宙に浮いた核燃料サイクルを転換するとき
日本原燃は2022年12月26日、青森県六ヶ所村の使用済み核燃料の再処理工場の完成目標時期を2年先送りして「2024年度上期のできるだけ早期」に延期すると青森県に報告した。当初は1997年に完成する予定だったが、これで26回延期されたことになる。
直接の原因は、原子力規制委員会の審査に合格する見通しが立たなかったことだが、本質はそこではない。核燃料サイクルは日本の原子力開発の根幹だったが、その目的がわからなくなり、宙に浮いてしまったのだ。
原子力政策の「静かな大転換」
原子力に消極的だった安倍政権に対して、岸田政権は原発の再稼働や運転延長を認めている。GX(グリーントランスフォーメーション)という脱炭素化政策でも、最大の力点が置かれているのは原子力である。
その基本文書である「GX実現に向けた基本方針(案)」には「次世代革新炉」という言葉がたくさん出てくるが、その中身は今と同じ軽水炉である。かつて次世代の原子炉とされた高速炉はなく、核燃料サイクルという言葉は1回しか出てこない。
これはあまり注目されていないが、原子力政策の大転換の第一歩である。1956年に始まった日本の原子力開発長期計画では、軽水炉は過渡的な技術であり、最終的にはウランを軽水炉で燃やしてできるプルトニウムを再処理して高速増殖炉で燃やし、消費した以上のプルトニウムを生産する核燃料サイクルが目的とされた。
これによってエネルギーを自給できない日本が、無限のエネルギーを得ることが最終目標だった。1973年、石油危機で資源の枯渇リスクに直面した通産省は、原子力開発を国策として核燃料サイクルを建設した。
しかしサイクルの中核となる高速増殖炉(FBR)は各国で挫折し、日本でも2016年に原型炉「もんじゅ」が廃炉になった。それでも経産省は高速炉開発の道を探ったが、2019年に提携先のフランスが開発を断念した。高速炉を「次世代原子炉」とする路線は成り立たなくなったのだが、日本はその路線を変えられなかった。それはなぜだろうか。