長崎県佐世保市の地元民たちに名物を尋ねると、「佐世保バーガー」や「レモンステーキ」に続き「じゃんぼ餃子」というワードが飛び出してくることが多々ある。米海軍基地が置かれた町・佐世保らしく、前2つについてはナルホドなのだが、じゃんぼ餃子とはこれまたいかに、だ。わたし含め、多くの佐世保民が愛するこの不思議なソウルフードを紹介したい。
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これが「佐世保のじゃんぼ餃子」だ
これがじゃんぼ餃子だ。ちなみに正式には、「天津包子舘(てんしんぱおずかん)」で作られているものを指す。
左がじゃんぼ餃子、右がスーパーで売られていたチルドの餃子だ。
ご覧の通りでかい。重さはスーパーの餃子で約15g、じゃんぼ餃子で45gある。3倍も違うのだ。ちなみに価格はスーパー餃子が10円/1個(18個入り)なのに対し、じゃんぼ餃子は98円である。10倍近く違うの!?と、いま書きながら驚いた。
とにかく皮が分厚く、餡はハンバーグと言っても差し支えないほど。シンプルな肉と玉ねぎ、生姜だけを使用しているのに厚みのある味わい。そして極めつけは、ギュッと閉じ込められた肉汁だ。噛むととにかくしたたる。餃子を食べるASMRでじゅるりが聞けるのは、わたしはいまのところこの餃子しか知らない。
これが、地元民で(恐らくたぶん)佐世保バーガーと人気を二分しているじゃんぼ餃子だ。みなさんもそろそろ、じゃんぼ餃子、と口に出して言いたくなっている頃だろう。もしそうだとしたら嬉しい。そう、語呂もいいのだ、じゃんぼ餃子は。
さきほど地元民にとっては佐世保バーガーと人気を二分する、とでっかく書いたが、あながち冗談でもない。新型コロナウイルスの大打撃を受け2020年4月末に休業に追い込まれた天津包子舘は、顧客からの熱いエールで、今年3月に復活を遂げたからだ。
中華なビルはランドマークの1つに
天津包子舘は、佐世保市街地のど真ん中・上京町にある。
写真左手の、赤い中華テイストな装飾が施された5階建てのビルがそうだ。でかい交差点の角から放つその存在感は、すっかり佐世保のランドマークのひとつになっている。以前は一階部分は同社経営の四川料理のレストラン、二階部分が天津包子舘のレストラン。三階は宴会場で、四階は調理場、五階は事務所兼倉庫と、まるっと天津包子舘だった。現在稼働しているのは一階部分で、お持ち帰り餃子専門店として営業している。
長崎市みたいにおっきな中華街が佐世保になくったって、天津包子舘があればよかったのだ。わたしにとっては。なので去年の春、休業を告げる張り紙が入口に張られ、ビル全体が水を打ったようになった時にはとてもハラハラした。全国で老舗が次々と閉店というニュースを耳にしていたので、え、そんなまさかと震えたものだ。
しかし、お店は一年後にお持ち帰り餃子専門店として再オープンした。待ちに待ったニュースに、佐世保ではとても話題になった。いやはや、心底ほっとした。今回は、そんなわたしの気持ちもお伝えしつつ、老舗餃子専門店のこれまでの歩みについて伺った。
お話をしてくださったのは、代表取締役の八木順平さんだ。
満州で食べた味が忘れられず
天津包子舘がオープンしたのは昭和29年(1954年)。中国・満州から引き揚げてきた初代店主・八木秀義さんが中国で食べた餃子と包子(以下:肉まん)の味が忘れられず、それを佐世保で出会って妻となったヒサ子さんが再現。本場の味を、多くの人に食べてもらおうと思ったことがきっかけだった。
店名は「天津包子舘」。戦後何もない更地に近い土地に二階建てのビルを建設。その一画で小さな食堂をスタートした。
「店名が“包子舘”ということからも分かるように、はじめは肉まんをメインで売りたかったんですよ。けど、当時は料理の技術が足りなくていまひとつだったらしいんです。そこでサイドメニューとして出していた餃子が先行して売れるようになった。肉まん屋という名前の餃子屋になってしまったわけです。」
――ほかにも中華のメニューは出していたんですか?
「いや、はじめはその二つだけで。完全な中華料理屋ではなく食堂だったので、定食やカツ丼とかも出していたみたいですよ。」
天津包子舘の開店以前、初代店主は外国人向けのバーやパチンコ店など手広くチャレンジしていたそうだ。やはり戦後の人はバイタリティがすごいなと思い知らされる。そして、最終的に落ち着いたのがこの店だったそうだ。
まだ何もない小さな町でオープンした小さな食堂はたちまち盛況となり、肉まんの引き立て役だったはずの餃子はすっかり看板メニューとなった。
その後、順平さんの父(二代目)が東京に料理の修業に出ていた際、同じレストランで働いていた同僚を連れて佐世保へ。時は1972年、自社ビルが建った頃だった。当時、周辺にあった大きな建物といえば8階建ての佐世保玉屋デパートぐらいじゃなかったか。住民たちが受けた衝撃はいかほどだったかと想いを馳せる。ちなみに、あの豪華な外観は幾度かの改装を経ているらしい。最初の頃の外観・・見てみたい!
順平さんの父は二代目となり、ここからメニューを一新し本格的な中華料理店へと生まれ変わった。エビチリや酢豚などの今となってはメジャーな中華メニューに挟まれながらも、餃子はやはり、看板メニューだった。
餃子だけど、餃子じゃなかった!
――本場中国で食べた味を再現したというじゃんぼ餃子ですが・・。美味しいですよね。
「有難うございます。あの味は創業当初からずっと変わっていません。それに手作りです。」
――手作り!すごい。毎日とんでもない数売れてるんじゃないですか。
「基本一日1,000個としていますが、昨日は1,600個作りましたよ。作るのは僕と奥さん、あと職人さんの3名で。代々3~4人体制で、朝から昼過ぎまでひたすら餃子作ってます。もう、盆と正月の帰省シーズンが嬉しい悲鳴ですが猛烈で。多い時で一日8,000個は出ますね。」
――それはすごい。
「うち、現金精算のみなので。餃子を作って、現金で売る。そんな生活。」
――至ってシンプルな、ていねいなくらし。ちなみに、餃子の大きさも今のようなじゃんぼで。
「いや、実は・・餃子に関しては、大きさは変わっています。」
――あ、やはり原料の値上がりとかで小さく?
「その逆で、作っていくうちにでっかくなった結果が今の大きさです。」
――お、おぉー。
「味に関しては初代が中国で食べた味を再現しているのですが、大きさはそうなんです。小さいのをちまちま作るより、大きいのを作った方が早いよね、ということででっかくなりました。値段も当初5円※から、今では98円ですもんね。」
※聞いた最初は5円ー!安いー!と笑ってしまったが、のちのち当時の価値を調べてみるとそこまで大きくは変わらないようだった。
――そんなスーパーシンプルな理由だったんですね。値段があがってしまうのは、素材の価格変動もあるのでしょうが、仕方がない気が。大きさは、これがベストだと。
「もちろん。うちの餃子の黄金比率のためといいますか、中に入っている餡と皮の食感がマッチするのがこの大きさなんですよね。これ以上大きくても小さくても美味しくない。なので、完全にオリジナルです。」
――大きさもですが、あの形状と味も独特ですよね。
「うちの餃子は、餃子であって餃子でないんですよ。」
――え!
「いや、そうだと思いますよ。たぶん、肉まんと餃子のハーフみたいな感じではないでしょうか。」
餃子でありつつも、手作りの分厚い皮とぎっしり詰まった餡はまるで肉まんのような存在感だ。天津包子舘の餃子が肉まんと餃子のハーフのようなもの、という響きにわたしは小さな興奮を覚えた。
――餃子だけど、餃子じゃなかった!(サツキとメイみたいに飛び跳ねたい気持ちを抑えつつ)わたしたち佐世保人にとっては、立派な餃子なのですが。
「有難いことに、親子代々で食べに来て下さる方々がいらっしゃるおかげですね。他県の方へのお土産に、冷凍の餃子を購入される方も多いようです。」
佐世保で好まれている局地的な味
佐世保の人々の熱烈な応援に支えられてきたと語る八木社長。しかし、県外進出の壁はとても分厚いという。
「長崎物産展とかで、お店をあげて販売に出向くじゃないですか。これがあまり売れないんですよ。購入してくださる方も、佐世保の方が多くて。」
――それは、さきほどおっしゃっていた「餃子だけど餃子じゃない」に繋がる・・?
「そうですね。テレビロケのときTVの方に『これ餃子じゃない』ってコメントされたこともありましたよ。」
――きびしい!
「餃子は特に、ご当地のイメージが強すぎるんですよね。たとえば、北九州の一口餃子の街とか言ってるところに持って行っても売れるわけがなく。」
――パリパリの羽付き餃子が良しとされているところでも同様でしょうね。
「カレーとかだったらまだ受けられやすいし、チャレンジもしやすいのかなって。不思議ですよね。なんでだろ。」
――ちょっと話は戻るのですが、餃子を作る専門の職人さんが代々いるとおっしゃってましたよね。もちろんレシピは門外不出なわけですか?
「いや、特に厳しくは言ってないですよ。」
――え、では、のれん分けというか、同じ餃子を出す店が出てもおかしくないのでは。県外とかで。
「やろうと思った人はいくらでもいると思いますよ。けど、さきほど言いましたように、佐世保から出たからと言って売れるとは限りませんから。」
――局所的な・・佐世保で人気を博すじゃんぼ餃子。人気というか半分食文化?本当の意味でのここだけの味。名物感が高まりますね。社長としては、「じゃんぼ餃子」が佐世保名物になったと実感したことはありますか?
「う~ん。どうなんでしょうかね。名物になったと言うとおこがましいですが、周りの方々がそうおっしゃってくれるのは有難いですね。われわれ以上にじゃんぼ餃子のことをよく見ていらっしゃる。」
「お客様がアレンジするレシピがすごいんですよ。われわれの考えが追いつかないほど、愉しんでいただいている。焼いた餃子を鍋の具材にしてみたり、お味噌汁に入れてみたりとか」
――じゃんぼ餃子のお味噌汁は未知の味が過ぎますね。試してみたいです。
コロナ禍での決断、復活まで
――「天津包子舘」がコロナ禍で休業されたのが昨年2020年の4月中旬。お店を再開されたのが今年2021年の3月でしたね。これにはどのような経緯があったんでしょうか。
「どこもそうでしょうけど、うちでもコロナの打撃は予想以上でした。従業員さんは35名いらっしゃいましたが、この売上で走り続けるのは無理でした。負担をかけるわけにはいかないと思い、とても早い段階でこちらからリストラする形で退職していただき、お店も休業しました。」
――とても早いご決断だったんですね。
「もちろん苦渋の決断でしたけど、従業員さんたちのこの先が大切だったから。早期休業に関しては、やはり各方面から大いに驚かれました。それから一年近く店を閉めて。再開したのはやはり、周りのお客さんの反響でしょうね。
また食べたいというお手紙や、『天津包子舘のじゃんぼ餃子は佐世保名物の1つなんだから、なくなったら困る!せめて餃子だけはどうにかしてくれ』って言われたり。」
――わたしもそう思ってました!復活してくれて良かったです。
「色んなメディア様にも取り上げていただいたし、嬉しい反響もいただいたりで。いま再開して3ヶ月目ですけど、思ったよりも悪くないです。やれることをコツコツやっていきたいです。」
元中華料理店がリモートワークの拠点に?
――今後の展望はいかがでしょうか。
「まだ先が見えない以上、現状維持ですね。もしもの話で、販路を広げていくとしたら…焼いた餃子を販売したいですね。工場を持たず、手作りをそのまま提供できるような。『フランチャイズで独立してやってみたい!』って子がいたらさせてみたいです。でも県外じゃ売れないんじゃないかなぁ。ははは。」
――二階の元レストランだったフロアの活用方法とかは?
「リモートワークの拠点にどう?とお話をいただいたりしてますが、特にまだ動けていませんね。」
内装はビル建設時から変わっていないそうだ。初代が中国から買い付けたビンテージな家具なども並んでいる。
――イベント会場とかで貸し出したらいかがでしょうか!?ディスコとかやってもらって、わたしはそこで踊ってみたいです。
「ははは。何かしら活用出来たら良いんですけどね。」