父のダジャレを書き留める・花の写真(デジタルリマスター)

デイリーポータルZ

「オヤジギャグ」という蔑称的な言葉もあるように、なぜだか中年以上の男性はダジャレを繰り出しがちだ。私の父も、日常生活の中で隙あらばという感じで放ってくる。

その度に舌打ちさせられる家族。しらけきった空気。

そんな忌むべきダジャレだが、本人にしてみれば周囲を楽しませようとしているのかもしれない。凍りついた雰囲気は家族間の深い断絶とも言える。それでいいのか。

受容の可能性は見出せないだろうか。記録を取り続けることで、何かが見えてはこないだろうか。

あと、いろいろな花の写真を撮ってきたので、そちらもご覧ください。

2006年6月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。

●祝いの席に寒風を呼ぶダジャレ

父が繰り出すダジャレに子供の頃からたびたび微妙な気持ちにさせられてきた私だが、現在は実家を出て住んでいるので日常的にさいなまれることはない。

ダジャレからの解放としての独立。ただ、それでも顔を合わせる機会があると、ここぞとばかりに放ってくる。

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酒を飲んでダジャレ力が3アップ

先日あった親戚の結婚式の場でもそうだった。

【状況】

結婚式の披露宴、食事はフランス料理。パンがおかわり自由だったので、やたらとたくさん食べていた父。

私 「そんないっぱいパン食べてさ、他の料理食べられるの?」

父 「ああ、おなかパンパンになっちゃいそうだよ」

この感じだ。久しぶりに会ったこともあり、父がダジャレを放ってくることを忘れていて不意を突かれた。「パンパン」のところを強調させて言うので、押しつけがましさがより高まる。

さらに驚いたのは、言葉を返せないままでいる私に対して「このギャグ、メモってもいいぞ」と言ってきたことだ。

どういう自信なんだろう。これは何かの挑戦なんだろうか。

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バラの写真をお楽しみください

ならば受けて立とうではないか。父が言ったダジャレを書き留めて、しらけた空気を記録していこうじゃないか。そうして積み重ねていくことで、何かが見えてくるのではないだろうか。

【状況】

披露宴もたけなわ、司会からお色直しが済んだことが告げられ、新婦が再び入場してくる。

父 「おー、やっぱりドレス着てきたね」

私 「え?知ってたの?」

父 「洋装だろうと予想してたんだよ」

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可憐な花々

人はどうして、つまらな過ぎると逆に笑ってしまいそうになるのだろう。

つまらなさが一周したことで、笑いに昇華するのだろうか。しかし、ここで笑ってはいけない。どうでもよくなって笑ってしまったら私の負けだ。これは闘いなのだ。

 

【状況】

父のダジャレ記録を記事にしようと思っていることを告げ、許可をもらおうと一応確認する。

私 「そういうわけでさ、書かせてもらうけど、いいよね」

父 「お前らしい発想だな」

私 「じゃあ、いいってことだね」

父 「そうじゃないだろう、『はっ、そうですか』って言わないと」

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心なぐさめる美しい花たち

まともな意思疎通を邪魔するダジャレ。話の腰を折られた感じに怒りすら軽く湧いてくるが、またひとつダジャレのログが増えたと思うと少しは前向きな気持ちになれる気がする。

そんな折り合いの付け方もあるのだと思う。こうして父のダジャレの記録は始まった。

●ダジャレ特派員としての母

ダジャレの記録が始まったのはいいのだが、記事の冒頭にも書いた通り、現在は実家から離れて暮らしている私。父のダジャレを直接自分で記録することはできない。

そこで白羽の矢が立ったのは母。事情を説明して、ダジャレを記録してメールや電話で教えてくれるように頼む。

母 「あー…ああ、うーん、うんうん……うん…」

一応の受諾とあきらめとが入り混る曖昧な返答。とにかくそういうことでよろしく、としか私にも言えない。

数日後、母からメールが入った。新作ダジャレだ。

【状況】

実家の外壁にあった鳥の巣から、先日までいたヒナの姿が見えなくなったことについて話していて

母 「もうヒナがいなくなっちゃったね」

父 「きっと、安全なところに避難したんだよ」

母 「避難?」

父 「ヒナひなん」

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名前を知らなくてもその美しさはわかる

【状況】

パソコンのプリンターで写真を印刷中、インク残量の表示を見ながら

母 「あ、もうすぐシアンがなくなるわ」

父 「買うかどうか、迷ってるんじゃないの?」

母 「そうねえ…」

父 「思案中だろ」

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命いっぱいに咲き誇る花たち

【状況】

ビールを飲みながら、つまみを要求する父

父 「何かつまみない?」

母 「昨日も食べたシュウマイがあるわよ」

父 「まだあるの?もうおシュウマイかと思った」

最後のは少々解説が必要だろうか。「おしまい」と「おシュウマイ」とをかけているのだ。

そう説明文を書いて、ダジャレの解説をするほど情けないことはないと気がつく。読んでいる方の中にはそろそろ怒り出す人もいらっしゃるだろうが、もう少し我慢していただきたい。

我慢したところでそれに対する対価があるかは保障できないので申し訳ないのだが、できたら辛抱してほしい。

●美しい自然の中をダジャレハイキング

 両親の趣味はハイキング。先日も栃木県の方に行ってきたらしいのだが、早速その晩、母からメールが届いた。

【状況】

ハイキング当日の朝、近頃には珍しく快晴

母 「天気予報だと、快晴だけど部分的に雷雨ありだって」

父 「念のために雨具を持っていかないとな」

母 「そうね」

父 「雨具を忘れるとひどい目に遭うよ。世の中そんなに甘ぐない」

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梅雨を待ちきれずに咲き始めるアジサイ

せっかくの好天に水を差すようなダジャレ。それに負けずにダジャレを書き留める母の姿を思い浮かべると、本当に申し訳ない気持ちになってくる。

朝から飛ばしている父だが、ハイキングに出かけてからもますます好調だったようだ。

【状況】

山の中で美しい景色を眺めながら

母 「緑がきれいね」

父 「きれいな景色を見に来て、そんなケーシキ(形式)ばったことを言わなくてもいいんだよ」

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初夏の緑豊かな自然の中でも
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攻撃の手を休めない父(メール添付の写真より)

【状況】

分岐点に来て道がわからなくなって

父 「ロッジに行くのはロッジ(どっち)?」

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その香りも私たちを癒してくれる花

【状況】

展望台で向こうに見える山を指しながら

母 「あのとんがった山が白根山でしょ」

父 「知らね

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情緒あふれる水辺の花たち

【状況】

ハイキングコースにあった案内板を見ながら

母 「あれ、湿原なんて歩いたっけ?」

父 「木道のところが湿原になってたでしょ」

母 「あー、そうね」

父 「それは失言だね」

超クール。周りの人の心が超クール。

黙々とメモを取り続けたであろう母。普段から母は父のダジャレには辟易していて、決してわざとらしく笑ったりはしないのだが、そういう愛のかたちもあるのかもしれない。

言ってることもだいぶ適当になってきた。まだ続くのかと思う方もいらっしゃると思うが、きりがないので次ページでおしまいにしたいと思う。

●がまんの限界へと向かって

まず、ここまで読み進めてこられた方に感謝の言葉を申し上げたい。本当にありがとうございます。

ドキュメンタリータッチでお送りしている今回の記事、ダジャレという細かいパンチを食らい続けて、どう評価していいかわからなくなってきている。もしかしたらおもしろいのだろうか。

ハイキング後も、母から淡々とメールが送られてくる。

【状況】

近所の子供たちのボール遊びで、サッカーボールがたびたびに庭に飛び込んでくることを話していて

母 「いつか庭のを折られるんじゃないか心配だわ」

父 「それははなはだ心配だね」

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ピンクのバラの花言葉は「しとやか」

もう慣れてきただろう。いちいち腹を立てていても仕方がないだろう。

そう思えている方は、この記事を通して、がまん強さが3くらい上がっていると思う。ダジャレに生産性はないと思っていたが、そうした精神的な修練になっているのなら意義も見出せると思う。

まあ、上記ののダジャレは意味がわかるからいいとしよう。難しくなってくるのはこのあとだ。

【状況】

紅茶を飲みながら

父「こうりゃうまい!」

母「……」

父「紅茶うまい!」

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ありふれた花の美しさを忘れたくない

【状況】

茶碗を洗いながらビリビリと汚らしい音を立てて屁を放つ父

母 「ビリビリと汚いわね」

父 「ビリビリと鳴るおならでお尻が破れた。へー

母 「……」

父 「茶碗ちゃわーんと洗ってるからね」

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漢字で書くと「紫陽花」

もう、それをダジャレと言っていいのかどうかわからない。単に意味不明のたわごとのようにも聞こえる。

ただ、父は聞いている側が反応を示さないと、ダジャレになっているらしい部分を強調して繰り返し言うという行動をとってくる。それゆえ強制的に「ああ、ダジャレなんだな」ということがわからされてしまうのだ。

母のメールには「本当にこんなのでいいのでしょうか」と書き添えられている。答は私にも見えない。

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花の写真も尽きてきた

●答えは光のかなたに

聞くたびに舌打ちしてきた父のダジャレ。それを書き留めることで、何かが浮かび上がってこないか。意義のあるデータベースになりはしないか。

そんな期待をもって行った今回の試みだが、今のところ成果と呼ぶべきものは見えてこない。

そしてたぶん、これ以上続けても同じだと思う。

不毛を重ねたところで、それは不毛にしかならない。そういう当たり前のことに気づきつつ、ダジャレをタイプしながら笑っている自分がいたのも事実。どういうことなんだろう。

受け手を慮ることのない父のダジャレ。何かをあきらめるとき、僕らにできることは笑うことだけなのかもしれない。

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