ロシアのプーチン大統領が、次のように発言したというニュースが流れた。
我々にとってこれは地政学的な課題ではなく、ロシアの国家としての存続をかけた戦いであり、国と子どもたちの将来の発展のためである。
「ロシアの存続かけた戦い」プーチン大統領 改めて侵攻継続の考え示す ロ国防相はミサイル生産量の倍増指示 TBS NEWS DIG
これはどういう意味だろうか。
どうやらプーチン大統領は、「西側」諸国を追い詰める権力政治ゲームをしているが、ロシアは国家総動員体制で自らを守っている、と国民を鼓舞しているようである。
ロシア人は、ナポレオンとヒトラーの侵略をロシア/ソ連が撃退した戦争を、それぞれ「祖国戦争」「大祖国戦争」と呼んでいる。プーチン大統領としては何とかして「今ウクライナで起こっている戦争も大祖国戦争だ」ということをアピールしようとしているわけだ。
他人の国に侵略戦争を仕掛け続け、自国の領土への攻撃を控えてもらっている状況で、「よく言うな」という話だ。もっとも、これくらいの強心臓でなければ、他人の国に侵略戦争を仕掛けるはずもない。今さらプーチン大統領の厚顔無恥に驚いても仕方がない。
ロシアの本格的なウクライナ侵攻が一年を迎える直前の2月21日、プーチン大統領は、ロシア連邦議会の議員たちを前にして、1時間40分にわたる大演説を行った。
英語の全訳を見る限り、徹底して「ロシアを追い詰める『西側』の陰謀を撃退して祖国を防衛する」という物語を披露したものだ。
ウクライナ領内のロシア国境近接部にNATOが秘密の軍事・生物工場を作って戦争ゲームをしている、といった妄想めいた内容も散りばめつつ、「西側」はユーゴスラビア、イラク、リビア、シリアで犯罪行為を行ってきた、といったお馴染みの物語も駆使した。中には、「西側」は貧困対策に600億ドルしか使っていないのにウクライナに1,500億ドルの軍事支援をしている、といったプーチンらしいウンチクに満ちた糾弾もあった。
プーチン大統領によれば、現在起こっている戦争の犠牲者に対する責任は、キーウのウクライナ政府を操っている「西側」にある。プーチン大統領の演説によれば、キーウの政府は、外国の利益に奉仕し、自国民の利益を忘れている。
目を見張るのは、歴史認識の壮大さだ。プーチン大統領によれば、「西側」のロシア苛めは19世紀から始まった。なぜならオーストリア=ハンガリー帝国とポーランドが結託して今のウクライナの領土をロシアから奪おうとしたからだ。この試みは、1930年代にナチス・ドイツによって繰り返された。
この大演説からわかるのは、プーチン大統領が19世紀「オーストリア=ハンガリー帝国」、「ポーランド」、20世紀「ナチス・ドイツ」、21世紀「アメリカ」を、全部まとめて「西側(The West)」という概念に押し込んでいることだ。
この壮大な「西側」なる怪物に立ち向かうロシアも、しかし、やはりすごい存在であろう。プーチン大統領によれば、「ロシアは一つの国であると同時に、一つの確固たる文明である。」「祖先たちから現代のロシア人たちが受け継いだ」この「一つの文明としてのロシア」を守るために、プーチン大統領は「西側」という怪物に立ち向かう。
壮大ではあるが、あまり深遠とは思えない見え透いた「怪物としての『西側』に立ち向かう文明としてのロシア」のロジックは、国内向けだろう。国際的には、あまりアピール力があるようには見えない。
1990年代にサミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』を著したとき、ロシアというよりは、「正教会」文化の圏域が、一つの文明圏として扱われた。
この文明圏の存在が存在しているかどうかも一つの論点だろうが、実在していると仮定しても、それは必ずしも「ロシア文明」のことではない。
ウクライナの人々は、ウクライナは「ロシア文明」の一部とみなすロシア人の思い込みに抗して、ウクライナは自分たちの祖国防衛戦争を行っている。
同じ文明圏に属しているにもかかわらず、わざわざロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛け、それで反発されて激しい抵抗を受けている状況は、奇妙だ。「抵抗しているのは、本当のウクライナ人ではない、『西側』に操られた傀儡だ」といった主張は、苦肉の策と言わざるを得ない。
結局、プーチンの思考方法は、「文明圏を固定化すると世界は安定する」、という「圏域」思想に依拠している。「大陸系地政学」理論の典型的な発想方法に基づいている。
ロシアの侵略を非難した2月23日の国連総会決議における諸国の投票行動を地図で見てみよう。緑が決議賛成国、赤が決議反対国で、灰色(茶色)が棄権(無投票)である。
わずか7カ国の決議反対国に地域的な特徴は見られないが、決議棄権・無投票の地域的分布を見ると、ユーラシア大陸の中央部(中央・南・西アジア)から、アフリカ大陸の中央・南部に伸びていることが見てとれる。
これは、イギリスの地政学の祖と言うべきハルフォード・マッキンダーが「世界島のハートランド」と呼んだ、ユーラシア大陸とアフリカ大陸の大海へのアクセスに困難がある内陸国の地域だ。ロシアの天然資源への依存度が高く、西洋文明諸国を中心とする海洋国家とのつながりが希薄である傾向を持つ。
マッキンダー理論にしたがえば、これは、海洋国家連合が、大陸のランド・パワーが「世界島のハートランド」にそって膨張主義をとるのを封じ込めている図だと言える。
プーチン大統領の言説は、半分は妄想であり、半分は事実にそっている。
ロシアが「一つの文明」として「西洋文明」の攻撃に立ち向かっているというレトリックは、妄想に近い。「大陸系地政学」の世界観にしたがって、ロシアがロシアの信じる自国の「勢力圏」を確保しようとしている、と描写したほうが、まだ実態に近い。
他方、確かに、自国の「勢力圏」を拡大させようとするロシアというランド・パワーの影響力が、「世界島のハートランド」にそって拡張していくのを、海洋諸国連合は封じ込めようとしている。
ロシア・ウクライナ戦争は、二つの異なる地政学理論の世界観の衝突だ。
プーチン大統領は、「勢力圏」の確保が、ロシアにとって、いわばヒトラーが「生存圏(レーベンスラウム)」と呼んだものの確保と同じだと信じ、行動している。
海洋諸国連合は、国際法秩序を維持するため、英米系地政学にそって、大陸国家の膨張主義を封じ込める政策をとる。
この戦争の性質を過小に評価してはいけない。日本は、戦場からは離れているかもしれないが、この二つの異なる地政学理論の世界観の衝突と無縁ではない。よく意識しておく必要がある。