先日Facebookで久しぶりに「フレンドシップ・パラドックス」の話題を聞くことがありました。これは周囲の友人と自分を引きくらべて、自分のほうが友人が少ない気がすると感じてしまうバイアスのことで、なぜこうしたことが起こるのかは数学的に説明されている現象でもあります。
この話題については10年ほどまえにこのブログで紹介したことがあるのですが、当時も面白いと感じましたし、その頃に比べてSNSが日常に密着するようになったいまでも面白い話題に思えます。
なぜ、知り合いの方が友達が多いようにみえるのか | Lifehacking.jp
数学的な説明では、人間関係をノードとエッジで表現されるグラフにみたてて、どのようにしてそうした虚像が浮かび上がるのかを表現するのですが、端的にいえばこれは「友人の多い人」によってネットワークが偏って見えてしまうことから生じる現象といえます。
ところでこれは人間関係のような一対一の関係の重ね合わせにおいて見えてくる話ですが、似たような話題に「Facebookでいつでもみんなが楽しそうにしていてつらい」という現象があったことを思いだします。
これも偏りのある情報が生み出す虚像として面白いので、当たり前の話ではあるのですが紹介しておこうと思います。
SNSで誰もが楽しそうに見える理由
ひとことでいえば、それは「みんなが楽しいときにしか投稿していないから」になるのですが、もっと直感的に見えるように図で表現するとわかりやすいでしょう。
たとえばAさんというひとがいて、その一週間が「楽しいことがあった日」「普通のことがあった日」「不幸なことがあった日」が 1:2:1 の割合で構成されていると仮定して並べてみるとこういう形になるかもしれません。
時間は上から下に並んでいるとみて、よくないことがあった日の次に普通の日があって、その次に楽しいことがあった日が続いているといった具合です。これをBさん、Cさん、Dさんについても作成しますが「よいこと」があるタイミングはランダムに起こっていると考えます。
そして、それぞれの人は「良いこと」「楽しいこと」があったときだけそれをツイッターやFacebookにシェアしている、極端な場合を考えると次のようになります。
AさんからDさんが楽しかったタイミングがずれていますが、楽しいときしか投稿しませんので、タイムライン上は誰もが楽しい毎日を過ごしているように見えます。ちょうど自分が調子の悪いタイミングだと、なんでみんなこんなに幸せそうなのだろうかと悩む人だっているでしょう。
これは何も証明しているわけではありません。楽しいことはランダムに起こりませんし、AさんとBさんがいっしょに何かをしていることも多いでしょうし、ひとはさまざまな理由で投稿を行いますし、表示のされ方はSNS側のアルゴリズムで決まっている面もあります。
単にこれは、ほんの少しでも「楽しいことがあったときに投稿する」「イライラとしたときだけ投稿する」といった偏りがあるだけで、数の多いフレンドが日常をシェアしているタイムラインは雰囲気が偏ってみえてくることを単純化して図式したに過ぎないのです。
同じことは他人の才能、成功の度合い、年収といったものでも起こります。本当の分布がわからなかったり定義できず、見かたに偏りが生まれるなら必ずといっていいほど生まれるバイアスといえます。
偏った情報を「偏っていない」と判断するときの危険
これは一種の「ファクトフルネス」的な議論になりますが、解釈している元の情報が偏っている場合、その偏りを除去せずに議論をおこなうと必ず結論は歪みます。
しかし、偏りはあらかじめわかりやすく見えない場合が多いのが実情です。特にSNSの表示は滞留時間とクリック数を最大化するためにアルゴリズムが改変していますし、なにげない「いいね」がさらにタイムラインを改変してゆくことはよく知られている事実です。
よくタイムラインの雰囲気が悪いときに「そういうひとをフォローしているからだ」と言われますが、中立なタイムラインを作ろうとしてもそこに温度差を生み出すのがアルゴリズムの挙動ですし、私たちの主観の為せるわざでもあります。
逆に、タイムラインがエンゲージメントやクリックを誘発するものに偏って表示されていることを知っているなら、別のことに気づくことも可能になります。一見楽しそうな投稿の間に、最近投稿していない調子が悪かったり、寂しかったりする人がいるものの、それは偏りによって見えていなかったり、アルゴリズムによって発見しづらくなっていると考えられるのです。
そうした人にむけても受け入れやすい投稿ををしたり、声をかけたりすることは、こうした偏りを乗り越えて伝わる言葉を見つけるきっかけにもなるわけです。
FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣