初めて地下足袋を履いたのは、当サイトでの祭り取材のときだった ( 「知らない町の祭りに参加」 )。その独特の履き方とか、指の割れたところの牛っぽいたたずまいとか、なかなか魅力的だと思っていた。
地べたと限りなく近い履き物。それを祭りや高所作業のときだけでなく、普段で履いたらいかがなものか、そう思い、タビに出ました。
※2006年7月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
そして初めての地下足袋を買う
さて地下足袋の調達である。本当は職人御用達のお店に行きたかったのだが、近場のハンズで間に合わせた。まさかハンズで地下足袋を買う日が来るとは。
普通の格好に地下足袋を合わせるわけだが、どうにも家から履いていく勇気がなく、同行者との待ち合わせ場所からタクシーを拾い、その中で履き替えた。
まだこのときの自分は、地下足袋を普通に履きこなすバイタリティもメンタリティも欠けていたのだった。
そしてタクシーは一路、六本木へ。
こういう取材のたび、私の足はどうしてもヒルズへ向かう。 「最先端スポット=六本木ヒルズ」 というステレオタイプが頭から離れないのだ。しかしやっていることはその場の空気を乱すことばかり。何か彼の地に恨みでもあるのか。
土踏まずで六本木を再確認する
さて六本木ヒルズである。この人工的な一帯を、ペタペタとした足取りで再確認していきたいと思います!ペタペタ。
その前にピーコ、いやケーコのファッションチェック。
「この人、恥じらいを隠すポーズしてるのかもしれないけど、トーンは合ってますねー、黒い足袋に黒いパンツ?冒険しない分、安定した見栄えねぇ、そこにスポーティさを出すためにTシャツを持ってきたのも正解です、タオル頭に巻くくらいでもよかったんじゃないかしら?」 ( ファッション評論家ケーコ談)
うん、なんだか、日本大好きなフランス人とか普通にしそうなコーディネイトな気がだんだんしてきた、今。しかしまだこの時点で恥じらいは捨て切っていない。
最初は指の割れ目が合わず、かなり痛かったが、すぐに慣れた。というか、足袋が足に合ってきた。
いろいろなオブジェクトを足の裏で確かめ、感触を再構築していく。
「感触を再構築していく」 などと、エラくとんがってみたが、どうにも自分が偶蹄目の動物に見えてきてしょうがない。もしくはカラスとか。
裸足に直接足袋を履いたせいか、やけにそれが心地いい。
足の裏は、靴より確実にモノの感触をとらえている。
ペタペタペタペタ。面白いったらありゃしない。動物たちも実はこういう感触を楽しみながら日々を送っている、と素敵だと思う。
やがて、私はある些細な変化を感じるようになる。
ナチュラル・ボーン・ジカタビスト
ある変化、というのはまあ大したことではなく、「恥ずかしさがなくなってきた」それだけである。
最初から足袋は服装に溶け込んでいたので、人の目はほぼ気にならなかった。それどころか、地下足袋を履く自分がいとおしくなってきたのだった。それもどうなのかとは思うけど。
下のイベント広場では、映画関連の催しが行なわれるところらしく、若い女性を中心として人だかりが出来ていた。そこにも躊躇なく進む。
そして人工的建造物・ミーツ・ファッションとしての足袋。
他、気づいたこと。自分がなぜかだんだん外股歩きになっていくのだった。そのほうが実際、楽なのだ。
私の中のオレが目を覚ます。
帰りは、朝の躊躇が嘘のよう。新宿の人ごみにも地下足袋のまま紛れ、そのまま家路についた。
しかし家に近づくにつれ、疲労が普段の4割増しであることに気づいた。
現代の靴のようなサポートが十分にないわけで、地下足袋を履きこなすにはそうとう足が鍛えられそうだ。
とび職の人の足の裏はどうなってるんだろう、とか考える余裕もそのときは全くなく、すぐさまサンダルに履き替え、飲み屋へ直行した。
次の段階、「とび職への熱き挑戦」は、またそのうちでいいや。