提案型の野党 与党には怖くない – 石破茂

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 石破 茂 です。

 衆参本会議における総理の施政方針演説と質疑が終わり、来週から予算委員会が始まります。

 本会議での演説や質疑を聞く限り、総理は質問を聞かれる姿勢も、使われる言葉も極めて丁寧で低姿勢でおられました。

 今後、「平時と有事の医療体制の再構築」「日米地位協定改定や敵基地反撃能力保持の是非に象徴される今後の日米同盟の在り方」「新しい資本主義のさらなる具体的施策」「行政の国民に対するあるべき姿勢」等々、ご自身の考えを熱情を込めて率直に語る場面を期待しております。多くの反発を覚悟の上で、国民に新たな気付きと危機感を持って頂き、困難を共に乗り越えようという一体感を抱いてもらうことが今の時代には必要であるように思われてなりません。

 「オミクロン株の感染者が急拡大」と連日報道され、再び社会的な活動が停滞しつつありますが、「陽性者が急拡大」と言うのが正しいのであって、「感染者」でもなければ「発症者」でもないはずです。

 ウイルスやウイルスの死骸が鼻腔や口の中に入るのは、平素から誰にも起こることですが、これを検査可能な値になるまで増幅させるPCR検査で反応があれば「陽性」。そのウイルスが体内の細胞内に入った段階で「感染」、体内の免疫システムがこれを排除できない場合に「発症」で、問題とするべき段階はこちらです。ただ体内に入った「陽性」のみを対策の基準にし続けると、根本を間違える可能性が高いと思います。

 だからこそ、というべきか、本来はかなり大切な「免疫力をいかに高めるか」といった話も、報道において前面に出てくることはあまりありません。しかし「陽性」までで免疫システムがきちんと働けば、他の人にうつすほどにウイルスが体内で増殖することはないわけですから、本来「できる対策をみんなでしよう」というのなら、睡眠をきちんととる、少しでもいいので日光を浴びる、無理のない程度に歩く(運動する)、など、免疫力を高める数々の方策をもっと広めるべきなのではないでしょうか。

 そして発症の場合に迅速に医療機関における適切な治療が受けられる体制づくりには、大病院におけるコロナ患者受け入れ、それ以外の患者の中小病院への受け入れ、あるいは広域連携による患者の搬送など、「有事」の体制に切り替えられることが必要です。

 日米同盟の特質については当欄でも何度も述べましたが、互いが果たすべき義務が「米国の日本防衛」「日本の米軍への基地提供」と、非対称的であることにあります。これを将来にわたって是とするのかどうか、が集団的自衛権行使の是非の議論の本質ですし、日米同盟のあり方の本質です。「敵基地反撃能力」のみならず、将来的、本質的な議論を、党においても行い、防衛戦略などの方針に反映させなければなりません。

 日本の非正規雇用者数は2000万人を超え、年収200万円以下の人も1000万人を超えました。一方において年収1億円超の人はコロナ禍にあって1万人以上増加しています。成長と分配の好循環、成長なくして分配なしと言われる中で、株主最優先の体質を「公益資本主義」的体質に転換すること、労働分配率を上げること、所得性向の高い層の所得を増やし消費を上げること、を実現するには何が最も必要か、これも優先度の高い議論です。人口の減少に全く歯止めがかからないのには様々な原因がありますが、その最大の要因の一つとして結婚適齢期の若い層の所得が低いことがあるのですから、この解決にも大きく寄与するはずです。

 さて、「野党は批判ばかりしている」との指摘を怖れてか、今回の野党質問には「提案型の野党」「対決から解決へ」との姿勢が目立ち、著しく迫力を欠くものとなりました。我々の野党時代には、先輩議員から「批判ばかり、と言われようとも、とにかく徹底的に民主党政権を攻撃せよ。野党とはそういうものであり、解散に追い込むためにあらゆる手法を駆使せよ」と厳しく教えられたものでした。「提案型」の野党など、与党にとっては怖くも何ともないのであり、「私たちの提案を受け入れてくださりありがとうございました」などという擦り寄り方の野党しか存在しないのであれば、下手をすると大政翼賛会に類似した政治体制にもなりかねません。

 精彩を欠く野党質問の中にあって、立憲民主党政調会長の小川淳也議員の質問はなかなか聞き応えのあるものでした。与党席からは「そんな演説は新橋の駅頭でやれ!」とのヤジも飛んでいましたが、一般の人が聞いていて心を揺さぶられる質問でなければ意味がありません。このような質問に政府が正面から答える、そのような予算委員会となることを心から期待しています。立派な野党の存在があってこそ、政府もまた鍛えられるのです。

 総理の演説は勝海舟の名言である「行蔵は我に存す」で始まるものでした。「自分の決断は自分で決める。批判は人々が自由にすればよい」という意味の言葉で、福田康夫元総理の座右の銘であり、昨年私も総裁選挙で河野太郎氏を支持する決断をした時に使いました。だからといって、「岸田総理の安倍前総理への当てつけか」といった一部報道には、嘆息を禁じ得ません。

 今週は「安定的な皇位継承について」の書籍や論考を多く読みました。畏れ多いことではありますが、皇族の方々になぜ「基本的人権」をほとんど認めず、あれほどまでの精神的・体力的なご負担を強いるべきなのか、そこから考えなくてはならないような気がします。

 私は本来、雅子皇后陛下、紀子親王妃、眞子内親王(小室眞子さん)に対するバッシングなど、そもそも許されないと考えます。日本国民の品性の問題ですし、「自分たちの意に沿わない天皇は変えてもよい」という考えにも繋がりかねません。大切なものの価値を理解し、深い感謝の念を持たなければ、やがてそれを失うことになることを危惧します。

 「天皇」が日本国憲法の第一章に位置づけられながら、この議論を敢えて避けてきたことにも根本的な問題があります。大学の憲法の講義でも習った記憶が全くありません。もちろん「あまりに畏れ多いので」というのが主たる理由ではあるのでしょうが、だからといって避けていい問題ではありません。今までの自分の不勉強を深く恥じつつ、今後もさらに努力を重ねて参ります。

 近々、地方移住と地域再生をテーマとする楡周平氏の新著「サンセット・サンライズ」が講談社より発売されます。縁あって本の帯を書かせて頂いたのですが、名作「プラチナタウン」に匹敵する好著だと思います。国民意識の改革なくして地方創生は決して成功しないのですが、同時にビジネスとしても成り立つものでなければなりません。是非ご一読ください。

 早いもので一月ももう後半となりました。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

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