「平和革命」も「暴力革命」も放棄しない日本共産党

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日本共産党の「敵の出方論」(「暴力革命論」)

9月8日党中央委員会総会での日本共産党志位和夫委員長による「敵の出方論」なる表現を使用しない旨の表明をめぐって、共産党の革命路線が「平和革命か、暴力革命か」が改めて問われている。

共産党の志位委員長 日本共産党HP

「革命が平和的か暴力的かは敵の出方による」とのいわゆる「敵に出方論」は、1960年代に共産党宮本顕治元委員長が確立した党の革命路線である。すなわち、宮本氏は、自著「日本革命の展望」で「革命が平和的か非平和的かは結局敵の出方によるというのはマルクス・レーニン主義の革命論の重要原則である。」(1966年日本共産党中央委員会出版部315頁参照)と述べ、「敵の出方論」(「暴力革命論」)を肯定している。このような党の革命路線は、その後の不破哲三前委員長時代にも引き継がれている。不破氏は、自著「人民的議会主義」で「わが党が、革命への移行が最後的には敵の出方にかかるという立場をとっているのは、党と革命勢力が国会の多数を基礎に人民の政府をつくっても、反動勢力が不法な暴力を行使すれば非平和的な局面が生じうるからである。」(1970年新日本出版社244頁参照)と述べ、「敵の出方論」(「暴力革命論」)を肯定しているのである。

マルクス・レーニン主義(「科学的社会主義」)と「暴力革命」

もともと、日本共産党は「マルクス・レーニン主義」(「科学的社会主義」)を党の理論的基礎としている(党規約2条参照)。「マルクス・レーニン主義」の核心は、レーニンによれば、暴力革命とプロレタリアート独裁である(レーニン著「国家と革命」レーニン全集25巻432頁、445頁参照)。そして、プロレタリアート独裁とは、レーニンによれば、「共産主義革命に反対する抑圧者、搾取者、資本家の反抗を暴力で抑圧する労働者階級の権力であり、暴力のあるところに自由も民主主義もない。」(レーニン著「前掲書」499頁参照)とされ、その実態は共産党の一党独裁である。日本共産党の理論的指導者である不破前委員長も、「社会主義日本では労働者階級の権力、すなわちプロレタリアート独裁が樹立されなければならない。」(不破哲三著「人民的議会主義」241頁参照)と述べ、プロレタリアート独裁を肯定している。

このように、「マルクス・レーニン主義」の核心が、レーニンの言う暴力革命とプロレタリアート独裁であるとすれば、日本共産党がマルクス・レーニン主義を党の理論的基礎とする限り、理論上「暴力革命」を否定することは論理矛盾である。宮本氏も、「敵の出方論」を「暴力革命」ないし「暴力革命の一形態」と認識しているからこそ、マルクス・レーニン主義の革命論の重要原則と規定しているのである。

日本共産党の「多数者革命論」(「平和革命論」)

ところが、一方で、日本共産党は「多数者革命論」(「平和革命論」)も主張している。すなわち、改訂党綱領四(「民主主義革命と民主連合政府」)において、「日本共産党と統一戦線の勢力が国民多数の支持を得て、国会で安定した過半数を占めるならば、統一戦線の政府・民主連合政府をつくることができる。」と規定している。不破氏も、「イギリスなど一部の国では労働者階級が議会で多数を握り合法的な手段で政治権力を獲得できる可能性がある」とのマルクス・エンゲルスの結論を引用し、「平和革命」の可能性について述べている(不破哲三著「前掲書」269頁以下参照)。すなわち、日本共産党は、「敵の出方論」(「暴力革命論」)と同時に「平和革命論」も主張しているのである。

「平和革命」も「暴力革命」も放棄しない日本共産党

日本共産党は、改訂党綱領四の通り、議会の多数を得て民主連合政府を樹立し、社会主義社会へと進む「平和革命」を目指している。しかし、他方では前記の通り、「敵の出方論」(「暴力革命論」)を肯定し、改訂党綱領四では、「民主連合政府の樹立は、支配勢力の妨害や抵抗を打ち破る戦いを通じて達成できる。」と規定し「暴力革命」の可能性を否定していない。したがって、日本共産党は、結局のところ、「平和革命と暴力革命のそのどちらも放棄しない。敵の出方次第で使い分ける。」(佐藤優ほか著「真説日本左翼史」2021年講談社現代新書217頁参照)と考えるのが、日本共産党が立脚する「マルクス・レーニン主義」の理論的帰結でもあると言えよう。そうすると、今回の「敵の出方論」なる表現を使用しない旨の志位委員長発言をもって、直ちに「敵の出方論」(「暴力革命論」)を党の革命路線として放棄したと即断するのは早計であろう。

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