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第二次世界大戦中に日本と戦争していたアメリカでは、コウモリに爆薬をつけて投下するコウモリ爆弾が大真面目に研究されていました。そんな珍兵器について、動物に関するさまざまなムービーを公開しているYouTubeチャンネルのBioArkが解説しました。
The Bat Bomb: America’s Craziest Weapon – YouTube
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メキシコオヒキコウモリで日本を攻撃するという案を思いついたのは、ペンシルバニア州の歯科医師であるライル・S・アダムスです。
コウモリ爆弾は当時としても奇抜なアイデアでしたが、コウモリの反響定位能力に関する研究の第一人者であるドナルド・グリフィンの推薦もあり、大統領の承認を得て本格的に開発がスタートすることになりました。
アダムスは最も早い時期に「人間以外の動物にも意識がある」と主張した科学者の1人ですが、アダムスやその計画に参加した科学者らの中に、数百万匹のコウモリを犠牲にすることに異議を唱える人はいなかった模様です。
アダムスがコウモリ爆弾を思いついたのは、当時の日本の家屋が燃えやすい木造建築だったことが理由です。
また、夜明け前に家々の軒先に入り込むというコウモリの習性も理由の1つでした。
こうした点から、アダムスは「コウモリに爆薬をくくりつければ、日本中を火の海にできるはず」と画策していました。
当初、コウモリには白リンがくくりつけられる予定でしたが、ビタミンKの発見やナパーム弾の開発で知られるルイス・フィーザーが開発チームに加わったことで、白リンからナパームに変更。
1匹のコウモリに搭載できるナパームはわずかですが、1匹のコウモリ爆弾で従来の焼夷(しょうい)弾の1000倍の火災を引き起こせる算段でした。
コウモリ爆弾の概要は次の通り。まず、捕獲したコウモリを低温環境に入れて冬眠させます。
そして、爆薬をくくりつけて容器の中に入れ、高度4000フィート(約1200メートル)から投下します。すると、パラシュートでゆるやかに落下しつつ容器の中からコウモリが飛び出すという仕組みです。
しかし、実際にテストしてみるとすぐにうまくいかないことが分かりました。なぜなら、コウモリの多くは都合よく冬眠から目覚めず、石ころのように地面に落下してしまったからです。
また、一部は逆に早く目覚めすぎて脱走し、実験場を爆破したり将軍の車を炎上させたりしました。
こうした困難から、コウモリ爆弾の開発計画は1944年に中止となり、予算と人員は別の兵器の開発に回されました。それこそが、原子爆弾の開発プロジェクトであるマンハッタン計画です。
アメリカによるコウモリ爆弾は失敗に終わりましたが、生き物を爆弾にしようと思いついたのはアダムスが最初ではありません。かつて東欧にあったキエフ大公国を治めたキエフ大公妃オリガもその1人。
事の発端は、オリガの夫であるキエフ大公イーゴリ1世が東欧にいた部族であるドレヴリャーネ族に暗殺されたことでした。
王位を継承した幼い息子の摂政の座についたオリガは、ドレヴリャーネ族への復習を決意。
軍隊を率いてドレヴリャーネ族の街に攻め入り、1年以上にわたって包囲しました。
そして、オリガはドレヴリャーネ族に「もう許すから、各家庭からハトを供出するように」と命じました。
ハトだけで許してもらえると信じたドレヴリャーネ族は喜んでハトを差し出しましたが、オリガは軍に命じてハトに硫黄がついた布をくくりつけさせ、それに火をつけて放します。
帰巣本能により、ハトがドレヴリャーネ族の家に飛んで帰ったので、街はあっという間に焼け落ちてしまったそうです。
また別の例では、ドイツとの戦争中にイギリスが使った「ネズミ爆弾」があります。
当時、ドイツでは衛生のために、ネズミの死体をボイラーに投げ込んで処理していました。そこで、イギリス軍はネズミの死体に爆弾を詰めてドイツの基地にばらまき、ボイラー室を爆発させて工場で火事を発生させようと思いつきます。
結局、爆弾入りのネズミは港でドイツ軍に発見されてしまいましたが、ドイツ軍はその後もネズミの死体を発見するたびにブービートラップではないかと警戒し無駄に神経をとがらせることになったので、ある意味でイギリスのネズミ爆弾作戦は成功したといえるかもしれません。
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