なんらかを電子レンジであたためたとき、あたたまり方にむらが出ることがある。
あるところは熱く、あるところはまだ冷たい。
失敗した、と思いながら若干残念な気持で食べてしまうか、それが冷凍食品だったりすると、もうちょい加熱しよう、とやりなおすことになる。
そして、最近のレンジはこんな熱むらなんて起こらないのかな、そろそろ買い替えどきかなあ、などと思うのだ。
ところが、あるエッセイの本を読んでおどろいた。トマトジュースの熱むらが「とても美味しい」と書かれていたのだ。
レンジの「熱むら」で、温と冷を、味わい分ける
そのエッセイの本というのは、俳人の上田信治さんによる『成分表』だ。
生活そのものと、生活による人の心のうごきを精密に観察し、理知的に分析しながら、いっぽう手ざわりをなでるように感覚的に短い文章で描写している。
一読して夢中になり、すぐにもう一度読んだ。ただただひれふさんばかりの内容だが、なかでひとつ「おらもやってみてえだ! 体験、してえだ!」と思わされたのが、トマトジュースの熱むらのくだりだった。
エッセイによると、寒くなったので買い置きのトマトジュースをスープのようにして飲むべくレンジで温めたところ、温まり方にむらが発生したのだそうだ。
上が熱くて、下が冷たい、飲むと、はじめに温かいものが、続いて冷たいものが口に滑り込み、それが「とても美味しい」とある。
トマトジュースには粘度と重さがあることから、
〝流体力学的経験の複雑さが「美味しい」のだ。
と看破されている(上田信治『成分表』2022年 素粒社発行 82ページより)。
本当にびっくりしてしまった。
冒頭で書いたとおり、私は熱むらをそれまで悪と断じていたところがあった。
当サイトではウェブマスター林が、うま味・脂味に続く味覚としての「おもしろ味」を提唱しているが、レンジの熱むらに、まさかそんな味のおもしろさがひそんでいたとは思わなかった。
エッセイではこの味わいから「エル・ブリ」(革新的な料理を出し「世界一予約の取れないレストラン」といわれたスペインのレストラン)を、そしてガストロノミーを発想しており、そうだ、これこそが私たちのガストロノミーではないかと膝を打ったのだった。
トマトジュースで笑う
早速わたしも複雑なトマトジュースを味わいたい。
トマトジュースを買ってきた。
どんな味だっけとまずは冷えたままで飲んでみると、かつての記憶よりもずいぶん酸味や味そのものが薄く(この商品が食塩が入っていないタイプだったというのもある)さらっと飲みやすい。おお、進化を感じるなあ。
早速レンジで温めてみよう。エッセイには「旧式の電子レンジに2分ほど」とあるが、私の家のレンジだと500W2分ではあたたまりすぎて熱々になってしまうように思う。
かつて私は「なんでもレンジでチンする会」という会に属し、そこでさまざまなものをレンジに”かけすぎる”活動をしていた。かけすぎることについては詳しい自負があるが、中途半端にかけるのはむずかしい。
なにしろレンジは固体ごとにかなり働きの違う家電で、持ち主との対話で仕事をするから、読みにくい。
うちのレンジだったら熱むらを発生させることも考えておおむね1分くらいでちょうど良いんじゃないか。
うん。うまいぐあいに、表面からは軽く湯気がたつも、カップの裏の部分に触れるとあたたまり切らない程度に加熱できた。
飲んで、もう笑う。
加熱の妙か、口内へ流れこんだ状態で層になって感じられたのだ。
上あごに熱いトマトジュースが、舌に冷たいトマトジュースが触れた。なんだこれ!
二口目もおもしろい。カップが動いて混ざったのか。今度は舌の上に地図のように冷帯と温帯があられた。
三口目にはもう全体が混ざってぬるいトマトジュースだった。
う、うわあ、すっごい、おもしろい。
このおもしろさを私はずっと「レンジ失敗だ」と思っていたなんて。ぬるまりゆく残りのトマトジュースをのんで心を落ち着けた(おいしい)。
ぶどうジュースはどうだろう
トマトジュースをおもしろがったら、くだものの、甘いジュースもおもしろがりたい。
私の考えるおいしいジュースの筆頭である、ウェルチを買ってきた。
「1房分のぶどう」とあり、ここに1房入ってるのか、へ~! と感心して調べたらこれとは別に「12房分」という商品もあった。
房の数別に商品を展開させているのか。
なにしろ、手に持っているのは1房分なので、今日は甘んじて1房を飲もう。
先ほど同様、あたたまりすぎてカンカンに熱くならないように留意し、熱むらを発生させんと調整してレンジアップした。
神妙な顔つきで(ここはあの「エル・ブリ」……)、正座をし神経をとぎすませ(まさにいまここにガストロノミーがある……)。
そしてクっとウェルチの入ったお茶碗を傾けたところ、スンっと、ただのぬるいウェルチが口に転がり込んできた。
あっ、えっ? 全体がまんべんなくぬるくなってしまった。
そうか、トマトジュースには「粘度と重さ」があるんだ。さらっとしたジュースでは熱のむらは発生しにくいのかもしれない。
身構えと実際の違いに面白さ、ヨーグルト
粘度が必要なのであればヨーグルトはどうだろう。
こちらもまた注意深く温める。表面が加熱されしっかり固形だった表面から水が出て少しぐずっとした。
全体的にはぬるい。が、夏の晴れた日に日陰から日向に一歩踏み出したみたいに突如唐突にあっつあつの部分デュルっとあらわれる。
特筆すべきは紙のパッケージの温まりが中身のヨーグルトよりも1まわりくらい進んでいることだ。
パッケージがほっかほかに熱く、持つ手にぐんぐん熱が伝わる。ただ、中は案外ぬるくて、口内だけじゃなく手と口でおもしろかった。
こういうガストロノミーもありだな。
おまんじゅうが食べたいよ~
最後はまんじゅうだ。
レンジにかけたとき、トリックスター的立ち回りをする食品の筆頭といえばあんこだろう。
信じられないくらいあっつあつになる暴れ馬的存在である。
その粘度からいって、うまくなだめて乗りこなしさえすればおもしろい熱むらにありつけそうな予感がある。
そしてそれは絶対にうまい。
おまんじゅうだからな。
だが、油断して1個40秒かけたところ、それこそ全体がアッツアツになるまで加熱が行き届いてしまった。
冷ましてからまた熱むらを発生させるためにレンジにかけなおすのは、なにか不誠実に感じて、あっつあつのままフーフーして全部食べた。うまい。
それから再チャレンジのため改めてもうひとつおまんじゅうを買いに出た。
今年一番、きりっとした顔をしていたと思う。
今度は慎重に、熱むらの発生を願い確かめながら加熱する。
40秒でカンカンだったが、20秒ではまだ全体が冷たい。30秒かけたところで、いまだ! と取り出し、かぶりついた。
ぬるい!
ジュースのときと同じく、まんべんなくぬるかった。だめか~~っ。
いや、もしかしたら内部には温度差があるかもしれない。
お行儀が悪いとは思いながらふすまの裏に隠れて半分に割った断面からあんの部分に舌をずんと差し込んだ。
「エル・ブリ」は先鋭的な料理を出すことで有名だった。まずは舌を差し込んでください、という料理もあったかもしれない。これだ、俺たちのガストロノミー。
が、舌は全部がぬるかった。ぬる~い、あんこの味だった。
結局分かったのだ。熱むらを一番効率的かつおいしく味わえるのが、トマトジュースなのではないか。
最初がもはや解だったのだ。
まず解があり、解の先を掘り下げ何らかをつかもうとするがそこにはおおむね何もない。そうことは、これまで生きてたうちにもよくあった。
ただこうして、半径50cmにガストロミーを感じられた今日はまちがいなく灯りのともったとくべつな日だったと思うのだ。
温まり方にむらが出る、そんな時代を語り継ぐ
これからはレンジで熱むらが起こってもがっかりしない。それは楽しいことだから。
いつか最新式の電子レンジがうちにやってきて、一切のむらなく食品を温められるようになったとき、私は後世にかつてレンジの熱のむらにも味わいが宿っていたのだとわざわざ伝えよう。