ロシアのプーチン大統領のウクライナ戦争が領土拡大を狙った典型的な帝国主義的目的か、ロシア正教最高指導者モスクワ総主教キリル1世が主張する「形而上学的な戦い」(価値観の戦い)なのか、その答えが間もなく分かるのではないだろうか。
ロシア国防省は17日、「ロシア軍はウクライナ東部マリウポリをほぼ完全に制圧した」と声明を発表した。その結果、ロシアはウクライナ東部の「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」、そして併合済みのクリミア半島を結ぶ陸路を完成できる。プーチン氏が前者の目的でウクライナ戦争を始めたとすれば、東部最大都市の一つを制圧したことから戦争の幕を閉じたとしても不名誉なことではない。同時に、プーチン氏がロシア軍のウクライナ侵攻前(2月24日)に声明したウクライナの非武装化、非ナチ化は単なる弁明に過ぎず、ウクライナの領土を奪うことにあったと結論できる。
問題は後者だ。プーチン氏が本当に「形而上学的な戦い」に乗り出している場合だ。プーチン氏はその戦いに勝利しなければならない。それも如何なる犠牲を払ってもだ。なぜなら、ウクライナ戦争は「善」と「悪」の価値観の戦いであるからだ。敗北は許されない。キリル1世はプーチン氏の主導のもと、西側社会の退廃文化を壊滅させなければならないと説明する。中途半端な勝利は許されない。その結果、戦いには残虐性が出てくる。相手を壊滅しなければならないからだ。一時停戦,休戦は本来ない。始めた以上、勝利するまで続けられる。
フランス生まれのロシア系の歴史学者ミシェル・エルチャニノフ氏は、「通常の戦争の場合、相手と交渉し、時には譲歩することで刀を鞘を納めることができるが、『形而上学的闘争』(価値観の戦い)の場合、相手とは交渉(譲歩や妥協)できない。勝利するか敗北するかの戦いとなる」と指摘している。
マリウポリや“ブチャの虐殺”からその残虐性、非情さが読み取れる。徹底した虐殺であり、空爆だ。民間人が避難している場所であろうが、病院、幼稚園だろうが、空爆する。むごいほどだ。領土拡大という戦争の場合、そのような蛮行は本来、必要ではない。しかし、「形而上学的戦い」となれば、相手を壊滅しない限り、勝利とはならないからだ。
ソビエト連邦共産党(CPSU)書記長だったニキータ・フルシチョフ(1894年~1971年)の曾孫、ニーナ・フルシチェバさん(現在、米在住の政治学者)はBBCとのインタビューで、ウクライナ戦争でロシア軍が不利になれば、プーチン大統領は戦術核兵器の使用も辞さなくなるだろう。プーチンはどんな犠牲を払ってもこの戦争に勝ちたいからだ」と述べている。フルシチェバさんはこの戦いがプーチン氏の「形而上学的な戦い」と受け取っているのだろう。
ウクライナの首都キーウ攻勢で成果がなかったロシア軍はいったん東部地域にその兵力を集中する動きを見せていたが、17日に入るとキーウ州ブロバルイの爆弾工場にミサイル攻撃をした。南部オデッサ周辺でもウクライナ軍輸送機を対空ミサイルで撃墜した。すなわち、ロシア軍は東部地域の占領だけではなく、ウクライナ全土を依然攻撃対象としているわけだ。
旧ソ連・東欧共産圏と西側の民主主義圏との戦いが繰り広げられた冷戦時代は領土拡大戦争というより理念闘争だった。ロナルド・レーガン米大統領(在任1981年~89年)は共産主義国を「悪」と定義し、民主主義を「善」と宣言し、いち早く理念闘争を展開、善悪の戦いを先導していった。ソ連はミハイル・ゴルバチョフ氏(1931年~)が登場した後、米国側の戦略防衛計画(通称スター・ウォーズ計画)に圧倒され、勝ち目がないことを悟って後退、最終的には旧ソ連・東欧共産圏は次々と民主化に乗り出し、第1次冷戦は民主圏側の勝利で終わった。
ゴルバチョフ氏が後日、自身の伝記の中で吐露したように、勝利した米欧民主圏は傲慢になり、旧ソ連・東欧圏にその勢力を拡大していったと不満を吐露している。ソ連崩壊を目撃したプーチン氏はロシア大国の復興を掲げて、これまで一歩一歩駒を進めてきた。そして今、米欧側に傾斜するウクライナに軍を侵攻させるという第2の「善と悪」の闘争を始めたということかもしれない。ただし、プーチン氏の理解では、今回はロシア側が「善」であり、退廃した文化の欧米社会は「悪」となる。
第1次冷戦が理念の戦いで終結し、核兵器などの武力闘争に発展しなかったことはラッキーだったが、第2の理念闘争(形而上学的戦い)は理念では終結せず、既に武力闘争に発展している。第1次冷戦時代より状況は厳しい。理念闘争では妥協や譲歩は期待できない。勝つか負けるかの二者択一しかないからだ。それだけに戦争は益々エスカレートする危険性があるわけだ。
ロシアでは5月9日は「対独戦勝記念日」だ。その頃にはプーチン氏のウクライナ戦争の狙いがどこにあるのか明らかになるのではないか。ウクライナ戦争が第2の理念戦争とすれば、世界は長期戦を覚悟しなければならなくなる。第1の理念戦争の場合、民主主義国側は共産主義の間違いを指摘すれば良かったが、第2の理念戦争では西側はロシア側の「退廃文化」という批判に対して堂々と反撃できるだろうか。第2の理念戦争ではロシアも欧米側も双方が血まみれになることが避けられない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年4月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。