エルサレムよ「アブラハム和平」を:衝突がつづく3大一神教の聖地

アゴラ 言論プラットフォーム

エルサレムはユダヤ教、キリスト教、そしてイスラム教の3大一神教の聖地だ。そのエルサレム旧市内のイスラム教聖地のある「アルアクサ・モスク」周辺で5日夜(現地時間)、イスラエル治安部隊とパレスチナ人らが衝突を繰り返した。

ネタニヤフ政権の閣僚会議(2023年4月2日、イスラエル外務省公式サイトから)

ロイター通信によると、神殿の丘でイスラエル警察とパレスチナ人の間で2夜連続で衝突が発生した。警察隊は「アルアクサ・モスク」に潜伏する過激派を追放する際、彼らはスタングレネード(閃光手榴弾)とゴム弾で抵抗したという。

モスクを管理するヨルダン当局者は、治安部隊は祈りが終わる前に侵入したと非難した。一方、イスラエル警察の声明によると、何十人もの若者が石や爆竹でモスク内で武装していたという。パレスチナ赤新月社によると、6人の負傷者が出た。アラブ連盟、サウジアラビア、エジプトも、モスクでの警察の活動を非難した。

イスラエルのネタニヤフ首相は、「過激派が武器、石、爆竹でそこに身を固めている。われわれは信教の自由と神殿の丘協定を守り続けている」と述べた。目撃者の話によると、過激なパレスチナ人はガザ地区からイスラエルに向かってロケット弾を発射した。イスラエル空軍は武器が生産されているイスラム主義グループのハマスの拠点を爆撃した。イスラエル警察によると、350人以上が逮捕され、連行された。救助隊員によると、イスラエルの治安部隊を含む数十人が負傷した。

オーストリア国営放送のティム・クーパル・エルサレム特派員は5日、「ネタニヤフ右派政権は政権発足直後から司法改革で躓き、国内で現政権に抗議するデモが連日行われるなど、政治的には守勢に回されている。一方、ヨルダン自治区のパレスチナ自治政府はその政治力を失っている中、ガザ地区を支配するハマス勢力はこのチャンスを生かして反イスラエルを叫び、人々に戦いを呼び掛けている」と報じていた。

ところで、イスラム教は先月21日から1カ月間余りラマダン(断食の月)に入り、日の出から日没まで食を断つ期間だ。一方、ユダヤ教徒は今月5日から13日まで過越祭だ。キリスト教徒は9日、一年で最大の行事、復活祭を祝う。その3大宗教行事を挟んで、イスラエルとパレスチナ間で衝突が繰り返され、死傷者が出ている。両者の衝突の激化を恐れ、米国国家安全保障会議(NSC)のジョン・カービー報道官は、「紛争をこれ以上エスカレーションしてはならない」と、関係国に呼び掛けている。

アントニオ・グテーレス国連事務総長は、「ユダヤ人、キリスト教徒、イスラム教徒にとって聖なる時期であり、平和と非暴力の時期であるべきだ」と指摘している。そこで3宗派の宗教行事、「ラマダン」、「過越祭」、「復活祭」について少し説明する。

「ラマダン」はイスラム教徒の五行(信仰告白、断食、礼拝、喜捨、巡礼)の一つだ。イスラム教徒は日の出から日没までの間、断食し、身を清める(ラマダン期間は3月21日~4月20日まで、国と地域によって1日程度の違いはある)。友人のイスラム教徒は「ラマダンの期間は心が清まる時だ」と述べ、ラマダンの宗教的意義について説明してくれた。日が沈むと家庭や独り者はモスクで他の信者と共に断食明けの食事を取る。

ユダヤ教の「過越祭」はユダヤ教の春の4つの祭のひとつで、「ペサハ」と呼ばれる。旧約聖書「出エジプト記」に記述されている。エジプトで400年間余り、奴隷として苦役していたユダヤ人を解放するために神はモーセを使わしたが、エジプトの王ファラオは拒否した。そこで神は10の災いをエジプトに下す一方、子羊かヤギのうちから傷のない1歳の雄を取って屠り、その血を家の入り口の両柱と鴨居に塗るようにユダヤ人に命令する。その夜、神様はエジプトの国を巡り、人と家畜の初子の命を取るが、家の入り口の血を見たときは、神様はその家を過ぎ越した。ファラオはユダヤ人がエジプトから出ていくことを許す。それ以来、この日はユダヤ人にとって記念すべき日となり、主の祭りとして祝われてきた。

最後に、キリスト教の「復活祭」(イースター)は、イエスが十字架上で人類の罪を背負って亡くなった3日後、復活し、死を乗り越えて神のみ言葉を伝えていったことを祝う行事だ。今月9日にあたり、ローマ教皇が世界に向かって発信する。イエスが十字架上で亡くなる日は聖金曜日と呼ばれる。ちなみに、ウクライナ正教会の復活祭の昨年4月24日、ゼレンスキー大統領はイースターのビデオメッセージの中で、「偉大な神よ、ウクライナ人の願いである平和な日々が訪れますように。そしてあなたと共に永遠の調和と繁栄が訪れますように」、「偉大で唯一の神よ、私たちのウクライナを救ってください!」と祈っている(正教会の今年の復活祭は4月16日)。

エルサレム問題は、政治的観点からだけではなく、その宗教的背景を考慮して3宗派の統合を図る方向で解決すべきだだろう。預言者洗礼ヨハネは、「自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。お前たちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起こすことができるのだ」(「マタイによる福音書」第3章9節」と諭している。エルサレムを管理できる者は神の前に謙虚にその御心をなす者のものだ、という意味になるわけだ。

「ラマダン」、「過越祭」、そして「復活祭」と一連の宗教行事が続く中、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒たちの宗教心が否が応でも高まる時だ。この期間、武器や石をもって相手に立ち向かうのではなく、アブラハムを「信仰の祖」とする兄弟宗教であることをもう一度思い出したい。そして「ラマダン和平」や「イースター休戦」ではなく、「アブラハム和平」の実現だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年4月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

タイトルとURLをコピーしました