭くなる」と名言を残している。要するに、権力を握る政治家は腐敗しやすいからだ。その政治家を民主的という名目でこれまで選挙で選出してきた。

それでは、くじ引きで選出した政治家、裁判官の場合はどうだろうか。腐敗や汚職は減少するだろうか。冷静に考えると、有権者の投票で決めた政治家とくじ引きで選ばれた政治家の汚職度は大差はないだろう。スイスの多くの国民はこのように考えて、くじ引きによる連邦裁判官の選出に反対しているのだろう。民主主義の選挙システムがくじ引きによる選出より優れているという自信があるからではない。一国の首相、連邦裁判官をくじ引き、水晶占い、タロットで選ぶわけにはいかない、という民主主義国家のプライドがあるからだろう。

話は少し飛ぶ。日本で1978年、自民党総裁選が行われ、現職の福田赳夫首相は対抗候補者の大平正芳幹事長に敗北した。その時、同首相は「民の声は天の声というが、天の声にも変な声がたまにはある」という台詞を残した。厳密に言えば、「民の声」は「天の声」ではないが、「天の声」という枕詞をつけることで権威を与えてきた。

その「民の声」が揺れだしてきた。もはや誰も民主的選挙がベストとは考えなくなってきた。そのため、スイスのようにくじ引きを利用することで「天の声」を呼び戻そうといったアイデアが飛び出してくるのだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年11月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

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