軍事力行使に自信あるプーチン氏 – 舛添要一

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  ロシア軍がウクライナに侵攻し、キエフを目指してウクライナ軍と激しい戦闘が繰り広げられている。

  政権就任後、プーチンは、2000年チェチェン、2008年グルジア、2014年クリミア、2015年シリアと軍事介入し、いずれも成果を上げている。

  まずは、チェチェン紛争である。コーカサス地方のジョージア(グルジア)に隣接するチェチェンは、ソ連邦を構成するロシア共和国内の一自治共和国であった。1991年11月に独立を宣言したが、モスクワはこれを認めず、1994年12月にロシア軍が攻撃し、独立派は排除された(第一次チェチェン紛争)。

  1997年1月にロシア軍は撤退したが、その後、独立派が活動を激化させたため、当時のプーチン首相は、これをテロとして弾圧することを決め、99年9月にはロシア軍が空爆を開始した。そして、2000年6月には暫定政府を設置し、その行政府長官に親露派のアフマト・カディロフを据えた。(第二次チェチェン紛争)。

 次はジョージア(グルジア)である。2008年に起こった南オセチア紛争(ロシア・グルジア戦争)である。コーカサス半島には約30の民族が住んでいるが、言語も宗教も風習も多様である。ジョージアには、親露派で分離独立を唱える南オセチアとアブハジアが存在している。

  2008年8月7日の午後、グルジア軍は南オセチアの首都ツヒンヴァリに対し軍事行動を起こした。これを受けて、ロシア軍が南オセチアに入り、激しい戦闘が行われた。黒海のロシア海軍はグルジア沿岸を攻撃した。

  その結果、グルジア軍は撤退を余儀なくされ、ロシアは8月26日、南オセチアとアブハジアの独立を承認した。

   2014年3月18日にロシアはクリミア半島を併合した。その根拠は、住民投票でロシア帰属が決められたとことであるが、それまでに周到な準備をして、ウクライナから奪取したのである。

  1954年まではロシア共和国に属し、ロシア人も多いこの地域は住民投票をすればロシア帰属が決まるのは当然であった。ロシアは、クリミアに独立宣言をさせ、独立国家としてロシアに併合させたのである。

 2015年9月30日、ロシアは空爆によってシリア内戦に介入した。その介入の真の理由は、クリミア併合によって起こった国際社会からの激しい批判を鎮めるためだったと言われている。

 ロシアの介入の大義名分は、国際テロ集団ISを壊滅させるためだということであるが、トランプ政権がシリアから手を引き、この地域を安定させる大国としての役割を果たすと胸を張ることができる。その結果、中東におけるロシアのプレゼンスが高まる。

 シリア内戦から逃れてくる大量の難民でヨーロッパ諸国は苦労しており、シリアの安定化をもたらすロシアの介入は歓迎される。その結果、クリミア併合への批判が希薄化されるという狙いもあった。

 今回のウクライナに対するプーチンの軍事介入も、基本的には、チェチェン、グルジア、クリミアと同じパターンである。しかし、第三次世界大戦、核戦争の危険性があるので、欧米は軍事的反撃はできない。経済制裁の効果も限られている。

 まだ、停戦への展望は開けない。