死んでしまった人ともう一度会って会話がしたい。そう思う人は少なくないでしょう。
昨今はテクノロジーの進歩により、故人の生前の姿をAIに学習させて再現するようなニュースも目にするようになりました。いまやテクノロジーと死生観は活発に議論されるテーマのひとつとなっています。
母や親戚を若くして亡くしている私個人の見解としては、人の命は有限だからこそ価値があるし、残された人たちは死を重く受け止めながら前に進まないといけないと思っています。でも、テクノロジーの発展に伴って自分の考えをアップデートする必要も出てくる可能性を想像しながら少し不安になることもあります。
そんなとき、AIの過渡期だからこそ生まれる不安を描いた映画『本心』に出会い、メガホンを握った石井裕也監督に話を伺う機会をいただきました。
監督は、死と生とテクノロジーについてどう向き合ってきたのでしょうか。
──『本心』は、理由も告げず命を絶った母親をAIで蘇らせる息子の物語ですね。なぜ死を選んだのか、いつから死を考えていたのか、といった疑問を解き明かすために母親の生前の記録などをAIに学習させてバーチャル・フィギュア(VF)として生成するわけです。
死が人との別れにならない世の中が描かれていたからこそ、監督の死生観についてお聞きしたいです。
大切な人の死は私たちに何を教えてくれると思いますか。
石井裕也監督(以下、石井監督):喪失感というものは、いつでもこれからの生き方について熟考させるきっかけになると思います。
私はこの作品を作りながら、死とどう向き合えばいいのか常に考えてきました。
ひとつの死は、受け取る側の思いによってまるで意味が変わってきます。当然受け入れられない死もあると思います。その場合は、『本心』に出てくるVFのようなテクノロジーの進歩に頼りたくなる気持ちが出てきても不思議ではない。
──VFとして蘇らせられた人の気持ちはどうなるのでしょうか。作品の中では自死を選んだ母親が息子によって蘇るだけでなく、息子は自分の記憶の中の優しい母親像をVFに学習させています。母親はあえて自死を選ぶ理由を息子に伝えずにこの世を去ったのに。息子のエゴではないのでしょうか。
石井監督:エゴ。そうとも捉えられると思います。
本作の中で、母親のVFを作る野崎(妻夫木聡)という人は「本物以上の母親を作れる」と言いますが、これはAIの研究者に聞いた話がもとになっていて、後発のアイデアです。
人間は不完全で、記憶もあやふやです。客観的事実と異なる記憶を持っている場合もあるし、言語化できない感情を上手く表現できない場合もあります。もちろん嘘もつきます。そういった不完全性を包括した上で人間だと思うのです。
だからこそ、生きている間に大切な人の本心や本音を聞き損ねてしまうことがある。大切な人の死後、それを知りたいと願う気持ちは、エゴを超えたものでもあると思います。
ただ、死んだ人をVFとして仮想空間に蘇らせることの倫理に対する議論はあって然るべきだと思います。
──テクノロジーが進歩することで物の見方が変化するように、命に対する解釈も変化した方がいいと思いますか。
石井監督:変化させない方がいいと思っています。
ただ、変化していくに決まっていますし、その流れには逆らえないでしょう。VFのような形式や、人の意識のようなものを取り出せるものが出てきたなら、肉体が滅びても大丈夫だと安心する人も確実にいると思います。
それに対して、「間違っているよ」と反論する根拠は実はなかなか見つかりません。「生死を取り扱えるのは神だけだ」と明言できれば話が早いのですが、そういった強固な思想がないから、特にこの国では生死の価値観をAIが無邪気に脅かしてくるでしょう。
原作の平野啓一郎さんも僕も、この仮想空間に生理的な抵抗感を覚えていると思います。少なくとも僕はそうです。
テクノロジーによって救われる人がいると理解している一方で、自分たちがこれまで大切にしてきた心のつながりや、尊厳が脅かされていく。怖いですよね。
──「怖い」という発言は、主人公 朔也の口からも語られていますよね。「世界は僕を置き去りにしてどんどん変わっていくから怖かった」と。
石井監督:朔也は1年間、昏睡状態にありました。意識が戻ったら、世の中が急速な変化を遂げていたわけです。
しかし、朔也のように昏睡状態になかったとしても、世の中から取り残されるという感覚は誰にでもあると思います。ほんの少しでも気を抜いたら、それこそちょっと海外へでも行こうものなら、今の世の中から取り残されるのではないかって不安を感じると思います。東京にしがみついていても、取り残される不安はいつもあります。
不安の根底にあるのは、今の自分を保ち続けられるかどうか、維持できるのかどうかに対する恐れだと思います。
──テクノロジーの発展を喜ぶ一方で、自分の感覚が進化についていけないのではないか、という不安は私も持っています。でも、ついていかないといけない。ついていけているフリもしないといけない時もあると感じています。
そう言った意味で、監督も抵抗感を覚えつつもAIを活用しているのではないかと推測しますが、『本心』を作る上でAIを使いましたか?
石井監督:意図して使ったという意味なら、脚本の表紙デザインは生成AIを使いました。「お母さん、いなくなる」みたいなキーワードを入れて美術部が作りました。生成された絵を脚本の表紙として採用しましたが、先入観があるからか、あまり気持ちのいい絵ではないと思いました。
それ以外でのAIというのは、ソフトウェアにあらかじめ組み込まれているAIですね。昔なら手作業だったものが、搭載されたAIのおかげで一気に終わるようになりました。そういった意味では恩恵を受けています。
──では最後に伺います。AIで心を再現したとき、人は何を失って何を見つけると思いますか?
石井監督:人間の不完全性の魅力だと思います。これしかないと思いますね。
映画『本心』は本日より公開です。
Source: 映画『本心』公式サイト