子供の頃から何かと耳にしてきた「人を外見で判断してはいけない」という言葉。
言おうとしていることはわかるし、確かに真実が宿っているとも思う。ただ、それでも私たちはやはり外見から多くの情報を得て、経験的にそれに基づいた判断をしているとも思う。
真実と現実の狭間にある矛盾。言葉を通して世の中の多面性が見えてくる。
わかったようなことを書いたが、そんな浮ついた言葉だけで終わりにしたくない。そういうわけで、コワモテになっていいことをしてみました。
※2006年3月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
自分をコワモテ化する旅
「人は見かけによらない」ということを実践的に検証する今回の試み。普段の風貌はぱっとしない感じの私だが、やはりそうした部分を変えていかなければならない。まずはそれっぽい服をそろえるところからはじめよう。
やってきたのは東京・上野のアメ横。様々なお店が軒を連ねる商店街は、個性的なファッションを求める気持ちにも応えてくれるはずだ。
そして予想はたがわず、大変なことになっていた。
普段の自分なら選ばないような服を置いている店がいくつもある。上の写真の服、「PARADISE」と書いてあるのが読めるだろうか。思わず「パラダイス…」と音読してしまう迫力。
動物柄のものが目立つのも特徴的だろうか。ワイルドな感じはやはりパンチが効いている。
鋲がビシビシと打ち込んであるベルト類もインパクトが強い。単にウエストに巻く物であるはずなのに、じっと見ているとなんだか痛そうな気がしてくるのはなぜなのだろうか。
見てるとクラクラしてくるが、自分をコワモテ化するという目的を見失ってはいけない。そういうわけで、買ったのはこれ。
ヒョウが描かれた長袖Tシャツ。価格も手ごろで、コワモテ初心者の私でもあとから後悔することのない範囲で購入できた。迫力は十分あると思う。
あとになって一休さんの話に出てくる屏風に似てるとも思ったが、今回はそんなとんち話に気づいている場合ではない。いざ着用だ。
黒い服とサングラスを合わせ、自分なりに精一杯のコワモテ化。
撮影を頼んだ妻にコワモテになっているかと聞いたところ、「コワモテ!コワモテ!」と笑いながら答えられたのには不安は残るが、街でもあまり見かけない感じのわかりやすい迫力は出たと思う。
サングラスは度の入っていないものなので、かなり視力が低い私はそれだけだとほとんど何もできない。そういうわけで考案したのがいつものメガネの上にサングラスを重ねがけする方法。
これなら視界くっきりで街に飛び出すことができる。さっそくいいことを実践してみよう。
心のきれいなコワモテ目指して
無駄な迫力が出たところで、今回の試みの核心である「いいことをする」の実行に移りたい。コワモテで家の周りをうろうろしていると、捨てられているゴミを発見。
「人を外見で判断してはいけない」という言葉の検証第一弾。早くも検証法の妥当性にはてな感があふれる感じだろうか。
写真には威勢のいいセリフをつけたが、家の近くということで内心はビクビクしていた。近所の人にこんな格好でいることを見られたら説明しづらいし、さらにはゴミ拾いをしているわけだから余計に混乱する。
早く家を離れよう。コワモテであっても、そういうリスクを回避することは忘れたくない。
気持ちのよい交通ルールを守ることにも気をつけたい。はじめはなんとなく横断歩道を渡ろうとしていたのだが、「いいことしなくちゃ」ということに気がついて、まっすぐ手を挙げて渡る。
こんなことをするのは小さな子供の頃以来か。コワモテになると、すっかり忘れかけていた「いいこと」が思い出される。
嘘っぽいさわやかさあふれる気持ちでいたところ、妻がスーパーに行きたいと言い出した。夫がこんな格好をしているのにほんとにいいのかとも思ったが、そういう要望に答えるのもいいことであるはずだろう。
スーパーの中で「いいこと」を考えていると、自然と「体にいいこと」へと軸がシフトしてくる。栄養や健康のことを考えるコワモテだ。
しかし街に出たコワモテの心の内実は複雑だ。
偽りのコワモテとしては、本物のコワモテと遭遇するのが怖いのだ。なにかよからぬことにもなりかねない予感。そう考えると、つい柱の陰に隠れがちになる。
どうしてこんな思いをしなくちゃいけないんだろう。そうだ、もしかすると今の自分に必要なのは、「心にいいこと」なのかもしれない。
心傷つきやすいコワモテ
「心にいいこと」などと、言ってることもずいぶん適当な感じになってきたが、やってきたのは放したヤギと自由に触れ合える施設。
まずは通常モードの自分でヤギと触れ合ってみる。親しげに近づいてきて、手に持った草を食べるヤギはやっぱりかわいい。できることならこのままの自分でいたい。
メーメー言ってるヤギ。きみなら僕がコワモテになっても、差別したりはしないよね。
もっさり服を脱ぎ捨て、下に着込んだコワモテ服になる。上着を羽織ればコワモテモードの自分に変身だ。
どうもさっきより距離を置いている感じのヤギ。通常モードでは手にした草を食んでくれたのだが、今は地面に生えてる草に夢中。なんでだ、こっちに来ておくれよ。
コワモテだからというより、もっとメンタルな部分を見透かされているような感じがするのは気のせいか。
あんまり相手にしてくれなくてかなしい。やはり動物も何かを察するのだろうか。余計なことをして結局は自分を傷つけるような結果になってしまった。
身体のブラッシュアップを図るコワモテ
ヤギに冷たくされて嫌な気持ちになったコワモテだが、そんなときでもあくまでプラス思考を心がけたい。心だけでなく、体の方も内面から磨いてみよう。
取り入れてみたのは最近ブームにもなっているヨガ。精神を集中させ、心と体とを一体化させる。
こちらは賢者のポーズ、とのこと。真剣にやってはいるのだが、コワモテになって取り組んでいることもあってか、浮かんでくるのは「こんな賢者はいないだろ」という思いばかり。
続いては立木のポーズ。簡単そうに見えて、バランスを保つのが意外と難しい。
などと真顔で書いても、写真を見るとまるで説得力がない。体にも心にもいいはずのヨガが台無しになってしまった気さえする。ああ、だけど、ちょっとやっただけで体が火照ってのどが渇いてきた。
「体にいいこと」のコンセプトに習って飲むのは野菜ジュース。うん、うまいぜ!うすうす気づいていたことですが、コワモテでいると何をやってもコミカルに見えます。
コワモテ親孝行
ヨガや野菜ジュースで自分を癒したところで、原点に戻ったよいことをしてみたい。そうだ、今まで意識してしたことはあまりなかったが、両親に親孝行しなくては。コワモテだからこそ家族を大事にしたい。
そういうわけで、父と母に一泊旅行をプレゼントした。
ホテルの部屋にコワモテで現れた私。やはり驚かせてしまっただろうか…。特に母の表情が気になる。
結構衝撃的だったらしく、あわてて今回の試みの趣旨を説明するが、あまりわかってもらえていない様子。話しているうちに、自分でもそもそも趣旨があったのかどうか自信がなくなってくる。
いたたまれなくなって、「まあ、肩でももむよ」と言い出すコワモテ。
普通に気持ちよさそうにしてくれる父。ここでのポイントは、面と向かい合わないので視界からコワモテの息子が消えるということにあると思う。余計なことを気にせず、肩をもまれることだけに集中できるはずだ。
実際、買ってきたおみやげを母に渡したが、目を見て受け取ってくれない。「あ、ありがとう…」という声もこわばっているように聞こえる。
人間の認識は往々にして相対的である分、見た目としていることの落差でプラス度が高まることになるのでは、という期待もあったのだが、全然そんなことはなかった。
コワモテが真にもたらしたもの
今回の取材を通じて、密かに気がついたことがある。
コワモテだって花を愛でたりソフトクリームを食べたりすることもある。そのときにいつも聞こえてきたのは、周囲にいる人たちの笑い声だった。くすくすと潜めた声もあったし、あからさまなものもあった。
もしかすると、コワモテになってした一番の「いいこと」とは、そんな風に見知らぬ人たちを楽しい気持ちにさせたことではないだろうか。
期せずして世の中に笑いをもたらしていたコワモテ。想定したことではなかったが、もし少しでも社会を明るくことができていたのなら、こんなにうれしいことはないと思う。
ありのままの自分が一番
「人を外見で判断してはいけない」という言葉を検証しようとした今回の試みだが、全然検証できてない。
かなり早い段階で「これはやってることがおかしいぞ…」ということに気がついてはいたのだが、心の中で曖昧にしたままヨガや肩もみをしてしまった。
特に親孝行は変にびっくりさせるのはあまりよくないので、普通の格好でする方がいいと思います。