エヴァもガンダムWもなかった新潟が、今やマンガ・アニメで街づくり 「ガタケット」立ち上げ人の功績

J-CASTニュース

   政治や経済だけでなく、文化も首都圏に集中している。大都市圏と比べて、地方では放送されるアニメや書店に並ぶマンガの数は少ない。そのためにアニメやマンガ関連のイベント、プロの技を学べる原画展もほとんど開催されず、クリエイターも生まれづらい状況となってしまう。新潟市も、そうした地方都市の1つだった。

   そんな新潟市をマンガ・アニメ文化で盛り上げてきたのが、坂田文彦さんだ。同人誌即売会「ガタケット」の創設に携わり、新潟県の人々に表現の場を提供し続けてきた。さらには新潟市のアニメ・マンガを活用したまちづくり構想にも協力し、2021年にはこうした功績が認められ、第24回文化庁メディア芸術祭の功労賞を受賞している。

   J-CASTニュース編集部は、坂田さんのこれまでの歩みと今後への抱負を取材した。

(聞き手・構成/J-CASTニュース編集部 瀧川響子) 

  • 坂田文彦さん

    坂田文彦さん

  • zoomで取材に応じた坂田さん(右)。ガタケット事務局の新代表となった武田優子さん(真ん中)と高橋大介さん(左)

    zoomで取材に応じた坂田さん(右)。ガタケット事務局の新代表となった武田優子さん(真ん中)と高橋大介さん(左)

  • ガタケット会場俯瞰(1990年代頃)

    ガタケット会場俯瞰(1990年代頃)

  • 逆襲のガタケットスペシャル(ガタケット168)(2020年9月6日 開催)

    逆襲のガタケットスペシャル(ガタケット168)(2020年9月6日 開催)

  • コスプレガタケット1(2007年7月28日 開催)

    コスプレガタケット1(2007年7月28日 開催)

「日本のマンガの豊かな多様性を支えてきた一人」

   坂田さんは2021年3月12日、第24回文化庁メディア芸術祭の功労賞を受賞した。新潟市の文化振興に関わる「諸事業を有機的につなぐ結節点」として長年尽力してきたことが、贈賞理由として挙げられており、審査委員の表智之さんは「日本のマンガの豊かな多様性を支えてきた一人として、その功績を讃えたい」と評している。

   そんな坂田さんが2021年7月、J-CASTニュースのインタビューに応じた。

   ――坂田さんは1983年から続く同人誌即売会「ガタケット」を運営しながら、新潟市のマンガやアニメに関する取り組みに協力しておりますが、どういう経緯で「ガタケット」発足に関わったのでしょうか。

坂田文彦さん(以下同)「1982年に地元の新聞で、アニメ同好会の活動が報じられていていました。この同好会は同人誌も作っていて、今後も活動を広げていきたいと意気込んでいました。僕は『すごく面白そうなことをしているな』と思い、掲載されていた主催者の住所と名字を頼りに、電話帳を使ってそれらしい家に片っ端から電話を掛けていきました。そして2、30件目くらいですかね、ようやく主催者にたどり着くことができました。
そして、初めてお会いしたのは同年の6月か7月ごろ。『東京のコミケット(編集部注:コミックマーケット、通称「コミケ」)を新潟でやりたい』という話があり、興味を持った僕は『ガタケット』の発足に携わっていくことになりました」

   ――そして1983年に「ガタケット」第1回を開催したのですね。坂田さんが、イベントを運営する「ガタケット事務局」の代表になったのはいつ頃ですか。

「ちょっと時系列あやふやなんですけど、89年には代表になっているのかな。立ち上げメンバーからずっとガタケットに関わってきていました。ただガタケットの運営は90年までボランティアで、私は数年ほどアニメーターを生業にしながらイベントを運営していました。
しかしヒットマンガやアニメが登場し二次創作(ファンアート)を発表したい人が増え、コミケットもガタケットも急拡大します。伸びていくスピードについていくのが大変な時期が数年続き、ボランティア団体だけで継続するのは困難になりました。イベントのバックアップ機関として専従者や企業が必要になりました。もちろんボランティアスタッフも必要で、今後は両輪で運営していくしかないということになり、1999年、有限会社ガタケット(現株式会社ガタケット)を設立しました」

   こうしてガタケットは地域の創作表現の場として発展していく。93年には出展者が500サークルに、1995年には1000サークルとなった。そしてイベント設立から15年近くたって、新潟市から声をかけられた。

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