長崎出身のデザイナーが、東京から帰省した際、その道中の電車でビールのつまみに「すぼ」を食べていた。
そんな話を、地元タウン誌のバックナンバーで読んだことがある。
板付きかまぼこと違い、独自のストローで巻いて蒸してあるかまぼこのことを、長崎県の人々は「すぼ」と呼んでいる。ちなみに、中国・四国地方の特産で「す巻きかまぼこ」というものがあるが、この記事ではわたしの地元・長崎県人にとても馴染みの深い食べものとして、今回はふれずに進めていきます。
おいしいんですよ、すぼ。
そもそも「すぼ」ってなんだろう
長崎県を中心に作られる、すり身をストローで巻いたかまぼこのことを「すぼかまぼこ」、または「すぼ」と呼んでいる。
厳密には「すぼ」はこのストローのことを指すらしいが、記事内ではかまぼこ本体を含めて「すぼ」と呼ばせていただく。
長崎県平戸市川内浦で作られる「川内かまぼこ」がルーツとされ、その歴史は明治時代にさかのぼる。
ある漁師が近海で獲れた鮮魚を握りつぶし、丸めて茹でたことがその始まりだそうだ。
エソをはじめ、アジやアゴ(飛魚)などの旬の魚がすぼの原料となった。
保存も効くうえ美味しいとあって、漁師町は大いに賑わったことだろう。家々で独自のカスタマイズも生まれたはずだ。
時代とともに調理方法は茹で→蒸すへ。
南蛮文化の玄関口・平戸港の副港があった川内浦には外国の商船が行き来する商館の施設があり、暮らしのやりとりのなかで蒸す調理法が欧州から伝えられたともいわれている(諸説あり)。
麦わらで巻いていたのがやがてストロー巻きに
すぼ(かまぼこを巻くもの)に関しては、大正末期までは乾燥や保湿、保存に優れた麦わらが主流だったが、燃料の変化で量産が可能になった昭和初期には代わりにストローを巻くようになった。
最近では、麦わらの方はなかなか入手困難だとも聞くプラスチックのストローは、かまぼこ製造メーカーに対しエコへの配慮を要求する声がごく一部から挙がるなど今後の課題にもなっているらしい。
というのが大まかな成り立ちだ。「すぼ」の名前は、県内各地のスーパーや練り物店で見ることができる。
余談だが、このストロー、飲み物用として使うにはやはり吸い口が小さすぎる。また、お魚の香りもついてくるので幼い頃のわたしは工作に使ったり、しゃぼん玉液をつけてプウプウ吹いたりしていた。その思い出はもちろん、お魚の香りと共にあった。
すぼを食べながらよそいきの電車に乗りたい
冒頭に出てきたデザイナーのように、わたしも電車ですぼを食べたい。佐世保駅に向かい、JRで佐賀まで各駅停車でのんびり揺られたいと思った。
JRを選んだのは、「佐世保を出るぞ」というよそいきの人たちの空気感のなかですぼを味わいたいと思ったからである。
構内のスーパーですぼ2本入りと温かいお茶を買ってホクホクと券売機へ向かう。
しかし、乗車券を購入後、日が落ちるまで特急しか来ないことを知る。
普段電車にまったく乗らず、時刻表をチェックしていなかったことが甘かった。
が、市の駅だからたくさん列車が来ると思っていたのだ。払い戻しに手数料がかかってしまったので、わたしは少しうなだれた。
私鉄ですぼを食べるのは日常か否か
JRに乗るのはあきらめ、地元の空気感がそのまま乗り降りする私鉄(松浦鉄道)のホームへ。北部へ向かう列車がもの静かに乗客を待っていた。
一両編成のワンマン列車で車掌以外はまだ誰も乗っていない。
そろりと乗車し、するりと窓際へ。周りに人がいないのを確認してすぼをバッグから出した。思いのほか魚屋があふれ出て、座席の隅であたふたした。
お茶とすぼを並べると一気に旅行ムードが高まった。
ぱらぱらと乗客も増え、電車が走り出す。
降りようとしている駅まで20分ほどしかない。さっそく食べようと袋からさっとすぼを取り出す。その手つきは、おそらくかまぼこを取り出すそれではなかった。
すぼにぐるりと巻かれたストローの凸凹は、スマホのようにしっかりと手になじむ。ちょっとの揺れでは落ちないほどの安定感だ。
そのストローを1本1本丁寧にはがしていく。その作業も随分久しぶりだ。あまりにしっかりくっついているのでストローごと身がはがれるんじゃないかと心配したが、不思議なものでスッとと取れる。はがす側のコツのようなものがあるのかもしれないけど、わたしは作り手側の熟練技を想像しうなった。
電車で食べたデザイナーもこんな気持ちだったんだろうか。
ストローをはがす途中でふと気がついた。これ、全部はがしてしまったら持ちにくいのではないか。そこで半分だけストローを残すことにした。ワンハンド仕様である。
おいしい。ぷりっとしなやかな食感に鮮魚のうまみが口内に広がる。ストローを取ったあとのギザギザも食感として楽しい、おいしい!ひょっとしてすぼかまぼこって、こうして手づかみで食べる手軽さも考慮されているんじゃなかろうか。
軽いけど味は軽くない。どっしりとした海の味。つまりはビールがほしくなる味だ。
さて、私鉄とはいえ、ロケーションは電車のなかだ。故郷への感傷的なきもちが湧いてくるか?
いや、ビールがほしい。
そういえば、東京へ向かったデザイナーが飲んでいたものはビールだった。それが最適解だったのだ。
故郷の味をビールでさっぱり胃に流し込み明日への活力とする、1つのモデルケースが確立していたわけである。
わたしに芽生えたのは結局、ビールへの慕情だけだった。その先へ行くには、やはりビールが必要だったのだ。車で来ていなければと、けっこう悔やんだ。