新型コロナウイルスが欧州を席巻し、多数の感染者、死者を出している。感染力の強いデルタ変異株をいかに抑えるかで欧州各国の政治家、ウイルス学者は頭を悩ましている。ただ、多くの政治家はロックダウン(都市封鎖)の阻止を最大目標に置く一方、ウイルス・免疫学者たちは感染防止のためには一層の規制強化が不可欠と主張し、両者は激しい戦いを舞台裏で展開している。
まず、両者の立場を説明する前に、国民の状況を紹介する。11月中旬を迎え、欧州は本来、クリスマスシーズンに入り、至る所でクリスマス市場がオープン、人々の心はクリスマス一色となり、家族連れや仕事帰りの人々が市場で、プンシュ(ワインやラム酒に砂糖やシナモンを混ぜて暖かくした飲み物)を飲む。普段は距離を置いてきた教会にも通い出す。ただ、昨年11月は新型コロナ感染が急増し、第2ロックダウンが実施された。そのためウィ―ンではクリスマス市場は閉鎖された。だから、「今年こそ」と多くの市民は期待してきたが、昨年と同様、新規感染者が急激に増加してきた。昨年との違いはコロナワクチンだ。国民の60%以上は2回接種を終えた。大多数の国民は「ワクチンを接種した。今年は例年通りのクリスマスを迎えることが出来る」と期待しているわけだ。
次は政治家の立場だ。民主的選挙で選出された政治家はクリスマスシーズンを控え、有権者が何を願っているのかを知っている。だから、新規感染者数が5桁台に入り、最多記録を更新したとしても、政治家の口からは「ロックダウンは避けられない」といった言葉は飛び出さない、というより「言えない」のだ。ロックダウンに代わるコロナ規制を考えざるを得ない。新規感染者が急増しているオーバーエステライヒ州議会選挙が9月26日に実施されたが、再選を狙う国民党は選挙戦中はコロナ規制については口を閉じた。有権者が不快に感じる問題は投票が終わってから、というわけだ、
次はウイルス学者の立場だ。彼らは「秋に入り、冬が近づけば新規感染者が増加する」と夏の時季から叫んできたが、その声は“砂漠で呼ばわる預言者”のように国民の心までは届かなかった。ワクチン学者は「今になって規制云々は遅すぎる」とため息をつきながら言う。しかし、そこは学者だ。感染拡大に直面し、「ロックダウンを早急に実施する以外にない」と主張しなければならない。クリスマスが近づくといったことより、いかに感染者を抑えるかが最大の関心事だからだ。テレビでコロナ感染の恐ろしさに警告を発するウイルス学者には脅迫のメールが届く。文字通り、ウイルス学者たちはコロナ時代には国民が聞きたくないことを言わざるを得ない立場だ。
その政治家とウイルス学者が最近、ぶつかった。天才音楽家モーツァルトの生誕の地、ザルツブルク州のヴィルフリート・ハスラウアー知事は10日夜、新規感染者数がオーストリアの中でも急増してきた同州に対しミュックシュタイン保健相が規制の強化(ロックダウン)の実施を要請したが、拒否するとともに、ロックダウン実施を主張するウイルス学者たちを「現実離れしている」と非難したのだ。それだけではない。「ウイルス学者はザルツブルク市民やオーストリア国民を感染させず、感染しないために部屋に閉じ込めることを好む。残念ながら、そうすれば多くの人々はうつ病に陥り、飢餓や渇きで死ぬだろう」と述べたのだ。
それが報じられると、ウイルス学者だけではなく、多くの学者たちから激しいブーイングが飛び出してきた。複雑系科学者(Komplexitatsforscher)のペーター・クリメク氏は、「州知事の発言でもっとも気になる点はウイルス学者を滑稽な存在として紹介していることだ。州知事は科学の世界とどのような接触があるのだろうか。政治家に見られる科学的なことを嫌悪する姿勢がこのまま続いていくと、わが国はバナナ共和国になっていくだろう」と反論し、「わが国の新規感染者数はこれからも5桁台を進行するだろう、まだ感染の頂点には達していない。新規感染者の急増にブレークをかけないと大変なことになる。そのためには、決定的な政治的行動が不可欠だ」と警告している。
また、オーストリア科学アカデミーの分子生物学研究所のウルリッヒ・エリング氏はメディアとのインタビューの中でハスライアー州知事の発言に対し、「ウイルス学者を嘲笑したものだ。ロックダウン拒絶は政治家の無力の表れだ。州知事の発言は科学者のやる気を削ぐ。ウイルス学者は事前に明確に予測し、警告を発していた。それを無視したのは政治家だ」と反論している。
ウイルス学者の1人は「政治家は何人の国民が死ねば分かるのか」と述べ、「封鎖できないのならば、国民に向かって、われわれは感染を防止できない。今後多くの国民が犠牲となるだろうと語るべきだ」と強調している。
ワクチン接種率をみれば、ドイツとオーストリアは70%以下だ。欧州では下位グループに入る。ワクチン接種率の低い理由のひとつとして、「科学者に対する国民の信頼が低い」ということがある。ナチス・ドイツ政権時代、非人道的な医学実験などが行われたことを知っている国民はワクチン接種が奨励されると、過去の生体実験などを想起する。オーストリア国民は上から指令された場合、拒否反応が強くなる。参考までに、スウェーデンやデンマークの北欧では科学者に対する信頼度が高いから、科学者がワクチン接種の理由を合理的に説明すればそれを受け入れるから、接種率は高い。
中世時代は「科学」と「宗教」は頻繁に対立してきた。新型コロナウイルスの感染時代になって、今度は政治家と科学者が言い争っているわけだ。いずれにしても、「政治家」と「科学者」が対立すれば、その利益を得るのはウイルスであることは明らかだ。
最後に、政治家とウイルス学者の理想的な組み合わせを紹介する。メルケル独首相が最も信頼しいるウイルス学者はクリスティアン・ドロステン教授(シャリテ・ベルリン医科大学ウイルス研究所所長)といわれている。ドロステン教授も、「メルケル首相はウイルス学者の説明を最も理解できる政治家だ」と評価している。両者の人物評価は一致している。なお、メルケル首相は政界入りする前は理論物理学者だった。
このコラムを送信する直前、オーストリア国営放送がシャレンベルク首相の声明を報じた。それによると、15日からオーストリア全土で非ワクチン接種者を対象とするロックダウンが実施されるという。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年11月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。