私が会長を務めるNPOで先日、恒例の交流会を開催しました。この集まりは異業種と様々な世代間の交流を目指した定例イベントで年2回あり、パブでビール片手に椅子席なしで開催します。毎年満員御礼なのですが、今年は特に足が早く、用意した40枠にあぶれた多くの人が「どうしても参加したい」とねじ込んでくる状況でした。
今年の特徴は参加者が例年以上に若かったと思います。この交流会は非会員価格さえ払えば誰でもOKなのですが、参加者の半分を占めたのが学生、ワーキングホリディ、あるいは時限就労許可証をもつ方々でした。バンクーバーは北米では日本人の若者には最も人気がある都市のひとつですが、多くの若者はチャンスを求めて海外にやってきています。話を伺うと皆さん、期待に胸を膨らませているのですが、ネットでは取れないナマの情報交換を求めているようでした。
私は業務上、採用面接も多く、その応募者の7-8割は日本から来たばかりの就労希望者です。日本でしっかりした会社にお勤めになり、しかるべき資格保有者も多いのにそれをバッサリ断ち切り、カナダに来た理由はと聞けば「新しい何かを求めて」というのが共通した声です。
日本の何が嫌か、という点ですが、長時間労働とか、会社とウマが合わないというのが一般的に報じられている理由ですが、それよりも「所属組織になじめない」「やりがいを感じられない」が正しいのだと思います。一昔前はアメーバー方式で落ちこぼれが出ないように小グループが一体となり、責任もグループ単位で取るというスタンスが企業研修では当たり前だったと思います。今、このやり方を若者が嫌い、一部の人たちを弾き飛ばしている可能性があるような気がします。
集団行動が出来ない若者は90年代からその萌芽がありました。個性化の時代と称されていました。その後、大企業のリストラの連続により「それなら自分で起業する」という若者が続出、20代にしてIPOするなど多くの新規上場企業の経営者には30代の顔ぶれが並びます。大手企業のリストラの嵐は安倍政権時代に入り止まる一方、マニュアル文化がより強化されたのが2010年代だったと回顧しています。
マニュアル文化は個性を完全に封じ、会社や部署単位で決めたやり方を踏襲し、一切のはみだしを禁ずるものです。それは顧客対応のみならず、会社のパソコンの扱い方から社内での行動までコンプライアンスという縛りについて経営陣は「当社は社会の先端を走っています」と自慢する一方、社員の能力に蓋をし続けてきたのが今日に至るまでの流れです。
バンクーバーに多くの若者が集まってきている理由はそんな閉鎖社会から一旦外の空気を吸ってみたいという「一歩踏み出す勇気」を持った人たちの声なき行動だとも言えます。驚くことに半分ぐらいの若者は「チャンスがあればカナダにずっと住みたい」と言うのです。カナダは移民への門戸は大きく開いており、移民権を取得できるチャンスは一定の能力があり、努力さえすれば3割ぐらいの確率はあるかと思います。
私が思うもう一つの背景は高齢化する日本が若者にとって住みにくくなっているように見えるのです。これは統計的データがなく、感覚論なのですが、こちらに来て恋愛相手を作るケースは比較的多いようです。「お付き合いしている人ができまして…」という話はよく耳にするのですが、理由の一つは孤独な海外生活は寂しいのと情報不足、そしてこちらはアクティビティが多く、それらに参加すると知り合うチャンスが多いということなのでしょう。
のびのびした社会環境にいると自然と恋愛もするし、結婚もするし、子供も出来るのでしょう。日本はその点、住みにくさがあります。「人の目」「周りの目」と全てにおいてルールでがんじがらめになっています。画一的で例外規定が少なく、肩が凝ります。親が「早く孫の顔が見たい」と子供に無意識にプレッシャーをかけていないでしょうか?
年齢による序列と高齢者による目に見えない圧力はあるでしょう。日本で日中、バスに乗ればほぼ高齢者。東京都なら無料パス所有者ばかりで路線次第では乗車賃の支払い率はかなり低いでしょう。選挙は投票率の高い高齢者による主戦場です。日本に於ける65歳以上の高齢化率はほぼ30%。では若者は何処に、と言えば遅い時間の飲み屋には若者がたむろしています。週末の池袋サンシャイン近辺や原宿、渋谷、秋葉原の中心年齢はどう見ても10-20代程度です。日本国内が場所や時間で二極化しているのです。
新橋はオヤジの集まりだけど、東京駅八重洲口の裏側にたむろするサラリーマン層は圧倒的に若いです。飯田橋にある神楽坂もおしゃれで若者を引きつけています。かつてのお茶屋遊びのイメージは薄くなり、若者に聞いても「それって喫茶店?」と言われるのがオチでしょう。
日本は世代間の分断をもう少し研究すべきだと思います。新入社員の3割が3年以内に退職する実態を「昔から変わっていない」と鷹揚に構える企業人事ではダメで文化的ギャップがどこにあるか深掘りしないと日本経済の屋台骨を揺らすばかりか、社会問題化すらしかねないと考えています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年5月4日の記事より転載させていただきました。