幻でなかった「安倍晋三回顧録」

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「やり残したことは何か」と安倍元総理にいま問えば、「拉致被害者の奪還と憲法改正だ」との答えが返ってくるだろう。その気持ちは痛いほど判る。が、それらは遺志を継ぐ者によってきっといつか実現される。しかし「安倍晋三回想録」は、決して実現されることのない幻になった。

昨年11月、「安倍晋三の行住坐臥に映る『岸信介証言録』」をこう書き出した時の喩え様のない失望感が見事に裏切られた。

安倍晋三回顧録』(以下、回顧録)が出たのだ。Amazonは2月末配達、本屋の駆けつけた9日、店頭に一冊残っていた表紙の安倍晋三が筆者に微笑む。

いつもなら、先ず「序文」や「あとがき」や「解説」、次に「目次」を順に見て、面白そうな章から読み進めるのが習慣だが、今回ばかりは早く中身を見たくて第一章から読み始めた。ほぼ1日で一気に読み切ってまず頭に浮かんだのは、「岸田総理に読ませたい」の一語。

それは日ごろ筆者が、岸田総理は「事の軽重を整理し、先を見越して戦略を立てる能力や、法や物事の道理に即した説明能力が欠けていることを露呈している」とか「自らの発言が惹起するハレーションに思いが至らない」などと、本欄で難じているからのこと。

「回顧録」の編集者も、安倍が「常に物事を戦略的に考えていた」ことが長期政権の理由の一つ、と序文で述べ、「謝辞」には「回顧録がこれからの政治家の指針になるようにする」ことを意識していたと書いているから、筆者の読後感も強ち的外れではなさそうだ。

真にこの『回顧録』には「これからの政治家」が座右とすべき「指針」で溢れている。というより全体が「政治家のバイブル」というべきか。よって『回顧録』の要点を纏めることなど無理なので、過去に筆者が本欄12本で述べた事柄の一部と『回顧録』の記述とを対照し、自らを省みる。

先ずはトランプ。筆者は21年2月に「期待したい安倍・トランプ打ち揃っての訪台と訪朝」で、「血を流すのを好まないトランプ」は「『窮鳥懐に入れば猟師も殺さず』の包容力で、日韓で費用を負担する非核化や改革開放を求めつつも、制裁を少しも緩めなかった」と北朝鮮のことを書いた。

20年1月にも「金正恩よ、何よりもまず国連制裁決議をじっくり読みなさい」と題し、トランプは「損得計算でこれまで手荒な真似をしていないに過ぎない」とし、「金氏がその気になれば北朝鮮の前途は洋々だ、と本当に思っているのだと思う」とトランプの対北朝鮮観を忖度した。

安倍は、「トランプは、国際社会で、いきなり軍事行使をするタイプだ、と警戒されていると思いますが、実は逆なんです。彼はビジネスマンですから、お金が掛かることには慎重でした」(294頁)と回顧している。筆者のトランプ評もまんざらでもなかったか。

が、安倍は、筆者が思っていたほどには、トランプに全面的な高評価を与えていない様に読める一節がある。それが「過去に会った政治指導者に、こういうタイプの人はいましたか」と問われて答えた次の一節だ(178頁)。

全くいません。実業家だったトランプは、政治や行政に全く無縁だったわけです。だから、発想の仕方が従来の政治家とは異なる。トランプはビジネス界での成功体験を国際政治に持ち込もうとした。それがアメリカ・ファースト、米国第一主義です。ただ、政治とビジネスは違います。企業は利益を追求しますが、国が利潤だけを考えていては、民主主義は成り立ちません。様々な利害を調整し、問題を処理するのが政治家の仕事です。

こういう「特異」な政治家に、安倍は「NATOや日本も協力するから、自由世界のリーダーとして振舞って欲しい」、「国際社会の安全は米国の存在で保たれている」と繰り返し説いた。「この政策で大丈夫だろうか」との不安からか「時々」掛かって来る長電話にも付き合い、「互いに心を開くよう」心掛けた。結果、「辞意を表明した最後の電話(20年8月31日)で、『安倍さんには、貿易交渉で譲り過ぎたかも知れない』と言わせるまでの「関係を築き」上げた(180~181頁)。

北方領土問題を抱えたプーチンとの27回に及ぶ交渉では、「安倍さんが訪露を繰り返したのに対し、プーチンの来日は・・2回だけです。外交儀礼にはこだわらなかったのですか」と問われた。安倍は「そんなことは気にしません。こちらに解決したい案件があるのだから、繰り返し訪問し、粘り強く交渉してゆくのは当然でしょう」と事も無げだ。

筆者は19年3月、「石破先生のこのお話ってどうなの?」で、石破が「『四島返還断念』などはもちろん安倍総理もまったくお考えになっていないと思いますが、法的根拠を踏まえない交渉だと思わせることのないよう、留意が必要です」とするブログに異論を唱えた。

前月の「台湾と千島、その法的地位」で筆者は、外務省の非公開文書が豪州で見つかり、該文書が北方領土について「歯舞と色丹を北海道の一部であって千島列島の一部でないとする一方、国後と択捉を千島列島の一部とし、それらを『南千島』としていた」ことに触れて、「歴史的にも国際法上もそう単純でなく、だからこそ交渉が長期化している」と書いた。

外務省は、歯舞・色丹が北海道の一部としての歴史を有していたが、国後・択捉にはそういった史料を見出せず、この結論に至った。米国も領土処理検討の一環で、日本が放棄する千島列島の範囲を詳細に検討した。対象は占守島から色丹島までとする案から放棄ゼロ案まで変遷するが、歯舞・色丹が千島列島でないことはほぼ一貫していた。

安倍は「4島一括返還を主張することは、永久に北方領土が戻って来なくてもいい、ということと同義」とし(183頁)、18年11月に「2島返還を明記した1956年の日ソ共同宣言を基礎にする方針を決めました」と述べる。「私を支持してくれる保守派の人たちは、常に100点満点を求めて来ますが、そんなことは政治の現場では無理なんですよ」(160頁)とも言い、更にこう述べる。

ソ連がロシアになり、サミットにまで参加するようになったら、今まで通り角突き合わせていればいいというわけにはいかないのです。さらに中国が台頭し、日本を巡る戦略的な環境は大きく変わってしまった。安全保障上の脅威は、正直にどこかと言えば、やはり圧倒的な軍拡を進めている中国でしょう(216頁)。

米国に生まれていたら「民主党か共和党に入党する」と言った習近平を、「彼は思想信条ではなく、政治権力を掌握するために共産党に入った」と安倍は喝破し、「強烈なリアリスト」と評した。が、安倍も「外交の基本はリアリズム」(324頁)との信念から、81回の海外出張ではどこ首脳にも必ず中国の脅威を説いた(321頁)。

そのロシアが「19年になって外相や次官級の協議になったら、・・原理主義に戻ってしまった」理由を、「ロシア国内で領土返還に対する反対運動が起きたことが、プーチン氏を弱腰にさせた原因」か、と問われた安倍はこう述べている。

ロシアの米国不信は拭えなかったのかもしれません。1989年の東西ドイツ統一の時、東側のポーランド、チェコ、ハンガリーはNATOに加盟しなかった。ところがその後、加盟が実現し、今ではポーランドとルーマニアに米国のミサイル防衛システム・イージスアショアまで配備されるようになっています。

「彼の理想は、ロシア帝国の復活です」と断言し、「ソ連は資源の豊富なウクライナに膨大な投資していたし、ロシアになってからも、資源開発を支援していた」経緯から、「ウクライナ独立も、彼にとっては許せない事柄」だったとし、「独り善がりの考え」だが「クリミア併合は、強いロシアの復権の象徴」(185頁)との見方を示している。

筆者は冒頭で引用した拙稿で、「安倍と岸田の違いを『岸信介が岸田の祖父でなかったこと』とし、「安保改正に身命を賭して取り組んだ岸の、政治家としてまた宰相としての心構えや政治信条が横溢する貴重な昭和断面史」である『岸信介証言録』を、安倍が「擦り切れるほど読み込んだ」と推論した。

『証言録』は「オーラルヒストリーの先駆者」原彬久が、「86歳になっていた岸への1年半、20数回に及ぶインタビュー」で纏めた労作だ。『回顧録』も、20年10月から丸一年間、1回2時間のインタビューを18回行った(4頁)内容を、一切の脚色なしに綴ったという(「言論テレビ」橋本五郎談)。

時間を違えず律義に対応した岸がみせた「抜群の記憶力と怜悧な回顧、そして闊達な冗談とたまさかの激しい感情表現」に原は舌を巻いた。が、安倍も手練れの橋本らの質問に、「自分の記憶を呼び起こすだけでなく、(手持ちの300冊を優に超える)首脳会談の記録や新聞記事などを事前に丹念に調べて誠実に対応」した(395頁)。

紙幅が尽きたので最後にいくつか。

森友問題について、「私の足を掬うための財務省の策略の可能性がゼロではない」と安倍は「密かに疑っている」(313頁)。聞き手は、近財が「ゴミの撤去費用として8億円を値引きし・・」と書いているが間違いだ。値引きは国が森友に移した「瑕疵担保責任」の評価額だ。

石破に『回顧録』は、加計問題の項(257頁)ではなく総裁選での一騎打ちの項(305頁)で触れ、石破4条件を並べて「石破さんも獣医学部新設の問題に関わっていた」とする。筆者も獣医師会の北村直人自民党元議員の活動報告を引いて、「石破総理はあり得ない」と書いた。

李登輝とは「電話で話すことが多かった」そうだ(206頁)。筆者は14年1月に李登輝とお会いした際、「安倍総理の間にホットラインでもおありですか」と聞いた。「『言えません』とのお答えだったが、筆者は今もそのお答えを信じていない」と書いた

情に篤い安倍は、彼を押し上げ支えた菅や麻生、高村や谷垣らへの感謝を繰り返し述べる。筆者が思わず落涙したのは、集団的自衛権の行使を一部容認する憲法解釈に「命を懸け」て取り組んだ小松一郎内閣法制局長官の奥様が、「本人は、ここまで素晴らしい仕事ができて悔いはない」と語った件だ。

退任して間もない『回顧録』だからか、そこに他人への悪口は見当たらない。「殲滅戦はしない」(82頁)とも述べている。安倍は情の人でもあった。

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