突き抜けるような青い空、日差しを受けキラキラと輝くエメラルドグリーンの海、どこまでも続く海岸線。
日々の喧騒から離れ海外リゾート気分を味わえる。そんなイメージが、長崎県の離島である宇久島(うくじま)にはある。
ただし、それは夏の話。
2021年12月、ハイパーオフシーズンにも関わらずちょっと行ってきたので、その様子をお伝えしたい。
いろいろ大変だったけど、オフシーズンも宇久島は最高でした。
なぜオフシーズンに宇久島に行くことになったか
宇久島は、長崎県本土から約50㎞離れた場所にある。日本海と東シナ海にまたがり、日本有数の漁業海域・五島列島最北の有人島だ。
とはいえ五島市ではなく佐世保市に属しており、同市唯一の外海島となっている。
とにかく漁業が盛んで、震えるほど魚介がうまい。
古くは鯨漁や海士(あまんし)によるアワビ、サザエ漁などで発展してきた歴史があり、現在も島内にある「浜方ふれあい館」で資料などが展示されている。
また、農業や畜産業もあり、自給自足の生活が叶ってるんじゃないかとおもう。
ちなみに、かの平清盛の弟・平家盛がこの島に上陸したという言い伝えも残されている。
わたしが宇久島の存在を知ったのは5年ほど前、編集記者の仕事で民泊体験を取材したことがきっかけだった。
白い砂浜、青い海、まばゆい太陽、一面に広がるヒマワリ畑などなど、きらきら輝く思い出が頭の片隅にずっと残っていたのだ。
特に思い出深かったのは民泊。地元の方の家にあがって、地元の食材を使ったお料理を一緒に準備して食卓を囲むといった“島暮らし体験”だ。
その日の夜はまさに大宴会で、民泊の主以外にも、ご近所から漁師のボスやら牛飼いのおじちゃんや家族らがたくさん来て、ゲラゲラ笑いながら酒を飲み交わした。
普通の旅館やホテルでは味わえないシチュエーションである。
当時は民泊体験が試験的に始まったばかりの頃だったので、彼らと今後の島の課題とか、そんな議論を交わしたような気もする。
取材の空気感というのもあるけど、あの夜はなんとも強烈だった。それをなんとなくいま、体験したくなったのだ。
「そうだ、宇久島に行こう」。
2021年の終わりにそう思った。
そして気がつくと民泊の予約が完了していた。一年間頑張ったご褒美の強大な魔力のせいでもあったかもしれない。
「ていうか、ふつう夏だろう」という感覚は、年の瀬に離島へ旅行をするというなんだかイイことをしている雰囲気にあっさり飲み込まれてしまったのだった。
大しけの波に揺られてなんとか到着
移動時間は佐世保港からフェリーで約3時間、高速船で約1時間半ほど。揺れが少なさそう&船賃が安いの理由でフェリーを選んだ。
3歳と1歳の子連れなので(実は家族旅行でもありました)心底不安だったが、キッズスペースがあったのでとっても救われた。
周囲を見ると、乗客はほとんど仰向けになって寝転がっている。あとあと考えると彼らは船旅の玄人たちだった。
呑気に座って子どもたちと遊んでいるのはわたしたちだけである。
結果、大しけの波に揺られてまぁまぁ酔った。下船後、「まさか離島でそんなバカな」と思えるほどの冷たい風に吹かれ、喉元までせりあがっていたものが引っ込んだ。
ターミナルで出迎えてくれたのは、今回民泊体験でお世話になる「民泊 和(なごみ)」の主、宮﨑吉男さん。
5年前の取材のときにもお世話になった方だ。
「久しぶり。心配してました。今日はもしかしたら欠航すると思ってたから」
ふと、乗船チケット販売窓口の貼り紙を見ると、わたしたちが乗った船以外はすべて欠航していた。
年末で浮かれていたが、なんて日に来てしまったんだとようやく我に返る。今日は、島民ですら心配してしまうコンディションだったのだ。
世間話もそこそこに、民泊へのチェックインまでには時間があったのでレンタカーを借りた。宇久島の民泊体験では、島の案内もしてもらえるのだ。
宮﨑さんの運転するセレナがゆっくりと走り出す。シルバーのボディと同じくらい、空も相変わらず曇っていた。
捕鯨やアワビ漁で活躍した「海士(あまんし)」
長崎に住んでいると、捕鯨文化で栄えた地域の話はちらほら耳にする。ここ宇久島もそうだった。
でっかいセレナをおそるおそる停めた、平堀川地区にある「浜方ふれあい館」でお話を伺う。
ここは、島内唯一の体験型施設なのだそうだ。「旧宮﨑缶詰製造所」とは、1912年(大正元年)に設立されたサザエの缶詰製造所である。
設立者の宮﨑氏は、各地に足を運び技術や知識を存分に学んだそうだ。
施設内には、その歴史や捕鯨文化などを伝える展示がたくさん。駄菓子・お土産なども販売されている。
味の良さが評判となり、宇久島の名産として販路を拡大していたサザエの缶詰。だが、第二次世界大戦の勃発により原料不足、また調味料も統制下に置かれたため製造中止になった。
しかし、終戦後10年ほどが経過し、数々の統制が解かれ物資も行き渡り、経済も上昇していった1963年。
大漁に水揚げされる島の水産物を二次産業へと繋げるために、缶詰製造所の再稼働が始まったのだ。
その後、宮﨑氏は長男の国広氏へと事業を引き継ぐ。
国広氏は長崎水産高校製造科を卒業後、広島缶詰工場で軍事用の缶詰を製造した経験を活かし、サザエのほかアワビや鰤の照り焼き、生ウニ、鶏肉の昆布巻の缶詰を製造した。
う~ん、聞いてるだけでたまらんラインナップ。とってもお酒が飲みたくなった。
島の食材を詰め込んだ缶詰は、年間約800ケースが出荷され、神戸の貿易商を通じてアメリカや台湾などに輸出。
宇久島の水産業の歴史を大きく支えた功績が称えられ、建物ごと昭和産業遺産として大切に残されているのだ。
いやはや、島の水産物はてっきりその場で消費されるものだと思っていたから、缶詰にする技術はまさにグッジョブである。
また、興味深かったのは「海士(あまんし)」の歴史。後述するが、その称号は平家によって与えられたという。
彼らは代々、捕鯨やアワビ漁などで活躍したそうだ。
陽気なカラーリングの鯨恵比寿
「この近くに、珍しい恵比寿様が祀られてるんですよ。ご覧になってみます?」
とのことで、有難く見せていただくことに。建物を出て1分程テクテク歩く。
このエリアは古文書によると「堀川の山見」と呼ばれていたそうで、周辺に鯨遊泳の見張り場があったそうだ。
民家が立ち並ぶ通りをゆくと、鮮やかなブルーの屋根の祠が見えてきた。
中を見せていただくと、にっこり笑うビビッドな恵比寿様が。よく見てみると、鯨に乗っている。
なぜこのカラーリングなのかを尋ねると、
「数年前に地元の方々が色を塗って綺麗にしたんですよ」とのことで、詳しい意味などはわかっていないそうだ。
ただ、塗ってるとき、すごく楽しかっただろうなと思う。キャッキャしながら塗ってたんだろうな。わたしも混じりたい。
タイのお寺にいそうな、異国情緒あふれる恵比寿様は宇久島の守り神なのだ。
車から降りずに観光地をめぐればサファリパーク気分
今日という日に訪れてしまったためか、「ほんと、夏に来れば良かったんですけどね」が島民の方への挨拶となった。
わかってはいたのだが、それにしても、こんな悪天候でも気持ちが沈まなかったのは、オフシーズンこそ、地元感を味わえるのではないかとおもったからだ。
今回のテーマはリゾートではなく、より地に足の着いた地元感。
しかしながら、冬という季節ゆえ、巡った場所はことごとく島民の方でも絶対行かないようなスポットになってしまったので、結果的に観光めいた空気にはなってしまったのだが。
真冬で大しけの海は、観光客を歓迎しないまさに野生の状態。車の窓から見ていると、まさにサファリパークのような感覚に陥るのだった。
以下、明日のフェリーを心配しつつ回った場所をお伝えする。
●すごく神々しい海
●対馬瀬灯台
肝心の灯台は、一瞬だけ撮ったこちら。本当に寒くて手がかじかんで数秒ともたなかったのだ。
●火焚崎(ひたきざき)
ちなみにこちらは、宮﨑さんも出演した宇久島PR動画。平家盛上陸のようすが再現されている。
「8時間のロケの末、私の出番は一瞬でしたよ~」だそうだ。
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●アコウの巨樹
●車の轍があったので勢いで行ってみた島の北側
島めしでお正月を先取りした
宮﨑さんの民泊「和(なごみ)」に到着した。
ここは宿泊者用の離れ。本館は隣の家屋だ。民泊で新館できるのすごい、と純粋におもった。
古民家をリノベしたばかりだそうで、どこを見ても古くて新しい。
「5時になりました。遊びをやめて、お家へ帰りましょう。」防災ラジオから、夕方5時を告げる時報が鳴り響く。
旅行先でローカル番組や天気予報にワクワクするのはもちろんだが、時報やラジオもまた旅情。いいもの聴いたぜ!となぜか得した気持ちになる。
夕飯の支度も出来たので、配膳のお手伝いをする。もうこれは実家じゃないか。この辺が宇久島民泊の醍醐味。
「島めし」だ。朝獲れの超新鮮な魚介をいただく。野菜ももちろん地元産、自給自足めしだ。
いつ宴が終わったのかもはっきりしないまま、各自ぱらぱらと就寝。
消灯後、台所の灯りのなかふじこママが後片付けをしている音と、洗剤の香りになんだか懐かしさを覚えつつ眠りについた。
スーパーで現実に戻る
朝、防災ラジオから船の欠航を知らせるアナウンスが聴こえてきてドキッとしたが、わたしたちとは関係のない便だった。
裏口から「おはようございまーす!」と、どよんとした雲を吹き飛ばすかのような男性の声。漁師さんが獲った魚を持ってきてくれたらしい。
「はーい、ちょっと待ってね!」とふじこママが出て行った。ご近所付き合い、これも日常の風景。というか、こんな寒い日でもやっぱり漁に出るんだな。美味しいお魚有難うございます漁師さん…。
お世話になった宮﨑夫妻にお礼を告げ、ふたたびレンタカーを走らせる。
行先は地元のスーパーだ。島の生活の香りをかがせてほしい。
変わったものがなにもなくてハッとした。鬼滅の刃が大好きな若いスタッフが描いたPOPが棚を彩る、活気のあるお店。
まさかの、地元スーパーで旅行気分から現実に戻ったぞ!
島だけど、とても地続きなもののように感じたからかもしれない。環境は違えど人の生活はだいたい同じなのだ。
それをこの旅で知りたかったのでとても良かった。一年の締めくくりとして穏やかな気持ちになった。
オフシーズンでも離島はたのしい
「夏に来れば良かったんですけどね」と挨拶して回り、「今度は夏に来てね!」と見送られた宇久島旅行。
しかし、自然も人も良い意味でオフだったので、冬場の離島も全然アリだ。
観光客ウェルカムな要素が少ないほど、より地元の生活の空気を味わえると思っている。
ただ、どのシーズンにおいても、船による長時間の移動はつらい。30代半ばでこの課題に突き当たるとは思いもしなかった。
そんなわけで、離島に行く唯一のハードルは船酔いである。季節なんて関係ないのだ。