複数の通販番組をチャンネルをコロコロ変えながらみていたところ、どの番組も画面上部にフリーダイヤルと検索窓のテロップが表示されていることに気がついた。
ザッピング中の視聴者の目を引き、瞬時に通販番組だと認識させるための工夫だろう。
であれば、どんな画像にもフリーダイヤルと検索窓のテロップがあれば通販番組みたいにみえるのではないか?
善は急げだ、やってみよう。善かどうかは別として。
名画に通販仕様のテロップを入れよう
まずは1953年の西部劇映画「シェーン」の有名なラストシーンからいってみよう。
流れ者のシェーンは、悪徳有力者が農民たちの追放をたくらむ町にたどり着き、とある農家に身を寄せ、手伝いをしながらその家の少年と友情を結ぶ。
しかし、正義感で腕っぷしの強いシェーンの登場に危機感をおぼえた悪徳有力者は、殺し屋を雇い、出て行かない者を射殺するなど力づくで農民たちの追放に動き出す。
我慢を重ねたシェーンだったが、身の危険にさらされ仕方なく悪徳権力者と殺し屋を早撃ちで倒す。
そうして暮らしに平和は戻ったものの、人を殺めてしまったシェーンは自ら町を出ていってしまう。
その後ろ姿に向かい、少年が「シェーン、カムバーーック!」と叫んだ声が山にこだまする感動的なシーンである。
これにフリーダイヤルのテロップを入れてみると…
そのうえで、検索窓も加えれば
往年の名西部劇との記憶があいまいな人には「大きくなれよ」でお馴染みの丸大ハンバーグのCMと見間違う程度の画像と化してしまったのである。
つづいては、言わずと知れた「ローマの休日」でやってみよう。
オードリー・ヘプバーン演じるアン王女の歓迎舞踏会のシーン。
ここに通販仕様のテロップを入れてみると…
名作映画が、一転して今にもクワバタリエが出てきそうなチープなものになるから不思議である。
つづいては邦画からいってみたい。
小津安二郎監督の「東京物語」でやってみよう。
尾道に住む老夫婦は、独立して東京で暮らしている子供たちを頼って東京見物に出かけるが、子供たちはそれぞれ多忙で邪険にされた挙句、体よく熱海の安旅館に追いやられてしまう。
しかし旅館では、隣室のお客がマージャンで一晩中ジャラジャラやったり大音量で音楽をかけたりしてよく眠れず、早朝の海辺で、もう尾道へ帰ろうかとため息交じりに話す悲しい場面である。
このシーンに通販仕様のテロップを入れてみると…
尾道に帰るどころか、サプリの効果で己が足腰に自信がつき、東京に引き返して浅草寺にでも行こうぜ、とまだまだ頑張ろうとする姿にも見えてくるのである。
絵画にもテロップを入れてみよう
映画だけでなく、絵画ではどうか?
ということで、誰でも一度は目にしたことのあるレオナルド・ダ・ヴィンチの代表的な作品「最後の晩餐」でやってみよう。
イエス・キリストと12使徒による最後の晩餐の際に「12使徒の中の一人が私を裏切る」とキリストが予言した際の模様を描いたものである。
この厳かな雰囲気の絵画に通販仕様のテロップを入れてみると…
希少!両手から飛び出るほどの超大型サイズ!!
足一本でも食べ応えバツグン!!
うまいズワイガニは甘いんです!!!
などのキャッチフレーズが踊る楽しい雰囲気の絵画になるのである。
過去の記事の画像で試してみる
テロップで通販化できるのは、なにも映画や絵画に限らないはずである。
ということで、ここからは過去に私の書いた記事の画像で試してみたい。
まずは、パーティー好きのアメリカでの爆発的ヒットを考慮し、公開前に特許出願を真剣に考えたほどだったが、実際は波風は一切立たなかった「ズレるメガネ」という記事からの画像である。
これに通販仕様のテロップを入れてみると…
早く値段を教えてほしい!!
波風の立たなかった工作だが、通販仕様のテロップでがぜんほしくなってしまった。通販番組のフォーマットの威力を感じる。
つづいては、が~まるちょばの扮装をすれば、なにをやってもパントマイムにみえるかという検証企画の際の画像でいってみよう。
これに通販仕様のテロップを入れてみると…
通販にみえるかどうかは微妙になってきたが、撮影時の江ノ島さんの様子が、なんと検索ワードの部分に筆者の意思とは別に、自動的に表示されるということがわかったのだ!!
それでは最後に宮城さん宅で撮影させてもらった大人の睡眠導入用に安堵の気持とナンセンスな想像を両立させた子守唄を作った企画の画像でやってみる。
これに通販仕様のテロップを入れてみると…
通販仕様のテロップの力及ばず、情報が多すぎて、通販には見えなかった。
テロップは便利だ
ほとんどの画像は、フリーダイヤルと検索窓のテロップを入れることで、通販番組のようにみえることがわかった。
そして、宮城さん宅での録音風景のような情報量の多いものは通販には見えにくいこともわかった。
しかし、別のテロップを入れてみると…
ということもわかったのである。