今が一番楽しいときかもしれないし。
ジャック・ドーシーといえば、Twitter創設者の1人。長くTwitter CEOを務めていましたが、2021年に辞任。2022年には取締役からも辞任し、Twitterをあとにしました。
その彼が今取り組んでいるプロジェクトが、「新Twitter」「Twitter代替SNS」なんて言われるBlueskyです。
Twitterみたいだけど、Twiterではなく、Twitterで学んだ間違いを修正したSNS、それがBlueskyです。まだ誕生したばかりの創世記なので、海のものとも山のものともわかりません。
インターネットの歴史を変える存在になるかもしれないし、「あぁ、そんなのもあったっけ?」で終わるかもしれません。
きっと、ドーシー氏の目標はソーシャルメディアの過ちを修正しつつ、その過程でインターネットのあり方すらも是正することなのでしょう。非常に大きく高い理想を持ったプロジェクトです。そして、その理想の第一歩にあるのが、公の場で仕事をすすめていくことです。
エンジニアが作業中にライブ配信するのがBluesky流
先日、BlueskyのプロトコルエンジニアであるPaul Frazee氏が、YouTubeで自身のコーディングをライブ配信しました。
誰でも見ることができるライブ配信上で、ユーザーがフィードをカスタマイズするための独自アルゴリズムを作る作業をしていたのです。
配信のFrazee氏は、自分自身のアイデアよりも、視聴者から寄せられる意見に興味津々の様子でした。
僕がその配信を見ていたときは、他に40人くらいが視聴していました。ジョークを交えつつ、かなりカジュアルな様子の楽しい配信でした。
ユーザーからの技術的質問に答えたり、ミームをネタにしたり、アプリ構築のアプデを話したりと、Blueskyの顔として盛り上げていました。
動画だけ見ていたら、ネットに革命を起こすかもしれないアプリをあの場で作っているようには見えないでしょうね。
にこやかな配信は、多くの企業が気にする企業イメージのためというわけではないと思います。Blueskyは、ただユーザーに知ってほしいんじゃないでしょうか。
我々は個々の人間の集まりであると。そして、ユーザーの意見を求めていると。Frazee氏は配信でこう語っていました。
こういうのをどうしてもやってみたかった理由の1つは、ファイナルコールをかけるにあたってみんなのフィードバックが欲しいからなんですよ。
フィードのアルゴリズムすらユーザーに委ねる
ソーシャルメディアのフィードは、人工知能や複雑なロジックによるアルゴリズムで組み立てられています。通常、企業がそのアルゴリズムを作りますが、Blueskyのカスタムアルゴリズムはユーザーがそれを作るためのものだと、Frazee氏は語りました。
ユーザーがフィードの担当者であるとは、なかなか斬新なアイデアです。
SNSの一番の頭痛の種は、アルゴリズムが何をどう判断するのかということ。どんなコンテンツがプロモートされ、どんなものが禁止されるのか…。ユーザーは何に興味があるのか…。
そして、当たり前ですが大抵の場合、運営企業は自社のアルゴリズムは適切だと主張します、せざるを得ません。
これまた大抵の場合、広告を売らねばならないので、広告ありきのアルゴリズムになっています。ユーザーがどれだけ、いいね! をタップし、特定コンテンツをスルーしても限界があるでしょう。
たとえるなら、マーク・ザッカーバーグの家のリビングでテレビを見ているようなもの。あれこれリクエストしても、しょせんリモコンを持っているのは彼ですから。
BlueskyがSNSの救世主となる(かもしれない)
Blueskyは成長しているものの、まだ始まったばかりの招待制フェーズにあります。
ちなみに、この招待コードがネットオークションでなかなかの高値で取引きされており、そこがまたBlueskyの特別感やトレンド感を高めているようです。
Twitterに嫌気がさしたユーザーにとっては、Blueskyは絶好の溜まり場。それも安全な溜まり場。Twitterのようなヘイトコメントがなくて楽しいというのが、使用している人の今の状況だそう。
フィードはネタやポジティブな意見が多く、まるでアプリのハネムーン期と言っていいかと。
Blueskyのポストはユーザー発信で「SKEET」と呼ばれていますが、運営側としては変えたいようです。トレンドでは、以下のようなアルフのちょいセクシー画像が人気のようです。
アルゴリズムという権力
ジャック・ドーシー氏は、Twitterでアルゴリズムがらみで常に悩みを抱えてきました。その結果辿り着いたのは、アルゴリズムという権力は誰も手にするべきではないということ。
2022年12月、Twitterのニュースレターでドーシー氏はこう語っていました。
私の最大の過ちは、Twitterユーザーが自分で使いやすいよう管理できるユーザーのツールではなく、公の会話を管理する我々用のツールを作り続けてしまったことだと思います。
この発言は、イーロン・マスク氏が暴露しTwitter史上最大の事件と言っても過言ではないツイッターファイルに関連するものであり、ドーシー氏は会社の持つ力が大きくなりすぎたとも発言しています。
公開会社のビジネスとしてそのときは正しい判断をしたと思います。ただ、インターネットや社会のためには間違った判断でした。
There’s a lot of conversation around the #TwitterFiles. Here’s my take, and thoughts on how to fix the issues identified. I’II start with the principles I’ve come to believe based on everything l’ve learned and experienced through my past actions as a Twitter co-founder and lead:
— jack (@jack) December 13, 2022
ドーシー氏が自らの過ちを綴ったツイート(コンテンツのモデレーション、アルゴリズムのコントロールはユーザーにあるべきという意見)は、そのままBlueskyのマニフェストとなっています。
ちなみに、ドーシー氏が自分の意見を語ったTwitterニュースレタープラットフォームRevueは、自称フリースピーチ絶対主義のマスク氏によって閉鎖されていますけど(Internet Archiveで閲覧可能)。
Blueskyのビジョン
Blueskyはドーシー氏の夢ではありますが、オルタナTwitterとして見ると他にもいろいろあります。
たとえば、マスク氏がTwitterに降臨した直後に話題になったMastodon、これはユーザーがサービスをコントロールできます。
Metaも独自のTwitter的SNS改発に取り組んでいますし、分散型SNSのNostrもあります。Nostrはドーシー氏が資金援助していますし、1日60回ほど彼がポストしていることから、もしやドーシー氏が一番好きなのはNostrなのかも説も…。
とはいえ、今もっとも注目度と未来への期待度が高いのはBlueskyで間違いないでしょう。現段階では、前述のカスタムアルゴリズムはまだ実装されていませんが、すでにおもしろい仕様はでています。
Twitterで最近ずっとディスカッションされている公式マークやら青バッジやらの認証問題はBlueskyにはありません。
公式にしたければ、ウェブサイトをアカウントのURLに紐づけられるコードを足せばいいだけ。ウェブサイトのドメインにアクセスしないとできない作業なので、誰が本物認証するかは問題ではなくなります。
最大の特徴は分散型プロトコルであるということ。つまり、Blueskyのコードが公開されており、プラットフォームに統合できる外部ツールやサービスを誰でも作れちゃうということです。
これができると、自分のBlueskyユーザーネームとそのフォロワーで、他のソーシャルメディアでも繋がれます。ユーザーがそのプラットフォームが嫌いでも、そこにコンテンツやフォロワーがあることで縛られてしまうというのがBlueskyにはないのです。これ、真のSNSの自由と言っていいでしょう。
ユーザーに委ねると言っても、Blueskyにもコンテンツの規制はあります。もちろん、ポルノ、ヌード、暴力やヘイトスピーチ、スパム、なりすましはダメ。
ただ、ダメはダメですが、これを見たいか見たくないか、自身のフィードに流れないようブロックするのか、表示前に警告文を出すのかはユーザーしだいです。
ユーザーに多くを委ねるのは嫌われないため?
ライブ配信された動画で、Frazee氏は非常に慎重にカスタムフィードを作っており、ボタンの場所など視聴者にも意見を求めながら作業を進めていました。
今のところBlueskyはユーザーに愛されているプラットフォーム。Frazee氏も好印象。先述したように、ユーザーも運営も楽しいハネムーン時期にあります。
ただ、Blueskyの戦略が当たり大きく成長したら、そのときはわかりません。Facebookだって最初はみんなに愛されるサービスだったわけで…。
ライブ配信で、僕もFrazee氏にチャットで質問してみました。ユーザーにプラットフォームの管理を多く委ねることで、運営側が嫌われることが減ると思いますか?
「これはどう答えたらいいのかな」と、Frazee氏は笑っていました。
結局は不満がでると思います。嫌われずに済めばいいなとは思います。でも、もし嫌われてしまっても、できることをやって助けられる人を助けるだけ。気持ちの面ではもうその準備はできています。みんなを喜ばせるというのは無理ですからね。