熱海の海
温泉旅館のロビーに服が売っている。おみやげ屋さんの隣にひっそりと婦人服が並ぶあのコーナー。
全然縁がなかったけど、旅先で服を買う方々がいるのだろう。
旅先で服を買う。
今思えば、その気持ちの余裕と高揚こそ「旅」という感じがする。僕も買ってみたいと思った。服を買うためだけに熱海に行った。
服の街、熱海
旅館にある服屋さん。漠然とこんなイメージがある。
これが古い旅館やホテルに多い。場所は昔からの観光地。熱海のような。
調べてみると、やはり服を売るホテルや旅館が多い。温泉や海鮮だけじゃない。服の街、熱海だったのだ。
「飲むソフトクリーム」を買った
あの静かな雰囲気を味わいたい。あの「旅館のロビーで売ってる服」が欲しい。
だから熱海に行くことにした。服を買うためだけの旅である。
確かに「飲むソフトクリーム」としか言いようのない味がする。おいしい。ソフトクリームを飲む必要なんかないんだけど、期待がちゃんと満たされると嬉しい。
この旅もそうありたい。旅館で服を買う必要なんかないんだけど、旅館の服屋で買ったとしか思えない服を着て帰りたい。嬉しいだろうな。
原宿で起こる気持ちの動きだ
人が多い。特に若い人が多いように感じた。新生活を始める前の最後の休み、友達と旅行に来ているという雰囲気。
男女のグループが顔ぐらい大きなえびせんを持って楽しそうにしゃべっている。
ひとりで服を買いに来た僕は少し気後れした。原宿で起こる気持ちの動きだ。
「旅館の服屋」は夢っぽい
上や下を見ていたら目当ての場所に着いた。海岸沿いのとあるホテル。事前にホームページを見たところ、服を扱うスペースが大きい感じがしたのだ。
おみやげ屋さんに行って、買い物だけの利用の許可をもらう。
服屋だ。「あるなあ」と思っていた服屋がある。
あまりにも想像通りでなんだか夢っぽい。店内は無音。色合いだけが妙に華やかだった。思っていた通りの空間があることが嬉しくて、ふわふわ店内を歩いた。
まさに「熱海で浮かれて買った」という感じのデザインで楽しい。
僕でも着られるものはないかしらと探すと、隅っこに紳士服のコーナーもあり、そこで「これしかないだろ」というデザインに出会った(あとで紹介します)。
レジに持って行って買う。帰り際、店員さんに「お洋服、たくさん置かれているんですね」と話しかけてみる。
「…あっ、そうですか…?」
と売り場の服を初めて認識したみたいな反応だった。ずっと夢っぽい。
「目標はもっと遠くにある」
もう一度訪れたら無くなっていた、という都市伝説が似合うミステリアスな空間だった。
でも今日は服を買った。「旅館の服屋」が存在した強力な証拠である。着よう。
これだ。薄手のニット。生地がサラサラしていて着心地がいい。今の気候とも合っている。
そしてこのなんとも言い難い柄。「熱海の旅館で浮かれて買った」という説明がこれほどしっくりくるデザインはないんじゃなかろうか。
「目標はもっと遠くにある」みたいな意味だろうか。意識が高い。
タグには「PAGELO」とブランド名が書いてあった。「PG」はその略称だと思う。
この「なんだか分からなさ」が良いと思った。
これを着る人は何を思って着るのだろう。好きなスポーツや音楽はなんだろう。絶妙につかめない感じがミステリアスで素敵だ。
具体的にこの人、というのはないが、想像の中の友達のお父さんに似ている。
想像の中の旅館の服屋に行ったら想像の中の友達のお父さんになった。イメージの中にしかいないはずのこれは誰だ。これがメタバースか。