熱海でしか見れない、ユニークな町並みがある

デイリーポータルZ

熱海は日本を代表する温泉地だ。

その名声は徳川家康の入湯からはじまり、かつての新婚旅行や社員旅行ブーム、バブル期のリゾートマンション建設、現在のレトロブームなど、時代を越えて栄えてきた。

そんな大熱海だけれど、まだあまり注目されていないユニークさがあると思う。

ここにしかないレトロな町並みだ。

レトロはレトロでも、ハードでソリッドでモダンな、純度の高い60年代の町並みである。

まずは見て欲しい、ありそうでない熱海の町並み

斜面に立ち並ぶリゾートマンションやホテル群。写真の中央、山の中腹に熱海駅はある

熱海は山から海へと駆けおりる、急な斜面につくられた街だ。

平地はすくなく、うねうねとカーブする坂道が海岸線へと続いていく。

1967年竣工の熱海第一ビルは50年以上、熱海駅前のランドマークであり続ける

今回とりあげる町並みは、そんな熱海駅から平和通り名店街を抜けて、ニューフジヤホテルへと下っていく坂道にある。

まずは写真をみて欲しい。

名店街を抜けて最初に目に入ってくる仲良しなビルたち
別角度から。正面にみえる熱海魚熊ビルは1964年築

一見、ふつうに見えるかもしれない。

だが、よく見ると水平連続窓※などのデザインがそろっている。(※窓が横長に連続する開放的なデザインのこと。近代建築の特徴のひとつ)

どれも1960年代前後に建てられたビルだからだ。

湾曲する坂道に合わせ、円弧を描きながら階段状にずらしている。テクい!

この時代のビルは共同建築といって、商店の各オーナーが共同で横長のビルを建てることも多いのだが、それができない地形的な制約がユニークな外観をつくっているのだろう。

右のユニオンビルも1964年築

さて、次のコーナーだ。急角度のカーブに合わせるように、なかば強引に円弧型のビルが立っている。

この尖りっぷり。かっこいい!

人工的でメタリックな外観は、レトロな時代のビルだけど全然懐古的ではない。大興奮である。

町並みは続いていく。雨よけがぼろぼろだ
その先にあるY字路が一番のみどころ
急坂を駆け下りる階段状のビル群。すごい。
下から見上げると壁のようだ

なんとなく、この町並みのユニークさがわかっていただけただろうか。

坂道は続いていく

ひとつひとつは何の変哲もない、どこの街角にもある年季の入ったビルだ。

だけど、この密度と地形を克服しようとする強引さは、他の都市にはない見どころだと思う。

ほぼ180度なカーブ
古くても凛とした佇まいのビルだ

そしてこれらは、東海道新幹線や東京オリンピックで盛り上がった高度経済成長期の残り香なのだ。

筆者はこういう60年代っぽさに興奮してしまうのである。

ちなみに、ビルの下には正しくレトロなお店が入っている
昭和という時代を感じる看板だ

では、ここでいう60年代っぽさとは何か。

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レトロというよりモダーンな60sオフィスビル

東京の日本橋茅場町にある共同ビルディング(1965年築)
丸の内三丁目にある新東京ビルヂング(1965年完成)と新国際ビルチング(1967年完成)の並び

筆者はたんなる素人なのであくまでイメージだが、水平や垂直を強調した、生真面目な顔立ちのビルらしいビルが多いと思う。

レトロというよりはモダンな、それもモダーンと呼びたくなるような感じだ。

戦前のオフィスビルの大半が洋風の重厚な建物だったことへの反動からか、戦後はこういうメタリックで窓の多い軽やかなビルが量産されたのだ。

熱海第一ビルもその流れにあった最新式のビルなのだろう

そして、最近は特に保護されるでもなく、どんどん建て替えられている。

だからこそ、熱海にこれだけ残っているのってすごいことなのだ。

かつては熱海一の繁華街、今はレトロさが売りの熱海銀座

熱海で一番かっこいいと思ったビルがここにある。

1959年完成の熱海観光ストアー(現サトウ椿コミュニティプラザ)だ

椿油で有名な大正8年創業のサトウ椿の社屋である。

今はアルミっぽく改修された部分も多いが、竣工当時は総ガラス張り(カーテンウォール)の超モダンなビルだったそうだ

竣工当時の写真はレトロなサトウ椿のHPで見ることができる。すごい目立ってたんだろうな~。

螺旋階段っぽい2本の塔屋がかっこいい

筆者の好きな60年代(これは59年だが)の雰囲気は、こんな感じなのだ。

すこしでもわかってもらえたら超うれしい。

余談だが、70年代になるともう少し遊びのある、かわいらしいビルが増えていく。

合わせて見ると、より60年代という時代の雰囲気が際立つと思う。

熱海駅前にある「趣味の店アカオ(2022年閉店、飲食店にリニューアル)」のビルは1970年築。船っぽい丸窓がかわいい
2021年に閉業したホテルニューアカオも1973年に営業を開始

60年代のソリッドな町並みとはガラッとイメージが変わることがわかるだろう。

ちなみに、このふたつのアカオは創業者が親戚関係だとか。

ただし、熱海駅前のレストランフルヤは1968年だけどレトロかわいい感じなので、用途による面も大きいのかな
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最後に、なぜ熱海のユニークな町並みはつくられたのかという話

では、どのような経緯でこのユニークな熱海の町並みはつくられたのだろうか。

『熱海市史 下巻』(1968年、熱海市史編纂委員会編)などからわかった内容を、かけ足で紹介したい。

山を切りひらき、海は埋立ててつくられた熱海市街

熱海って、すこし無理をしてできた街なのだと思う。

中世に温泉が発見され、江戸時代に徳川家康が入湯したことでその名声は飛躍的に高まる。

江戸時代には27軒の湯宿が温泉権をもち営業していたそうだ。

明治に入ると東海道線が開通し、上流階級の保養地として数多くの別荘が建てられるようになる。

1918年(大正7年)につくられた内田汽船の創業者の別荘、起雲閣
1929年に増設されたローマ風呂

大正時代からもうすでに海岸線の埋立は始まり、山を切りひらき別荘分譲地がつくられた。そんな早かったのか。

また、その入居者の8割が東京居住者だったという。

熱海って、江戸・東京のあくなき欲求を受けて拡張されていった人工都市なのだ。

16年の難工事のすえ、1934年に開通した丹那トンネル(仲見世商店街内にパネル展示)

東洋一と呼ばれた丹那トンネルの開通により、熱海は東京からも関西からもアクセスできる好立地となる。

また、関東大震災の影響で江戸以来の源泉「大湯」が枯渇したことで独占的な温泉権が解体され、外部からの新規参入者が自由に入ってこれるようになる。この変化は、他の温泉地に比べて非常に早かったそうだ。

こうして熱海は温泉リゾートとして急激に発展していくことになるのである。

そんな熱海を大きく変えたのは、1950年に中心部を焼きつくした熱海大火だ。

熱海大火でなんとか焼失をまぬがれたという木造店舗

曲がりくねった狭い坂道に木造建物がひしめく熱海では消火活動がままならず、約1000棟が焼失したそうだ。

外観から、大火後すぐに防火建築としてつくられた熱海銀座のビル(たぶん)

同年「熱海国際観光温泉文化都市建設法」(すごい名前だ!)が施行されたこともあり、熱海は国からも援助を受けながら急速に復興していく。

さらに、1952年に「耐火建築促進法」が施行。最初に防火建築帯に指定された熱海銀座地区をはじめ、鉄筋コンクリートの建物が急増するのである。

それでやっとこの町並みが出来るのだね

中心部の街路も大きく変わった。

道幅拡張し、延焼をふせぐ壁としてのビルを両脇に建てるという大規模な整備が5~60年代にかけて行われる。

温泉街の風情よりも優先すべきものがあったのだね。

1967年に全面完成した駅前広場と熱海第一ビル

駅前の整備も進む。車移動の時代にあわせて、もともと狭小だった駅前を大きく拡張し、今の熱海駅前ができた。

また、高度経済成長期の旅行人口の増加によりホテルのマンモス化がすすみ、ここでも鉄筋コンクリートは重宝された。

こうして鉄筋コンクリートのビルが林立する、今の熱海の景観が形づくられる。

『おもひでぽろぽろ』のローマ風呂で有名な巨大ホテル、大野屋(本館は80年に増改築されているけど)

60年代、熱海は日本一の観光客数をほこる温泉観光地として全盛期を迎えるのである。

そんな歴史があるからこそ、熱海の町並みは人工と自然のせめぎ合いに凄みがあるんだなあ。

にしても、よく建てたなと思う(80年代以降、リゾートマンションブームにより熱海はさらに開発が進むのだ)

レトロにもいろいろある

レトロという言葉は「懐古的」という意味らしいけど、当時は現代的だったものを懐かしむ、という懐古趣味もあると思う。

レトロも年代・雰囲気などさまざまだ。

熱海の町並みはかっこいいレトロ。

それはつまりモダーンなのだ。

1968年創業、純喫茶サンバードのプリンアラモードはかわいいレトロ

 

 

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