これが21世紀のワープロです。
物を書くとき一番困るのは、途中で邪魔が入ること。だけどそれ以上に、書いたものを読み返して「才能の欠片もないな」と思い知るときほど辛いものはありません。
所詮は下書き、ダメで当たり前。推敲に推敲を重ねて最終版にヨッコラ持ってくわけですが、何度書き直しても終わらないループにはまって抜け出せない作家さんやライターさんが山ほどいるのも事実。そこで登場したのがAstrohausのeタイプライター「Freewrite」です。
同社の初代スマートタイプライターは、おじいちゃん時代のタイプライターのフォルムをそのままに、eインクパネルを搭載したものでした。第2世代「Freewrite Traveler」ではケースが付いて携帯性がアップ。でも、ネックは価格で、Freewrite Travelerは500ドル(約7万1000円)、その次の第3世代に至っては650ドル(約9万2600円)もしました。
誰が買うんじゃい!?という声に応えて登場した今回の最安モデル「Freewrite Alpha」では、いきなり350ドル(約5万円)にダウン。意地を見せました。
煩悩フリーワープロ「Freewrite Alpha」
こ、これは何?
・シンプルなキーボードに1×6.5インチ画面が付いたAstrohause最新の軽量eタイプライター
価格
・350ドル(約5万円)
好きなところ
・なにしろ画面が小さいので、何度も読み返したくても読み返せない。「ネバー・ルックバック」を半強制的に実践できる
・打鍵感は◎。カタカタと作業がはかどる音がする
好きじゃないところ
・価格の割にはシェルがチープ
・LCD液晶にはバックライトすらない
書き進めるしかないワープロ
350ドルのFreewrite Alphaは、Astrohaus社が昨年発売したモデルです。無駄を排したデザイン、軽量フレームがポイントですけど、Alphaの一番の面白さは、なんといっても画面が高さ1インチ×幅6.5インチに狭まったことでしょう。
文字サイズにもよりますが、どう頑張っても2~4行までしか表示できません。
これだけ狭いともはやひとつ前の文章しか読めなくて、前の前の文章は記憶頼み。スペルチェックもないので、これも記憶頼み。そんなAlphaのライティング環境は、アイスバーンの湖面に特急列車で挑むようなものです。書き始めたら止まれません。というか、戻って話の流れを確かめたくても、おいそれとはできない仕様になっているんです。
いくらライターが追い込まれることに慣れている種族とはいえ、ここまでやる会社はAstrohausぐらいではないでしょうか。
とことん引き算して必要なところだけ残ったのが、このキーボードに覗き窓みたいなのが付いたデバイスというわけですね。まるで「パブロフの犬みたいなもんで、画面をめちゃちっちゃくして打ちやすいキーボードをつけたら、遅筆のライターの筆も進むのではないか」と、誰かが思いついて作った実験道具みたいです。
デザインとソフトウェア
350ドルもするのにバックライトはありません。画面は高リフレッシュレートの反射型モノクロFSTN LCD。直射日光でも使えるのはうれしい反面、暗くなると照明が要ります。
フレームもプラスティックで、350ドルの割にはおもちゃのよう。
後ろのキックスタンドを立ててタイプすると、プラスティックから手首がずり落ちます。
指紋も付着しやすくて、レビュー機は黒のプラスチック版でしたが、ちょっと触っただけで指紋だらけになってしまいました。同時発売の白や斑点模様のバージョンではここまで目立たないのかな?
以上の残念ポイントを除けば、キーの幅も広いし、赤の大きな”New”ボタンが両端にあって、とても打ちやすいです。726gの軽さも魅力ですよね。ノートPCと一緒にスッとかばんに放り込めます。
ポートは1個(USB-C)だけで、書き上がった原稿の転送も充電もここで行ないます。2.4GHzのWi-Fi接続で、クラウドにつないで同期も可能で、つながらない環境のときは、内蔵のフラッシュメモリドライバに「100万ワード」まで保存できるとのこと。
バッテリー駆動時間はなんと100時間。すげえ…と一瞬思ったけど、そりゃそうだ。キーボードとたまごっちみたいな画面だけだもん。減りようがないですよね。とはいえ、1週間持ち歩いてたまに思いついたとき使っても、まだ残量90%以上でした。フルに充電すれば何カ月も使えます。
Alphaでは自動でいくつかのクラウドサービスに原稿をアップロードできます。Freewrite独自のウェブアプリ「Postbox」は無料サブスクリプション付き。そのほかGoogle Drive,、OneDrive、Dropbox、Evernoteも設定は簡単ですが、メニューの呼び出しにはキーボードのショートカットが要ることが多いので、紙のマニュアルは手元に置いておきましょう。
キーボードには大満足。打鍵感良し
Alphaのキーボードを手にして最初に気づくのは、過去の同社の製品に比べて幅が増したことです。少し慣れが要りますが、少し触っただけでいつものスピードで打てるようになりました。
打鍵から表示までに少しタイムラグがある気がしますが、それも「タイプライター」感を高めているように感じます。入稿内容を中で翻訳して表示する、みたいなラグ。
メカニカルキーボードのスイッチはKailh製Choc V2。一番鳴るキーボードってわけじゃないけど、そこがAlphaらしさです。適度な抵抗力があって、打ってる感覚を全身で味わえます。特に浅くてもっさりしたキーボード(MagicキーボードやノートPCのキーボード)に慣れた指には新鮮。
もうメカニカルキーボードを使いこなしてる人には、やや音がうるさく感じるかもしれませんが、だからこそタクタイルなタイプライターを使っている感覚に浸れるというのはありそう。
自分でもビックリしたのは、このAlpha、いくらタイプしても疲れないんですね。1分70ワードのトップスピードで打ってると、心地いい打鍵音のハーモニーになって、仕事に集中できます。
その意味では、Alphaは「フロー状態(時間を忘れて仕事に没頭できる状態)」に簡単に入れるキーボード。
「煩悩フリー」デバイスと最初紹介されたときは、「そんなのあるのかな? こんなに集中力奪うものが氾濫した今の時代に…」と思ったけど、Freewrite Alphaは本当に打つのが楽しくなるデバイスでした。もっと手元に置けたら、毎日使うお気に入りになっていたかも。
で、実際のところ原稿は進んだの?
Astrohausがいう「distraction-free(煩悩フリー)」デバイスというのは本当なのか?
英語の「distraction」は集中を妨げるもののこと。ライターの場合、自分の原稿を読み返すと話があちこち飛んでてゲンナリして、つい楽しいことに逃げたりする、それがdistractionです。
電波の届かない山にでも籠らない限り、周りにはスマホもあれば、タブレットもPCもTVもあるわけで、これ1台買っただけで一切の煩悩から解放されるとは思えません。Freewriteで邪魔が減ることは確かでも、完全にシャットアウトはできないと。
そういう大前提はありますが、Alphaは機能が削ぎ落された製品だからこそ、ニッチな居場所を確保できているように感じます。だいたいのライティングは書き直しが多いものですが、Alphaはいくら読み返して手を加えたくても、見えないものはできない。その発想がユニークですよね。
ただ、大作家さんは別として、初稿が一発で通ることって滅多になくて、だいたいはボツですからねぇ…。そのボツの山から金を拾い出す地味な作業がライティングだとするなら、それには合わないようにも感じます。
でも、まあ、Alphaで書く作業が助かったのは事実。フィクションの短編を書いたんだけど、1年かけても書けなかったぐらいのボリュームをたったの数週間で入稿できました。
もちろん欠点もあります。このレビューを書くにあたっては、あらかじめ日本を1人でトレッキングしながら、短編のあらすじを頭の中で組み立てて入稿に臨みました。それはFreewriteのレビュー機が届くとわかっていたからであって、ふだんあまりこういうことはしません。
僕は締め切りに間に合うよう最大限のことはするタイプなので、レビューの締め切りがあることで、タイプする内容を考えるモチベーションになったのです。Alphaに入稿するときには、一段落まとめて書いたり、ワンセンテンス書くだけだったり、昼休みに500ワード書いて、寝る前に浮かんだ文章を何本か書いたり…という風に、思いつくまま書き進めることができました。
僕が最初の小説を書いたのは大学のときで、書き上がったのは卒業してすぐ。毎朝5時か6時に起きて脱稿に漕ぎつけたものです。ほかのライター仲間もだいたいそうだけど、今は自分もそこまで時間の融通が効かなくなってます。
そんな僕でも、Freewrite Alphaは、見るだけでライティングに頭が向くんですよね。ONにすると、すぐ前に書き終わった文章にカーソルが合って、「どこまで書いたっけ」がわかって続きを書くモードに入れるんです。こういうのの半分は、書く側のメンタルの問題ですけどね。
書きたい気持ちはある。で、ライティングする自分のアイデンティティに向き合うデバイスがある。1つのパラグラフから永久に抜け出せないスランプの人には、こういう気分転換があってもいいですよね。
Alphaなら、ノートPCもスマホも手近にあるのに、インスタをちょくちょくチェックしないと落ち着かない衝動から抜け出せるんです。だってライティング中だから。
まあ、究極の話、どんな道具で書こうと関係ないんですよね。その気になれば、ほとんどおもちゃのEtch A Sketchで小説まるまるタイプすることだってできないわけではないし、それで最終成果物の中身が変わることもありません。だけど書くことに特化した製品、特化したテクノロジーでやれば、作業は格段にラクになりますし、書くことがまた楽しくなることだってある。そう実感しました。
ネックは価格
もちろんそれに350ドル払うかというのは別問題で、それだけあったらガシガシ使えるChromebook Plusだってほぼ買えるし、フル画面のライティングツール「reMarkable Type Folio」も買えます。
ちょっとノウハウある人なら、Raspberry Piで煩悩フリーデバイスをDIYしちゃってもいい。2013年に生産終了したAlphaSmartも、eBayやAmazonなら中古のAlphaSmart 3000が100ドル以下で買えます。競争はシビア。