コロナ禍で迎える2度目の夏休み。不要不急の外出自粛が求められる中、小学生にとって“天敵”ともいえる夏休みの宿題をめぐり議論が巻き起こっている。自由研究、読書感想文、絵日記、漢字や算数ドリルなど、バリエーションに富んだ宿題の数々。小学生にとって、本当にこれらは必要なのだろうか。
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民間出身で杉並区立和田中学校の校長を5年勤めた教育改革実践家・藤原和博氏は「小学生の夏休みの宿題は、必要な子と不要な子がすごくはっきりしている」と話す。
「塾で夏期講習に行っている子、オンライン学習が自宅でしっかりできる子はおそらく必要ないだろう。大概が偏差値60以上の子どもだ。ただ、日本の小学生の3割ぐらいは、家庭的に厳しくて、経済的に厳しくて、なおかつ勉強ができない子どもがいる。その子たちにとっては必要だと思う。その子たちは夏休みに何の課題も与えられないと、生活習慣が乱れてしまう」
藤原氏の説明を聞いたネット掲示板『2ちゃんねる』創設者のひろゆき氏は「できない子は宿題を渡してもできないから、意味がない」と主張。「そもそも勉強ができない子はできないままだから、宿題を出してもわからないままだ。やるべきことが違うのではないか」と指摘する。
藤原氏は「最底辺のなかなか勉強ができない子はそうかもしれない」とした上で、「真ん中の層にはフォローすると、勉強について来れるようになる子どもがいる」と回答。
「偏差値でいうと、45から55の間ぐらいの子たちだ。宿題を含めて、先生がフォローすることで、そういう子どもが救われる。特に自由研究や読書感想文が典型的で、経済的に厳しい世帯の子どもにとって、フォローしてくれるお兄さんやお姉さんはすごく大事だ」
「和田中学校では土曜日に土曜寺子屋、通称・ドテラというのをやっていた。教員になりたい学生をだいたい15人ぐらい集めて『その週に出た宿題だけでもお兄さんやお姉さんに聞きながらやろうよ』と。多いときには200人ぐらい生徒が集まる。それを拡大延長して、夏休みも2週間ぐらい学校を開けて、同じことをやった。先生にはなかなか聞きにくいかもしれないけれど、夏休みの宿題をお兄さんやお姉さんと一緒にやっちゃおうと。勉強ができない子どもたちにフォローなしで、高度に総合的な宿題をやらせても学力の格差が広がるだけだ」
藤原氏の取り組みを聞いたリディラバ代表の安部敏樹氏は「特に自由研究は家庭環境の差が一番出ると思う」とコメント。
「ひろゆきさんと藤原さんの話はレイヤーがズレているだけで、同じことを言っているように思う。学力の担保、生活習慣の担保、この2つがあって、後者の部分は家庭の格差がすごい。私も厳しい家庭のサポートを行う活動をやっているが、そういった家庭はそもそも机がないとか、整理整頓を親が教えない。
机があっても他の荷物で机の上が乱れると、1学期間かけて作ってきた勉強の習慣がなくなっている。そういう意味では、生活習慣をつけさせるためには何かをやった方がいい。それが夏休みの宿題だ。別に学力につなげる必要はなくて、何かしら習慣をちゃんと維持できるような形であればいい。(夏休みの宿題の)中身を変えるのはアリだと思う」
家庭環境と子どもの学力の関係に藤原氏も「首都圏の塾業界の人もはっきり言っているが、子どもの学力は親の学力が9割だ。宿題だけではなく、小学生の基礎的な学力は、やはりどうしても親のレベルがそのまま出る傾向にある」と実情を明かした。
ひろゆき氏は「宿題ができる子はやる。勉強が分からない子どもは、分からないままだから、時間の無駄だと思う」と主張。「自分で興味を持って、調べる方が大事だ」と自身の考えを明かす。
「例えば、読書感想文の課題で全く面白くない本を読むように言われる。つまらない本を読んで、面白くない感想文を書く。車が好きな子どもだったら、車の販売店に行っていろいろなショールームからパンフレットもらって、車の違いを調べるために、関連した本を読む。自分が興味のあるものを調べて、それに対して感想を書くことならみんなできると思う」
さまざまな意見がある小学生の夏休みの宿題。家庭環境に影響されない、自発的な行動を養う新しい宿題の仕組みが今求められている。 (『ABEMA Prime』より)