いきなり現れるポリゴン
桜丘町の再開発地帯を抜けたところにこの壁はある。
渋谷駅に近い方から3つ
エキサイトバイクのジャンプ台のようなカクカクした塊が都会に現れるのがおもしろい。
先日の記事(「変わりつつある渋谷の跡を専門家と見て歩く」)で千葉工業大学教授の八馬智さんとどうしてこの壁ができたかを推測したが、その内容を図で描いてみたい。
まずここはどういう地形なのか
ここは高台の端っこにあたる場所で急斜面になっている土地である。
スクランブルスクエア54階から撮った写真に説明を書き加えたものがこちら。
線路沿いには低い道があり、ビルを挟んだ向こう側に高い道が通っている。
ビルは低い道を1階にして建っており、高い道に面している部分は2~3階になっているようだ。
もともとこのような高低差がある地形なのだ。
これを元に推理した図がこちら。
壁ができるまで物語
この壁が現在の壁ではないだろうか。
古い空中写真で擁壁を見る
擁壁を豆腐のように切ることができるのかは不明だが、昔の航空写真には擁壁の上に家があるようすがおぼろげながら写っていた。
線路の近いところまで民家と植物がある。擁壁の上にあった家々ではないだろうか。4年後の航空写真だと擁壁の姿が変わっている。
1979年になると擁壁の一部が削られて低い道が広くなっている。さらに5年後は現在の姿に近づいている。
1984年になると壁らしきものが見える。また、建物の影が伸びているのでビルが建っていることが分かる。
1975年から1984年のあいだに擁壁は削られたようだ。沢田研二がTOKIOを歌っているころに壁が現れたのだ。
4年前にも壁の形が変わっていた
ストリートビューでは2018~2019年にもこの壁が一部削られていることが分かる。
2018年
2019年
道路拡幅のために壁の一部が削られている。
一部を削るなら全部取っちゃえばいいのにと思うのだが、そうしなかったことを見るとビルを支える大事な礎になっていたりするのだろうか。
東京の開発が生んだ巨大なオブジェ。経緯を考える楽しさを与えてくれる絶景である。
2022GW特集! 身近な絶景
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