福島県双葉町は、今も全町避難が続き住民が帰れない。11年前の東京電力福島第1原発の事故で、町の大部分はいまだに帰還困難区域となっている。
長い年月をかけて、人々の営みが双葉町を形づくってきた。避難生活を続けている住民から町の話を聞き、その魅力を伝えて町への関心を高める――そんな試みが、続けられている。キーワードは「観光」だ。
「中間貯蔵施設」福島だけの問題じゃない
「双葉町タウンストーリーウォーキングツアー」。文字通り、双葉町を歩いて巡るツアーだ。ガイド役であり「仕掛け人」は、一般社団法人双葉郡地域観光研究協会(F-ATRAs)・山根辰洋さん。2020年3月に町の一部で避難指示が解除され、JR常磐線が全線開通となって双葉駅が利用できるようになり、訪問客を迎えて案内できるようになった。
震災前の2006年、地元の双葉海水浴場が環境省の「快水浴場百選」に選ばれたことは、ある。だが全国的に有名な観光地ではない。その土地で、観光という切り口を選んだ山根さんは、「双葉町を再生させるうえで、人の力・交流は絶対に必要」と力を込める。まず地域について広く伝えたい。町外から訪問者が増えれば、受け入れる側もその準備や対応のため、地元民同士の連携が増える。観光という結論に至ったのは、こうした理由だ。
ツアーは、町を歩きながら過去・現在・未来を体現するコンセプトだ。山根さんが町民から聞き取った話を軸に、参加者をガイドする。地元の伝統や歴史同様、11年前の震災、原発事故の話題は切り離せない。
長年、コミュニティーの核の役割を担ってきた神社がある。東日本大震災で大きな被害を受け、修復が必要だったが全町避難で町民はいない。しかも帰還困難区域に指定され、放射線量が高く許可なしでは立ち入れなかった。それでも氏子は「できることから」と2015年、しめ縄の掛け替えから始めた。これをきっかけに19年には傾いていた社殿を修理。20年3月4日に立ち入り規制が緩和されると、同年11月にご神体を戻す儀式を行い、以前の神社の姿が戻っていったという。
「中間貯蔵施設」の話も、する。原発事故後、除染で生じた放射性物質を含む土や廃棄物を、「一定期間」保管する場所だ。双葉町から大熊町にかけて設置され、面積は16平方キロメートル。ただこの施設を正確に理解している人は、多くないかもしれない。保管する土などは、中間貯蔵開始から30年以内に福島県外で処分を完了することになっている。だが最終処分場はまだ決まっていない。いわば福島県以外に住む人は誰でも、関係する可能性がある。こうした事実を山根さんは淡々と伝え、個々の参加者に考えるきっかけを提供する。