度重なる暴対法の改正で人数も勢力も弱まっている「ヤクザ」。それでも、そこには「カタギ」とは違う文化が脈々と受け継がれているといいます。平成11年刊行の山平重樹さんの『ヤクザ大全 その知られざる実態』から、その一端を伺い知ることができるかもしれません。刺青や指詰め、男たちを結ぶ盃の意味、背負った代紋の重み、「シノギ」の方法、ヤクザと企業の関係……。今だから知りたい、当時のヤクザの流儀を抜粋してご紹介します。
ヤクザの世界は徹底した管理社会
「子どものころは、ヤクザというのは好き勝手なことをやってればいいと思っていたけど、実際、こうしてヤクザやってると、会社にいるより大変なことだとわかってきた。もし、この調子でサラリーマンをやってたら、いまごろどんなに上にいってたかとつくづく思うね」
というのは、関東のある広域系2次団体の50代の組長。
これは意外な、と思う読者も多いことだろう。普通、ヤクザ社会というと、一般の管理社会からはみだした者の集団というイメージが強い。ところが、この親分によると、現実のヤクザ社会は、むしろ企業社会より徹底した管理社会で、ビジネスマンより好き勝手できないシステムができあがっているという。
「上に立つ人間となると、なおさら身を慎まなきゃならなくなるからね。私も大きな組織の一員として勝手なことはできない。責任あるポストを与えられて、それを遺漏なくつとめなきゃならんからね。若い衆の暴発を防ぐ意味でも、組織の管理化はさらに押し進めなきゃね」
若い衆にしても、がんじがらめに管理されている組織も目につく。全員がポケベル携帯を義務づけられ、携帯電話まで持たされる。なかには、「1日に3回、必ず事務所に電話を入れて自分の居場所を報告しろ」とか、「組事務所に5分以内で駆けつけられる範囲に家を置け」と組長命令を出しているところまであるほど。前者の場合、事務所当番が組員からの電話の入った時刻を日報に記載することで、その日の全組員の居場所、動向が一目瞭然となる。事務所の責任者である幹部が、3時間おきくらいに事務所に来て、その日報をチェックするというから念が入っている。
(写真:iStock.com/Oleg Elkov)
ただ、こうした組織の管理化を徹底すれば、当然ついてこれない若い衆も出てこよう。
この「1日3回電話」を義務づけている組織の長がこういう。
「われわれの世界にくるような人間なんて落ちこぼれが多いですよ。それをまた、私らの世界でも落ちこぼれだからって、見放してたらどうなります。その人間はもはや行き場がないでしょ。使いものにならないからって切り捨てていたんでは、一般の企業と一緒になってしまう。そういう落ちこぼれもなんとか引っ張りあげてやろうというのが、私らヤクザの世界ですから」
ただ単に管理を厳しくすればいいわけではないというのだ。確かにやみくもの管理化と厳罰主義は、逆に若い衆の伸びる芽をつみ、組織の活性化を損ない、いろいろな面でマイナスに作用する危険性も多分に出てくる。
どんな人間でも1つはとりえがある
いずれにせよ、どの親分も強調するのは、組織運営はもちろん、人を育て、管理することの難しさだ。
「ただ頭から押さえつけたんでは、反発するのはあたりまえ。もともときかない人間の集まりなんだからね。親分だっていうんで、えばってるだけじゃ、誰もついてこないよ。われわれは組織の上司、部下というより前に、親子なんだからね」
とは、東京のテキヤ系の組長の弁だ。
冒頭の関東の50代の組長がこういう。
「枯木も山の賑わいと、使えない者を何百人置いたって、そんなものは話になりません。1000人いたって、フッと吹けば、飛んでいくような者ばっかりじゃしょうがないんです。本当に強いヤツ1人にも劣りますよ。だから、若い衆はヤクザらしく育てろ、と幹部にはつねづねいってます。数さえ集めりゃいいというもんじゃない。集めたってすぐ消えていくような者ばかりになるからね。
だけど、最初の印象じゃ必ずしもわからんですよ。弱そうに見えてもキツいのもいるし、普段は柔やっこいのが、いざというとき思わぬ働きをすることもあるし……。本当の弱虫がこの組織に入って強くなってくのもいるしね。育ててみなきゃわからない」
この親分と同じようなことをいうのは、前述のテキヤ系組長だ。
(写真:iStock.com/marchmeena29)
組長によれば、この世界で伸びていく若い衆というのは、まず行動力のある人間。人が1つしかやらないところを3つも4つもやってしまうような若い衆だとか。
その逆に、使えないのが、動きの鈍いヤツ。ところが、世の中わからない。
どこから見ても、こいつはまずモノにならないだろうとしか思えないような若い衆が、どんどん伸びていくケースもあるというのだ。
「うちに入ってきた当初、年も多少食っていてね、万事スローモーでね、こいつはちょっと望み薄だなと見ていた男がいたんだけど、そのうち、1つのことをやらせると、それだけは他の者がかなわないというものが出てきた。
その適性な仕事を与え、ある程度の役をつけると、見違えるようにグングン伸びてくる。いままで上にいた者さえ追い越されてしまった。だから、どんな人間でも何か1つくらいはとりえを持っているということなんだ。要はそれをわれわれがいかに引っ張り出してやれるかということなんだ」
これは上の者の眼力が試されるきわめて大事なことであろう。
上の者にそうした器量がなければ、せっかく磨けば光る逸材でも、ただの石ころのままに埋もれさせることにもなりかねない。
となると、若い衆にしてみれば、よい兄ィなり、よい親分のもとにつくというのも、伸びていくための最初の必須条件となってくる。
東海地区の某親分の場合、若い衆に対する態度はおよそ管理からはほど遠く、むしろひとつの家族にあって、兄貴のような感覚で接している。
「若い衆とはいつも一緒に出歩いて、ともにメシを食ったり、酒を飲んだりしてますよ。週に何日かは必ず事務所に泊まってね。若い衆と一緒に寝泊まりして、絶えずいろんなことを話すんです。親分だなんていって気どって若い衆と話もしないんじゃ、こっちの意志も伝わらないでしょ。この世界というのは、結局、人と人とのつながりだからね」
と組長。
何か悩みを持っている者がいれば、積極的に相談にも乗ってやるという。その者一人だけを連れて、飲みに行っては胸中を吐露させるのだ。
「ヤクザ稼業がイヤになったということをうちあける者もいるけど、そのときは、そりゃカタギの社会も同じ、上司と折りあいが悪いなんて話はよくあるし、それはどこへ行ってもしようがない──なんて話をして納得させてやるんですよ」
上司と部下の人間力学はいずこも同じということだろう。