緊急事態条項 憲法に書くべき訳 – 山尾志桜里

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自民党の茂木敏光幹事長が、憲法議論に関して、緊急事態条項創設を優先すべきと話したとのこと。

そのこと自体には、私は賛成です。
緊急事態条項が危険なのではなく、むしろ憲法にまともな緊急事態条項がないことが危険だ、と考えています。

ただし、政府の権限強化だけを強調する旧来型の議論は卒業してほしい。むしろ、平時より政府権限を強化せざるをえないからこそ、国会や裁判所のチェック権限も強化するというバランスのとれた議論へと展開させてほしいと思います。

振り返れば、これまで緊急事態条項の議論をめぐっては、自民党の平成24年草案くらいしか主な叩き台がありません。
国民が議論するにしても参考資料が少なくて、だからこそ「危険だから反対」「必要だから賛成」という二項対立にとどまってきたのはとても残念。

議員卒業までの最後の半年で、私は3本の法案をつくりましたが、実はそのうちの1本が緊急事態条項です。
これからの憲法議論のたたき台として参考になるタイミングかもしれないので、何回かに分けて、できるだけ分かりやすく説明してみたいと思います。
自民党の憲法草案からも、たとえば緊急事態宣言には国会承認を要件とするなど、よい提案は取り入れています。

一方、いったん宣言が出されると、法律を定めることなく政府の権限を拡大できてしまうという問題点については、改善策を提示しています。
賛成・反対に分かれて議論を停滞させるのではなく、みんなで前向きな議論をしていきましょう!

また、これまで茂木議員とは、外務委員会でちょくちょく議論してきました。
外務大臣から自民党幹事長になり、緊急事態条項を議論しようとおっしゃっているわけですが、茂木幹事長にはぜひ、旧来の自民党内の議論にとらわれず広い視野でこの議論のすそ野を見渡してほしい。
諸外国の緊急事態条項を検討した上で、プロである衆議院法制局の助力を得て起案していますので、参考にしてもらえたら幸いです。

もちろん、国民民主党玉木代表には、この緊急事態条項案そのものを渡してありますし、国民と維新とが連携して改憲議論を進めていくにあたっても、使って頂けるのではないかと思います。

では、今日はそもそも論。
なぜ緊急事態条項はわざわざ憲法に書いた方がいいのか?】からスタートします!

もうすぐ2年になるコロナ禍の教訓のひとつは、いったん緊急事態になると私たちの暮らし方や働き方や学び方はとてもとても大きな制約を受けるということでした。科学的な根拠も法律の裏付けも経済的な支援も不十分なままに、です。

安倍政権下の学校閉鎖にはじまり、その後飲食店などに矛先を集中させた営業制約や人流抑制策がどこまで実効的だったのか。
そうした政府の施策はコロナ特措法も含めて、法律が認めた範囲を超えていたのではないか。

そもそも説明も根拠もうすくて、国民の納得を得られないまま禁止事項を増やすより、経済的なサポートを充実させた方が国民の行動変容には効果的だったのではないか。
疑問は少なくありません。
たしかに、コロナ禍初期は、新型コロナの性質を見極めることが難しく、多少幅広に制約をかけていくことも必要だったでしょう。

でも時間が経過して、国際的な知見も積もり、リスクを分析することが可能になってきた段階では、もっとエビデンスに基づいた説明や、丁寧な立法作業が可能だったし求められたはず。
そうした政府の努力が足りないままに、今もなお、リアルな学校生活を経験していない大学生もいれば、廃業に追い込まれて途方にくれる自営業者の方もたくさんいます。

このように、緊急事態は、国民の日常生活にも将来設計にも直接大きな影響を与えます。
だからこそ、その基本的なルールは、あらかじめ「憲法」で国民自身が決めておく必要がある。
そして、科学的根拠や法的裏付けや経済的支援が不十分なままに緊急事態が続く場合には、補足や改善を政府に求めて、効果的に救済する体制をつくっておく必要がある。
そう考えています。

とはいえ、なぜ憲法で?
たしかに、国や自治体のルールには条例・法律・憲法など色々ありますよね。
ただ、条例や法律はどちらかというと「国民や住民が守るべきルール」という色合いが強い。

でも憲法は違います。むしろ「国家が守るべきルール」です。
つまり、国民が国家に守らせるルールの一番上に立つものが憲法です。
だからこそ法律と違って、政治家の多数決だけでは決められず、国民投票が必要とされているわけです。

平時と違って、緊急事態には、政治家の判断が国民のくらしを大きく左右することになる。そうであれば、緊急事態のルールの基本的な部分は、政治家の多数決だけで決めるのではなく最終的には国民の意志で、つまり国民投票で決めるべき

だから、私は、「憲法」に緊急事態条項が必要だと考えています。

ただ、緊急事態条項の伝統的な議論、つまり、緊急時には政府つまり内閣の力を強める必要がある!という点を過度に強調する議論には要注意です。
むしろ強調すべきは、普段よりも内閣の力が強まるからこそ、国会や裁判所のチェック機能もまた特別に強める必要があるということではないでしょうか。

緊急事態条項の必要性を訴える方の中には、少なからずこんな風に言う方がいますよね。
つまり、憲法に緊急事態条項がないから都市封鎖ができない、病院にコロナ患者受け入れの強制もできない。だから緊急事態条項がぜひとも必要なんだという主張です。
安倍晋三元総理なども、こうしたニュアンスで発言することが多いですね。

でも、この理屈は、憲法の標準的な考え方からいうと正しくありません。
憲法に緊急事態条項がなくても、法律で作ること自体は可能なのです。
日本の憲法は、多くの人権について、文言上はかなり抽象的に「公共の福祉」による制約を認めていますから。

ただ、強い規制であればあるほど、制約される人権(居住・移転の自由とか営業の自由とかですね)とのバランスを慎重に見極めて作ったり運用したりしないと、作った法律自体が違憲になったり、その法律の運用が違憲になったりする可能性が高くなります

そして、既にこれまで行われてきた規制にしても、今後議論されるであろう新しいタイプの規制にしても、国民の暮らしをそれなりに強く制約するものです。
その根本的なルールは憲法で国民が決めておくべきで、だからこそ憲法に緊急事態条項が必要なのだという考え方の方が論理的だと思います。

さあ、ここまで【なぜ緊急事態条項はわざわざ憲法に書いた方がいいのか?】という理由について話してきました。
次回は、【憲法に書くべき緊急事態条項の3つのポイントとは何か?】をお話していきたいと思います。

以降も、ぜひおつきあいください!