ゲームマニアが語る「ぼくらがハマッた、ゲームボーイカラー」

ゲームは思い出だ、文化だ、伝説だ。

あの日あの時、僕らがはまったゲームの歴史を写真やイラストで振り返るゴージャスなエッセイ本、『A Handheld History: A Celebration of Portable Gaming』。その中から、今回はレトロゲーム関連サイトRetro Dodoの設立者であるブランドン・サルタラマッキア氏が「ゲームボーイカラーと僕」について語るエッセイをご紹介しましょう。


私たちが手にした、はじめてのカラー携帯ゲーム機

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Photo: RG-vc / Shutterstock.com

私にとってゲームボーイカラーは、特別な思い入れのあるゲーム機です。なんといっても、はじめて手にしたゲーム機ですから。あれがなければ今の私はありません。

子ども時代にゲーム愛に火が付き、若くしてゲーム業界でキャリアをスタートする原動力となり、最終的にはフルタイムの仕事を辞め、わずかな持ち金と胸いっぱいの情熱でRetro Dodoを育てるまでに私を成長させてくれたのです。

携帯ゲーム機は何百万もの人々の人生に影響を与えてきましたから、私もそのうちの1人にすぎません。私が言いたいのは、ゲームボーイカラーがあったからこそ、今あなたはこの本を手にしているわけです。子ども時代を振り返り、「最高の瞬間」をいくつか思い出してみると、そこには素晴らしいテクノロジーであるゲームボーイカラーがあります。実際、私の最も古い記憶の一部とリンクしているのです。

あれは、8歳の誕生日。『ポケモン・ピカチュウバージョン』を開封したときのことを、今も鮮明に覚えています。当時の私は身長がまだ120センチくらいで、ちょっとぽっちゃりしていました。そんな私はものすごく興奮して、アドレナリン大放出。箱を開けるのもままならずビリビリに破き、(eBayで箱入りソフトが高価格なのを見て、今ちょっと後悔)真新しいソフトを手に、あるかもわからないホコリをフッと吹き飛ばし、ターコイズ色のゲームボーイに差し込みました。そして前の週に自分のお小遣いで買った特大の攻略本を取り出したのです。あの日のことは一生忘れないでしょう。

他の追随を許さなかった、ゲームボーイカラー

ゲームボーイカラーが発売されたのは、1998年の10月。ゲームボーイのラインアップの変遷を見れば、それほど衝撃的とは言えないものの、それでも任天堂が携帯機器にカラー画面を取り入れたはじめの一歩でした。それ以前にセガやATARIがすでにカラーゲーム機を出してはいましたが、任天堂のゲームボーイカラーははるかに携帯性に優れており、さらにモノクロ時代のソフトとも互換性があったので、親世代にも非常に好感が高かったのです。さすが任天堂、わかってますね!

残念ながら、当時のスクリーンにはバックライトはありませんでした。それでも、新しいディスプレイと真新しいカラー画面で、競合他社を蹴散らすには十分でした。その快進撃を見て、SNKのネオジオポケットやバンダイのワンダースワン(これが一番のライバルでした)もまたオリジナルのカラー画面付きゲーム機、ネオジオポケットカラーとワンダースワンカラーを発売しています。しかし、ご想像の通り、任天堂の売上には遠く及びませんでした。

『ポケモン』人気と相まって、子どもたちが大ハマリ

そしてゲームボーイカラーが発売された直後、任天堂は『ポケットモンスター 金・銀』を世に送り出しました。これまた衝撃的な作品で、このソフトは全世界で2,300万本以上という爆売れを記録し、任天堂のゲームの中で最も売れたゲームのひとつとなりました。

このソフトを購入するために、ゲーマーたちが長蛇の列を作っていたのを覚えています。地元の公園には通信ケーブル(当時は無線通信はありません)をつないで遊ぶ子どもたちでいっぱい。子どもたちはポケモン集めに必死で、メリープ1匹を友達から譲ってもらうために、「ベイブレード3個とお菓子1袋あげるからお願い!」と願い出る子がいたほどです。ちなみにメリープは羊に似た、わりとよくいるポケモンです。

そんなわけで任天堂はゲームボーイカラーのマーケティングとブランディングに大成功を収めました。その後もテレビCMや雑誌広告を流し続け、ゲームボーイカラーは子どもなら誰でも欲しがるアイテムになりました。おもちゃ屋の棚はどれもゲームボーイ関連商品で埋め尽くされ、親たちも任天堂の積極的なマーケティング戦略から逃れることができなかったのです。

おもしろ周辺機器市場もあらたな時代へ

ちょっと湾曲したボディとカラー画面、そして単三電池2本で駆動する手軽さで、当時の税別価格が8,900円。これが、多くの家庭に普及しました。

また、オリジナルのゲームボーイでは安っぽくクレイジーな周辺機器が数多く出回り、これまたそれまでになかった現象でした。ゲームボーイカラーの登場は、そんな市場にも一石を投じ、画面を大きく見せるための拡大鏡やワームライト、グリップ、スピーカー、バッテリーパックなどなど、あらゆるおもしろ周辺機器が開発され、すべてがワンランクアップ。ゲームボーイカラーがゲーム機の特別ブランドだったことはいうまでもありません。

学校で、友達の「お金持ち度」をはかる指標として、いかにゲームボーイカラーにアクセサリがついているか、というのが一番わかりやすかったですね。人気キャラのついた新品のリュックよりも、バズライトイヤーのサングラスよりも、わけのわからないアイテムがゴチャゴチャついたゲームボーイカラーを持っている方が、「こいつすごい!」と注目を集めました。

こうして、任天堂は世界中にその名をとどろかせました。ゲーム機を触ったことがない人でも、任天堂のすごさは知っています。そして、それは携帯ゲームが業界の習流になった瞬間だったのです。

初代からのアップクレード度合いは実にシンプルなものでしたが、カラー画面がどれほどの違いを生み出すか、を目の当たりにさせてくれたのです。

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