ワーケーションに懸ける3人の道程と今後の覚悟

CNET Japan

 「働き改革」「多様性」という言葉たちが代表するように、自分のスタイルに合わせた生き方を実践する世の中になってことが強調される昨今だが、ほんとうにそうなのか。そのスタイルの1つに、まだ広く世間に知られているかどうか懐疑的な「ワーケーション」がある。ワーケーションとは何かの本質について、長崎県五島市のワーケーション活動に尽力している合同会社アイラオリエンタルリンク(トラベルQ)の代表を務める副田賢介氏、フリーライターで一般社団法人日本ワーケーション協会の理事を務める古地優菜氏、一般社団法人五島列島観光コンベンションビューローの理事を務める又野博氏に話しを聞いた。

――ワーケーションに力を入れるきっかけは何だったのでしょうか。

副田氏:五島市がワーケーションを取り組むうえで、「一緒にやらない?」と声をかけていただいたことです。当時は「ワーケーション」という言葉も世の中に知れ渡っていない状態で、私自身も「なんだこれ」って思っていましたが、そこに参画させてもらったのがきっかけです。当時はワーケーションについて旅行なのか、仕事なのか、よくわからないという認識でした。五島市は「五島列島」というぐらいですから、みなさんが想像するような過疎が進んだ離島です。もちろんIT関連のスキルは弱いですし、スキルを身につけたいと考えたとしても島でそういう方を見つけるのは困難です。それが、ワーケーションを実践したら、特にITスキルを有したフリーランスの方がたが最初にご参加いただいて、地元の方との交流をきっかけに、その他のさまざまなスキルアップも含めた体験の共有につながったので。単なる「観光客」という切り口ではない社会的な学びにつながったわけです。「こういうことをしたいのだけど、誰かわかる人いませんか」という交流ができ始まったのです。

 これまでの観光客と地元民の出会いというものが、地域のイベント交流を通じて、島にとっても普通の観光客との出会いによる恩恵とは違うと感じました。観光の出会いと、ワーケーションの出会いではまったく違います。そもそも、観光で地元の方と出会う、コミュニケーションを取れる機会は少ないでしょうが、ワーケーションではイベントを通じて交流が生まれます。単純に、レンタカーを借りていろんなところに行って、ご飯を食べて、ホテルに泊まって帰る、というようなことにはなりません。

副田賢介
1985年生まれ
福岡県立修猷館高校卒業
北海道大学農学部卒業
ホクレン農業協同組合連合会(園芸開発本部)
五島市役所(再生可能エネルギー推進室)
合同会社アイラオリエンタルリンク(トラベルQ)設立
現在に至る

副田賢介
1985年生まれ
福岡県立修猷館高校卒業 北海道大学農学部卒業
ホクレン農業協同組合連合会(園芸開発本部)
五島市役所(再生可能エネルギー推進室)
合同会社アイラオリエンタルリンク(トラベルQ)設立
現在に至る

――副田さんは五島列島に移住しましたが、なぜですか。

副田氏:僕はもともと東京で仕事をしていました。8年前ぐらいでしょうか、ダイビングで五島に初めて来ました。しかし、天候不順でまったく潜れなかったんです。どうしようかと思いましたが、結局泊まっていた場所で、昼からだらだらしてお酒飲んで……、その体験がすごく心に残っていました。そもそも旅行は好きだったので、いろんな場所に行っていたんですが、五島での地元の人たちとのふれあいがすごくいいなと感じて、それをきっかけに、またここに来たいと思ったのです。決め手は、五島に丸みを帯びたやわらかな形状で古くから市民に親しまれている「鬼岳」という山があります。そこで、たったひとりぼーっと日が沈むまでいろいろ考えた時間がありました。「移住しようかな」「今の生活どうしようかな」などなど。そして、なんとなく、日が沈む頃に「やっぱり移住しようか」と心の中では決まりました。振りかえってみると、何かの後押しがほしかったのでしょう。東京から移住して五島に来るっていう自分の決断に対して、本当にこれでいいのかなという。何度も五島に通っていたので、この景色に後押しされたのだと思います。

福江島のシンボルとなっている標高315mの鬼岳。晩夏にはコオニユリ、秋にはリンドウなどが咲くほか、多種多様な草原植物は、春には一面緑色、秋には黄金色へと季節ごとに表情を変え、市民や観光客を喜ばせてくれる。
福江島のシンボルとなっている標高315mの鬼岳。
晩夏にはコオニユリ、秋にはリンドウなどが咲くほか、多種多様な草原植物は、春には一面緑色、秋には黄金色へと季節ごとに表情を変え、市民や観光客を喜ばせてくれる。

 ただし、問題は仕事どうするか。私はまず五島市市役所の公務員試験を受けました。そして公務員に採用されたというのが、2番目の後押しですね。で、風車(五島市沖洋上風力発電事業)を手がけたんです。そこで、出会ったのが、いまワーケーションに力を入れている市役所の方々なのです。1年ぐらい勤務して。ただ、民間出身だったので、やはり役所ではなく民間の仕事をやりたいとうずうずしてしまって。あとは観光産業、当時は世界遺産(「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、200数十年もの間密やかに信仰を守り続けた信徒達が、信仰の自由を全世界に向け高らかに宣言したあかしで、2018年7月に世界文化遺産に登録)にも認定されてなかったし、五島市の知名度はまるで無かったんです。ただし、ロケーションはすごくいいなと思っていたので、そこで、民間で観光産業をやればチャンスかなと思い、旅行業を移住して起業しました。

――古地さんの携わるきっかけは?

古地氏:私は日本ワーケーション協会で理事をしています。協会は2020年の7月に立ち上がった団体で、そのときから関わってきました。以前、北海道の釧路市に6年間住んでいたのですが、そこでの体験がすごく大きかったです。

 私はもともとメーカーに勤めていて、家庭は夫がいわゆる転勤族でした。ただ、私が務めていた企業は体調不良で退職しました。当時は埼玉県に住んでいて、仕事はしたい気持ちはあったのですが、体調のことを考えるとなかなか仕事に就けない状況だったのです。そして10年ぐらい前の話ですが、在宅で自分の好きな時間に仕事ができるクラウドソーシングサービスに登録してやり始めて、これが私に合っていたのです。今でも同じ形態でライター業を続けています。そして、夫の転勤で釧路市に行きましたが、年々寂しくなっていく状況で、私のように転勤で引っ越してきた人が務められる場所は皆無でした。ほかにも、2~3年でまた転勤することがあたりまえの公務員で転勤してきたご家族などもいらっしゃいました、その奥さんはやはり仕事をしたくても雇ってくれるところはありませんでした。でも、その方のスキルはすごく高いんです。こうした方が、やりたい仕事をするためにはどうしたらいいのかをずっと考えていました。そして、私がこれまでやってきたようにインターネットで完結する働き方を広めたいと思ったのです。この想いが現在ワーケーションに携わるようになった原動力だったと思います。今も釧路の仕事にも携わっていますが。

古地優菜(こち・ゆうな)
フリーライター/一般社団法人日本ワーケーション協会(理事)など
奈良県出身、長崎県諫早市在住のフリーライター。転勤族の妻であり2児の母。転勤に左右されないキャリアを築くため、2013年にクラウドフリーライターとして独立。ライター事業の傍ら転勤先の地元の方と交流し、まちづくりや地域活性化を目的とした事業・活動にも参加。またに参画し、ワーケーションを新たな働き方・生き方・暮らし方の形のひとつとして全国に普及させるために各地で活動中。

古地優菜(こち・ゆうな)
フリーライター/一般社団法人日本ワーケーション協会(理事)など
奈良県出身、長崎県諫早市在住のフリーライター。転勤族の妻であり2児の母。転勤に左右されないキャリアを築くため、2013年にクラウドフリーライターとして独立。ライター事業の傍ら転勤先の地元の方と交流し、まちづくりや地域活性化を目的とした事業・活動にも参加。またに参画し、ワーケーションを新たな働き方・生き方・暮らし方の形のひとつとして全国に普及させるために各地で活動中。

 個人的に釧路の方々は「この地域をなんとかしなければ」という熱い想い人が多いと感じています。そういう方々と知り合うと、自分もその活動に関わりたいとの想いを募らせていきました。よそ者だけど、「おいでよ」って言ってくださる暖かさをすごく感じて、地域の人と関わるのがおもしろいなって強く思ったんです。そういう活動をした後に2020年の4月に夫の転勤で長崎に住むことになりました。

 その際に(日本ワーケーション協会代表理事の)入江真太郎から連絡をもらって「日本ワーケーション協会というのを立ち上げたいけど、興味あるよね?」と言われました。実は入江とはお互い今とは違う仕事をしていましたが、釧路で知り合っていたのです。それがきっかけでワーケーションと関わることになりましたが、当時は何のことかまったくわかりませんでした。でも、活動していくと私がいままでやってきた「働き方を変える」「柔軟に働く」などの信念が重なるなと感じました。日本ワーケーション協会としてはワーケーションについて「柔軟に働く手段であって目的ではない」と言っています。さらに、地元のコミュニティの方々と関わっていくことで、キャリアやライフワークとして、「自分は何をしていくべきか」「自分の生き方を見つめ直すきっかけになる」などのテーマをすごく実感したので、私はどんどんワーケーションに関わっていくべきだと考えたのです。

――又野さんのきっかけは?

又野氏:2013年から2018年まで五島市役所の再生可能エネルギー推進室に専門職として採用されて、その事業に従事していました。五島市としては「再エネ推進」が4大事業の1つだったのです。ほかの3つは「マグロの養殖」、「世界遺産の活動」、「五島の椿(椿を核とした持続可能な産業と雇用を創出し、産学官民の力を結集して共に創りあげる地域活性の新たなモデルケース)を広める」でした。この事業には市長をはじめとしてかなり力を入れていました。その中で再エネの活動については、「洋上風力発電実証事業」が環境省によって2010年~2016年に実施されました。その過程を視察にいらっしゃる方が、他の自治体や大学、企業など年間100団体、1000人程度ありました。その視察の対応などを私がしていましたが、多くの方がいらっしゃったのに、自治体の人間が対応をしてしまうと、五島列島の経済効果にはつながりません。移動に公用車を使うなど、ほとんどが市役所の収入や経費でまかなえる部分が大きかったのです。そのため、地域に経済効果が生まれるように「視察の有料化」も市役所で考えました。そして「五島に視察に来ていただくなら必ず1泊してください」など条件を付けましたが型にはまらない、来島する方の目的に合わせたオリジナルの旅程コースを作りました。

又野博
1959年生まれ
長崎県立五島高等学校卒業
福岡工業大学工学部卒業
2013年より五島市再生可能推進室
2020年一社 五島列島観光コンベンションビューロー

又野博
1959年生まれ
長崎県立五島高等学校卒業
福岡工業大学工学部卒業
2013年より五島市再生可能推進室
2020年一社 五島列島観光コンベンションビューロー

 それで、市役所を退職したと同時に五島市の観光協会に入って視察のコーディネーターを1年ぐらいやり、2020年の6月に副田さんと一緒に社団法人を4人で設立しました。そのメンバーには、当時の漁協の組合長もいらっしゃいました。洋上風力発電というのは、漁業者の方々の理解がないと前に進まないので、入っていただいたのです。その方には、視察の来島者対応時にその理解の合意形成に関しての苦労話などを話してもらいました。ただし、コロナ禍に入って2年間はそういった活動ができなくなったのです……。やっと、最近またこういった活動が動き始めたところです。2023年には新たに洋上風力発電施設(洋上風車)が新たに8基程度建設されるので、それに向けて再び事業者の方などが来島し始まったという状況です。というのも、建設し終わってから見てもおもしろくないのです。建設途中の現場を視察することに意義があるのです。

洋上浮体式風力発電について説明をおこなう又野氏。
洋上浮体式風力発電について説明をおこなう又野氏。

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