東京五輪開会式で、五輪開会式で天皇陛下の開会宣言の途中になって菅義偉首相が椅子から立ち上がったことに関して新たな展開が。
共同通信によると東京五輪・パラリンピック組織委員会の高谷正哲スポークスパーソンは、事前に予定されていた起立を促す場内アナウンスが流れなかったことを明らかにし、東京都内で記者団に「関係者に混乱が生じ、申し訳ない」と述べ、陳謝したそうだ。
またスポーツニッポンによると「当初は開会宣言の事前に関係者に起立をナレーションが場内に流れる予定だったが、宣言前に予定時間をはるかにオーバーする長いスピーチを行った国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が、スピーチからそのまま宣言へ至る流れをつくってしまったため、ナレーションを流せなくなってしまったという」と報じている。
しかし、この説明はおかしい。つまり、すで私が書いているように、1964年の東京五輪の際には、昭和天皇が一人で起立し、ほかは着席のままでそれを聞いている。札幌と長野冬季五輪のときも同様だったようだ。
従って、首相や知事らが起立しなかったことが不敬であるなどということはありえないし、悪質な誹謗中傷である。
ただ、これも、前の記事で書いたように、ヨーロッパでは一緒に起立することが多いようで、ロンドン五輪のときには、エリザベス女王の周りも立っているようにも見える。
そして今回、組織委員会は日本の伝統的な習慣によらず、最近のヨーロッパで多く採用されている形式にそって、起立することにしたようだ。
つまりバッハ会長が挨拶の最後に陛下に開会宣言をお願いし(1964年もそうだったように記憶する)、司会が一呼吸おいて、「それでは、開会宣言を天皇陛下が行われます。みなさん、ご起立をお願いします」とやって、陛下も首相らも観衆も同時に起立し、厳かに宣言が始まるはずだった。
ところが、司会の言葉が始まる前に陛下が開会宣言を始められた。そこで、司会の起立を促す言葉を待っていた首相らは、戸惑ったが、小池知事が立ちましょうと促して首相も立ったということであろう。
ただし、スポニチがいうようにバッハ会長の挨拶が長すぎたというのは関係ないことだし、バッハ会長が陛下に宣言をお願いするのも普通のことだから、バッハ会長に責任をなすりつけるのは卑劣だ。
となると、陛下と運営側の司会の打ち合わせが十分でなかったということだ。司会の言葉のタイミングが遅れたのかとも思ったが、バッハ会長の言葉がおわるやいなや言葉をかぶせるようにいうべきでもでない。ショーではないのだ。
また、陛下の宣言が始まってしまったのに、司会が起立を促す言葉をかぶせるわけにはいかない。
予定外のタイミングで立って宣言を始めた陛下と同時に、起立を促すのを待っていた首相らが立たなかったのも無理はない。
となると、誰が悪いかは、そんなに簡単に断定できるものでないことがわかろう。